れにんぐ2

1989年4~5月 初ソビエト連邦モスクワ・レニングラード 5

5月1日

 日付変わってすぐに活動開始。
 0:05 モスクワ、レニングラード駅発の列車で、一路レニングラードへ。

 モスクワ市内にはいくつか駅があるが、何故か向かう先の地名が駅名になっていることが多い。
 だからこの時もレニングラード駅から寝台列車で出発。

 6:50頃 Чудохо停車。列車は、静かに入って静かに出る。
 花をいっぱいつけて、枝垂れた杉をみる。赤松も。
 オナガ風の鳥をみる。一戸建ても。一戸建てが妙になつかしい。

 車内にこっそりと物売り(多分、車掌とかの副業?)がくる。
 キャビア一缶1000円とか、毛皮の帽子も500円で買って、と。
 キャビアを買う。56グラム。ラベルにИКРА(イクラ)と書いてある。

 アラブ風の2人の客が、通路に佇んでいる。
 窓の外をみながら、アッラーアクバル、アッラーアクバル、と小声で詠じていた。
 お祈りなのだろう、簡単に済ませていた?

車窓より。大地は夜が明けた

茶色いラティスに白文字がついたような駅の看板発見。
ЧУДОВОというところ。こんな装飾初めてみたが素敵だった。

 レニングラード到着間際、赤い列車を見かける。
 Красная Стрεла クラスナーヤ ストリェーラ
 Экспрεсс エクスプレス
 これが、噂の「赤い矢」号らしい。
 εとかЭとかのロゴ使いに、おシャレ感がある。

 8:50 ЛEНИНГЛАД レニングラード着。

 モスクワより寒い。ちょいと粋な空気をかぐ。

(フィルムはなぜかポジを持って行った。なぜなのか記憶にない。)

 貸切バスでホテル・プリバルチースカヤПрибалтийская

ホテルカード。わら半紙より厚め


 近代設備の整ったホテル。
(後日、日本で見た映画「ロシア・ハウス」にも登場した。
 ショーン・コネリー主演。ストーリーはともかく、ロシアの観光案内としてはなかなか楽しめる作品だった)

 朝食の後、団体でプーシキン市へ。
 部屋を出る時か入る時、入口脇のスイッチを押したら、バン!と破裂音がして、天井灯が砕け散ったもよう。
 カバーがついていたので、2人とも無事だった。
 フロアーの係の人に、身振り手振りで伝える。多分解ったらしく、次に部屋に戻った時には直っていた。

 プーシキン市の青い、長々した建物は、エカテリーナⅡ世の夏の宮殿だそうな。
 入口で行列。
 なんとなく、前のドイツ人夫婦と世間話(?)少し。
 二週間のロシア旅行だって。日本にも行ったことあるそうだ。

 宮殿の中は、すごい! 小市民には豪華絢爛な世界。
 モップスリッパを履いて歩かされる。
 金箔の装飾(金100gだって。多いのか少ないのか金持ちのスケールだとどうなるのか分からん。わざわざそう言うくらいだから、多いんだろう)とか床の木張りのモザイク模様に感心しまくる。

 空が高くて、青くて、美しい。
 どこぞの修道院だか寺院、新しく塗りなおしたのか建てたのか、白い壁に濃い青の丸い玉ねぎ屋根。
 普通、屋根にこの色はないでしょう! てな鮮やかさだが、抜けるような青空によく似合う。

 午後はメトロでホテルの二つ先、カザンスキーまで。
 寺院の外周、というのだろうか、二列の円柱がずらりと半円に並んでいる。

ひとやすみ


 休日(メイデー)なので人出がものすごい。

 帰りは団地の中を歩く。
 スケボーする少年、バス待ちの人、散歩の人、ごくありきたりの暮らしを垣間見る。
 地下鉄の中で、おじいさんと簡単な会話になる。
 おじいさん、ハバロスクから来たのだと!

 別の地下鉄では、なぜかおじさんに絡まれる。
 どうやら酔っ払いらしく、ニコニコしながらとやかく話しかけてくる。
 隣のおじさん(多分通りすがりの別客)が見かねて「やめなさい」と言ってくれているようだが、全然お構いなくそれを手で払って、またこちらに話しかける。
 しかたなく、
「やー にぇー ぱにまーゆ ぱ ぇるーすきー」(ロシア語はわかりません)
 と覚えたてのロシア語で棒読み回答すると、にやりと笑って
「やー・ぱにまーゆ」(おれぁ、分かるんだよ!)
 と返された。
 
 ホテルで、同じツアーに参加している二本松のお母さん・Yさんがニコニコしながらやって来る。
「あたし、バスに乗ろうと思って~、バス停からちょうど、バスが出ちゃうとこだったの~、で思わずぅ
『そのバス待って~~~~~(絶叫)』って、呼んだの、日本語でぇ。
 そしたら、止まってくれたのよなんと!!困った時には何でも通じ合うものよねぇ」
 バスに乗ってからも、運転手や他の乗客が、どこまで行くのか、切符はいくら、と身振り手振りで親切に教えてくれ、無事ホテルまで戻れたそうな。
「ありがとなぇ~」と福島なまりで手を振って、バスを降りたそうな(もちろん日本語)。
 確かに、このお母さんには国境を越えて誰でも助けたくなる何かが、ある。

 夜(といっても明るい)。
 ひとりで海まで出てみる。ホテルの裏がバルト海。
 ずっと遠くまで浅い感じ。波もほとんどない。

 海岸には、建物の破片だろうか、コンクリートやレンガのかけらがたくさん落ちている。

 カモメの鳴き声。浜を散歩する人たちの声だけ。
 あと、風の音。
 9時になっても、太陽は海の上にひっかかっている。
 気温が10度で、肌寒い。
 どうして気温が分かるかというと、ホテルの上の方に、電光板でオレンジ色の数字が表示されているので。

 幼いきょうだいが、日本人がめずらしいのか、ちらっと見てはうれしそうに話しながら目の前で遊んでいる。

石投げして遊んでいる少女
らくだ色のコートのおばあさんと
赤いジャケットの少女

 9時過ぎてようやく、夕方らしくなってきた。
 上着を部屋に置いて来てしまったので、海辺にてブルブルしている。

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