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絶対王者の影響力を脱して真の実力を発揮した宇野昌磨がめざす未来。


憧れの存在との距離感

宇野昌磨がシニアデビューを果たしたその年、のちに“絶対王者”と呼ばれることになる3歳年上の羽生結弦は、名実ともに世界王者への道を爆進していました。
宇野昌磨も鮮烈なシニアデビューを飾った逸材だったのですが、羽生はすでにソチ五輪の覇者となっていました。

宇野昌磨にとって、羽生結弦は最初から、途方もなく大きな存在感と影響力のある、あこがれの選手だったのです。

しかし、ほとんどのスポーツがそうであるように、フィギュアスケートという競技においても、選手は互いに、実質的にはライバル以外の何者でもありません。
試合になれば、圧倒的な強者も新人も、同じリンクで、対等の条件で、得点や順位を競い合うものだからです。

だからこそ、選手にとってライバルの存在はとても重要です。
“絶対王者”と称された羽生結弦も、数多のライバルたちと競い合うことで経験値を高め、実力をつけていったのです。

羽生結弦のゆくてには、彼とトップを争うライバル達が次々に現れましたが、宇野のライバルと聞いて、すぐに名前のあがる選手がいるでしょうか?

わたしが今現在の宇野のライバルを名指しするとすれば、それは鍵山優馬だと答えることになります。
総体的に近しいレベルにあり、互いに抜きつ抜かれつで戦う存在をライバルと呼ぶのなら、今の宇野にとっては鍵山がその相手です。
シニアでのキャリアや年齢差は、たいした問題ではありません。

がしかし、羽生と宇野が表彰台で肩を並べた機会だって何度となくあったにもかかわらず、このふたりがライバル関係にあるように見えた者などいるでしょうか?
そもそも羽生と宇野は、互いをライバルだとみなしたことがあったのでしょうか?

私的見解になりますが、これには宇野昌磨の性格という部分が大きく関係していたと考えられます。
宇野の性格がもっと違っていたなら、羽生は宇野もまた他のライバルと同列に並べていたのではないでしょうか。


ライバル❶

羽生結弦は、他者と競い、勝負して勝つことを好む選手として知られています。
彼が数多のライバルを次々に退けて頂点に立ちつづけた事実も、十分にそれを裏付けています。
一方、宇野昌磨のほうは、「羽生くんをライバル視するなんてとんでもない!」と謙遜し、言わなくていいことまで口にしてしまうようなタイプの選手です。

羽生と宇野は、ともにトップクラスの日本人アスリートでありながら、その性格は、おもしろいぐらいに違っていました。 

宇野昌磨にとって、はじめから羽生結弦は別格で、憧れの選手であり追いかけるべき目標でもある、特別な存在でした。

そして、あまりにも素直なそのおもいと、みずから選んだ羽生との距離感こそが、いつしか呪いのごとく宇野自身を縛るようになってゆくのです。


ライバル❷

宇野昌磨は、素の彼と、リンクで演技に入ってからの雰囲気との落差が大きい選手として知られています。
リンクを降りると、トップアスリートらしからぬその性格のおかげで、数々の天然ボケ発言を残してきたことでも有名です。

十代の頃の宇野昌磨は、「僕はずっと羽生くんの背中を追いかける」とか、試合前に心境を尋ねられると、「羽生くんも一緒だから今日は落ち着いてやれそうです」とか、「今日は羽生くんがいないから大変‥‥」といった類の、とんでも発言を連発していました。

この言葉を額面どおりに受け取って、「宇野昌磨はそこが可愛いくていいんじゃないの」などと決めつけるのは、フィギュア選手とタレントを混同している一部の病的なファンぐらいのものです。

要約すると、これは「人気者の羽生くんに注目が集まるおかげで、自分はあまりプレッシャーを感じることなくやれている」‥‥おそらくそういう思いから出た言葉だったのでしょう。

がしかし、これはたとえ当人が無自覚だったとしても、とうてい褒められた発言ではありませんでした。
それはそうでしょう。
表彰台にあがることじたいを目標としているようなレベルの選手ならばともかく、宇野は羽生のライバル達と一緒に「表彰台の順位を争う」レベルにある選手だったのですから。

これでは宇野は、羽生に対して“最初から気持ちで負けている”のも同じです。
それに、もし自分が羽生結弦の立場なら、こんなことを言う相手をどう思うかという視点も、完全に欠落していました。

羽生のように、つねに最前線で戦い、プレッシャーを一手に引き受けている自覚がある者なら、「大概にしとけよな」と思わないほうがおかしいぐらいです。
ライバルに等しい立場にある相手にこんなことを言われたら、気を悪くしたり、腹を立てても不思議ではありません。

が、相手は宇野昌磨だったので、この両者が一触即発の危機に陥るような事態には至りませんでした。
それは平昌で話題になった、羽生による、宇野の頭ポンポンのパフォーマンスなどにも見てとることができました。


ほんとにそれでいいの?

