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アニメ「平家物語」を見て~びわはとは何だったのか?~

 結末についても触れていますので、まだ最終回まで見ていない方は注意です。

 アニメ「平家物語」が完結しました。
 私はネットフリックスで見ていました。
 京都アニメーションの「けいおん!」と「葦の形」の山田尚子監督が描く時代劇として見る前から興味深い作品でした。
 全11話を通して見ると、平家と言う当時の日本で最大権力を持つ一族の栄枯盛衰を描いた名作で面白かったです。
 絶えぬ野心を燃やす父清盛に、理性ある人として平家以外からも慕われる重盛、皇后になり帝の母親にもなって逞しくなる徳子、豪傑として頼れる武将の知盛、武芸よりも笛を嗜む繊細な心を持つが故に不憫な維盛、やんちゃ坊主から傾く平家を支えようとする資盛など
 これら個性のある平家の面々が清盛に振り回され、清盛が亡くなり源氏が攻めて来る危機を迎える。
 その激動にどう思い、どう動き、結末を迎えたか。それを描いた名作でした。

びわと言う存在

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 アニメ「平家物語」はオリジナルキャラクターとして、悠木碧さんが演じるびわが登場します。
 重盛が連れて帰り、平家で暮らすようになる琵琶を奏でる少女びわ
 びわは清盛が相手でも遠慮なく言いたい事を言うなど、平家の様々な人達と話し、何処かへ行く時も同行します。
 びわの存在はまさに道化師のようでもあり、当初は平家の一族を映すカメラの様な存在と言えます。作中では琵琶語りにより起こった事件について語るなど物語の語り部と言う立ち位置にあったと言えます。
 それが変わったのは、第7話で清盛が亡くなった直後です。
 資盛りによって、びわは追い出されてしまいます。
 びわは悲しむ事無く、資盛の思いを理解し平家の屋敷から出て行きます。びわはこれを機会に生き別れの母親を捜す旅に出ます。
 びわが離れた後で平家は京の都から落ち延び、清盛が作った街である福原に移りますが、ここも攻められて九州へ逃れます。
 この激動をびわがどう見て語るかを見たくもありましたが、びわは母親捜しの旅にある意味を見い出します。

びわとしての再出発

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 越後に行き、京に戻って出会った静御前からびわの母親らしき人が丹後に居ると知ります。
 丹後にある寺でびわはやっと母親(浅葱の方)と再会します。
 浅葱の方はびわをその特殊な力がある目で見えていたが、何も出来なかったと後悔を言います。びわはその言葉に浅葱の方が分かった上で何もしなかったと機嫌を悪くし、去ろうとします。
 浅葱の方はそんなびわに謝り、「静かに過ごすことを祈っている」と言います。この「祈る」と言う言葉を知った事でびわは自分の歩み方を見出します。
 これまで自分の目で見ていた様々な人々の行く末、「見えても何も出来ぬ」と自分の持つ力を生かせず嘆いていました。
 そこへ祈る事を知り、びわは滅び行く平家の行く末を見届け、祈りをする事を自分の使命とします。
 浅葱の方と出会うことで、運命に縛られない自分こそが見届けと祈りが出来ると分かったのです。だから「<あさぎ>ではなく<びわ>だ」と言い分かれたのです。

語り祈るびわ

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 びわは屋島から出て出家した維盛と再会します。
 そこで「山にでも隠れて」と言いますが維盛はびわの勧めを取り入れず、自ら命を絶つ結末へ向かいます。
 壇ノ裏の戦いでは、二位尼により入水させられそうになる安徳帝を止めようと手を伸ばすびわであったが、止められないと分かると手を引く。
 安徳帝に続き、海へ飛び込んだ徳子を「まだ先がある」と言い源氏の兵達と共に引き上げます。

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 維盛の最期を見て確定した未来は止められないと、びわは改めて悟ったのかもしれない。
 だから安徳帝と二位尼が入水するのをあえて止めず、未来が続くのが見えている徳子を助けたのかもしれません。
 びわは確定した未来へ手を出さないものの、変えられる未来には動いたと言えます。
 びわの祈りは何であろうか?
 重盛から貰った死者が見える片目で見て、亡き様々な者達が静かに過ごせる事かもしれない。
 最終回では平家一族が笑顔で揃う場面が登場する。
 現世での苦しみから解き放たれ、平穏に過ごしているような平家の面々
 これがびわが祈る亡き後の静かに過ごす姿なのかもしれない。
 そして見聞きし体験した平家の物語を、琵琶を弾きながら語るのです。
 「平家物語」でのびわは語り部であり、語る為に平家に同道するのは慈しみからであると言う意味も持たせたと思えました。
 (この慈しみは徳子が「赦す」と言う意志を述べた辺りも絡めているかもしれない)
 びわは滅ぶ平家を忘却させないと言う意味での救済者なのかもしれない。 

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