平昌でのそのシーンを覚えているフィギュアファンは少なくないと思います。
宇野昌磨は、依然として羽生結弦の後塵を拝していながら、そのことを気にやむどころか、羽生結弦という別格の存在が自分の前にいることに安心すらしているようにも見えました。

自分から積極的に羽生との対決に闘志を燃やすわけでもなかった当時の宇野が、それでも表彰台で羽生と肩を並べつづけることについてどう思っていたのか、それはわかりません。

ありがちな推測をすると、例によってここでも「羽生くんと一緒で嬉しい」とか、そのあたりだったのではないかと思われるのですが‥‥。

“絶対王者”と称される羽生結弦を、宇野が素直に「羽生くんはすごいなぁ」と本気で思っていたらしいのは、テレビ画面越しでも見てとれるようでした。

互いに点数や順位を競う競技なだけに、これにはファンのほうが(キミ、そんなふうだと絶対に羽生結弦には勝てないぞ!)と、ヤキモキさせられたものですが、当人は「べつにそれでもいいや」と思ってるようにしか見えませんでした。

当時の宇野は、当たり前のように表彰台にあがりながら、羽生やそのライバル達が、その台の中央に立つために何を犠牲にし、どこまで自分を追い込んでそこに立つ権利を得ようとしていたのかなど、考えたことすらなさそうに見えました。

ようするに、宇野は好きなスケートを頑張って、本番も練習どおりにあまりミスなくやれたなら、それで大抵は表彰台に上がれていたということなのでしょう。

宇野昌磨という選手には、その才能やポテンシャルの高さには不似合いなぐらい、妙に素直で子供っぽいところがあります。
彼のそのアンバランスな不安定さは、当時の宇野の戦績にも影響していました。


シルバーコレクター

選手を指導するコーチは、たいてい元フィギュア選手です。
現役時代に高い実績を積んだ人物が、必ずしも良い指導者になれるとは限りませんが、現役時代に培った技術や経験値の多寡は、やはり実績に比例するものです。

トップクラスに位置する選手を指導する場合、現役時代にどんなライバルとどのように戦い、どの程度の影響を与えあってきたかはとても重要です。
コーチが自分の経験から選手に教えられる部分をどのくらい持っているかどうかで、それはそのまま選手の成長にも影響するのではないでしょうか。

あの頭ポンポンのパフォーマンスを見るかぎり、羽生にとって、当時の宇野昌磨は、ライバル以前のかわいい弟分みたいな存在だったように思われるし、少なくともわたしの目にはそう映りました。

当時の宇野のコーチが男性だったなら、手塩にかけて育ててきた選手へのその扱いを、まるで選手時代の自分がそうされたように感じて腹を立て、宇野昌磨に発破をかけるぐらいのことはしたんじゃないでしょうか。
“頭ポンポン”は、ライバルであるはずの存在から、ライバルとは見做されていなかったに等しい扱いだったのですから。

つまり、このパフォーマンスによって、羽生結弦が宇野昌磨を、彼の王座を脅かすような存在にはなり得ない相手だとみなしていた‥‥のではないかという印象をわたしは受けたのです。

ま、実際には多くの女性ファンが、きゃー!と黄色い声をあげてアレを喜んだわけでしたけどね。
でも、わたしは「喜んでる場合じゃないぞ!」と思ったし、当時の宇野のコーチの対応も気がかりでした。
彼女は宇野の銀メダル獲得の快挙にご満悦だった、という印象しかなかったので。

宇野昌磨当人も、羽生結弦の頭ポンポンを、反発もせずに受けいれていたところからして、そんな扱いをされても特に気にしていなかったようでした。
素直で子供っぽく、争いを好まない宇野のそんな性格や考え方は、当時の彼が毎回似たようなもったいないミスをくり返した詰めの甘さにもつながっていた気がします。

さらにつけ加えるなら、平昌で銀メダリストとなった宇野昌磨は、同じ平昌で連覇を達成した羽生結弦に比べて、五輪のメダルの重みをはるかに軽く考えていたふしがあります。
それまでもシルバーコレクターと呼ばれることを、宇野はさして気にしてなかったようだし、平昌でも「また銀メダルかぁ」ぐらいに思っていたのかも?

おそらく元コーチは、そんな宇野をうまくフォローしきれなかったか、対応に窮するかしたのではないでしょうか。
平昌後の宇野昌磨が、のちに元コーチと袂をわかつことになった要因のひとつには、そうした事情もあったのではないかと、わたしは推測しています。


ステファン・ランビエール

最近の宇野昌磨の成長ぶりをみていると、ステファン・ランビエールというコーチに、宇野があそこまで傾倒している気持ちもわかる気がします。
ランビエールコーチは、進むべき道を見失いかけていた宇野昌磨には、救世主のような存在だったに違いありません。

わたしはランビエール氏の選手時代はよく知らないのですが、トリノ五輪での『プルシェンコ金、ランビエール銀』といったリザルトを見れば、誰でもある程度は想像できるのではないでしょうか。

現役時代のランビエール氏は国内大会ではずっと負けなしで、GPファイナルでの優勝経験もある一方、銀メダルも多かった選手だったようです。
妙に宇野と重なる部分のある氏の戦歴を知って、ランビエール氏が、コーチ不在のまま苦しんでいた宇野昌磨に手を差しのべた理由がわかったような気がしました。
彼が宇野昌磨の性格や、宇野が置かれている立場をすべて把握した上で、巧みな指導や軌道修正をおこなって宇野を成長させたのは、火を見るよりも明らかでした。

ランビエールコーチには、当時の宇野昌磨に何より必要だった、トップクラスで戦う選手の育成に必要な先達としての経験も、細やかなフォローやアドバイスが可能な全ての条件が揃っていたのです。

ランビエールコーチの指導のもとで、宇野昌磨はようやく羽生結弦の影響下から脱することができたのだと思います。

それが如実に現れていたのが、北京五輪での『ネイサンのような存在になりたい』という宇野の言葉です。
羽生結弦ではなくネイサン・チェンの名前を挙げたことで、宇野昌磨がもう以前ほど羽生結弦という圧倒的な存在に囚われていないことを証明していました。

ネイサン・チェンもまた圧倒的なスケーティング技術と完璧なパフォーマンスで、北京五輪の頂点に立った選手です。
平昌でも共に戦い、この4年間で大きく成長したネイサンをよく知る宇野なら、尊敬や敬意を表するには十分な選手です。

そして、今年の世界選手権で初の世界大会での金メダルを獲得した宇野昌磨は、ついに「圧倒的な存在になりたい」という抱負を語りました。

まっすぐに頂点を目指して、そのまま走りつづけた羽生とは、選んだ道筋は違っていたけれど、宇野昌磨は、ようやく彼が進むべき道の前に立ちました。

彼はもう誰かの後を追いかけるのでも、誰かを目標とするのでもなく、彼自身が「そういう自分になりたい」と、真摯に望む選手になっていたのです。

ランビエールコーチとめぐりあったことで、宇野昌磨は、ようやく本来の彼のスケートと真っ向から向き合うことができるまでに成長したのです。

今の宇野昌磨は、長く彼を縛っていた絶対王者の呪いから解き放たれて、彼自身のめざすところへ向かって一歩を踏みだしはじめました。
それは彼を応援しつづけてきたファンにとっては、今大会での金メダル獲得以上に喜ばしいことでした。

女子の金メダルを獲得した坂本花織の場合も同様です。
彼女もまた平昌五輪で好成績を残した後、一度は道を見失いかけ、しかし最後には宇野と同じように、世界大会でのはじめての金メダルを手にしました。

トップの選手にはトップの選手にしかない苦悩があるだろうけれど、そこへ手をかけようと必死にもがいている選手にだって、同じ苦しみはあるのです。

それを乗り越えて、表彰台の中央に立った宇野昌磨と坂本花織に、心からの拍手を贈ります。
ふたりとも、金メダルおめでとう🎉


これを書きながら、ある曲の同じフレーズが、ずっと頭の中で響いていました。

過ぎてきた日々の全部で、今の自分はできている。
簡単にはいかないから頑張っていける‥‥そんな歌詞です。

2022年の世界選手権で金メダルを獲得したふたりはもちろん、羽生結弦やネイサン・チェンにだって、きっとみんな色々あったに違いありません。
誰もがそれぞれに過ごしてきた日々のなかでいろんなことを経験して、その全部で今の彼らはできているのです。

だから宇野昌磨と坂本花織だけでなく、メダルには届かなかった選手も、今大会には出場しなかったすべて選手にも、おなじように拍手を贈り、讃えたいと思います。

みんなおつかれさま。
来季もまた頑張ってね👍



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