承認欲求の話。
私は承認欲求が強い、と自認している。それが良いか悪いかはそれぞれ個人の問題になってくるのであくまで私の場合だが、私の承認欲求は自己肯定感の低さから生じていると思う。
上手く世の中を渡れない(社会的スキルやコミュニケーション能力が低い)性分だから、余計に他者から認められることで自分の存在意義を確立しようとしてきた節があるのだ。昔から。
と言っても思春期真っ只中~社会人なりたてのひよっこ時代くらいまで、私は自分の承認欲求について意識していなかったと思う。
自己肯定感が低いことと承認欲求が強いことが同居するという現実がまったく矛盾しないことに気づいたのも割りと最近だ。
自己肯定感とはどんな自分でも『こんな私だけどこれでも大丈夫』と肩の力を抜けること。
と私は捉えている。大雑把に言えば。
別にこれでいいや~と努力放棄していい訳じゃないが、できない部分に落ち込んだり卑屈になったり妬んだり、よりできる部分に目を向けてみること。それで少しでも自分で自分を励ませるなら、多分他に挑戦する気力は自家発電できる。
他者からの肯定を否定するわけじゃない。それは糧になるし、単純に嬉しい。私の場合はnoteしかり、何かしら書いて発信しているから、反応があれば飛び上がる程嬉しい。
問題なのはそこに依存すること。
誉めてもらえるからする、だと結局自分の首がしまる。例えば仕事で頑張っても、いつの間にか『やって当たり前』になり、本来分担するはずの業務が『自分の仕事』に変わり果てた時、評価なんてされやしない。これで私はずいぶんイライラしたし、疲れた。
どんどん『やってあげたのに』と思い始めた自分にも嫌気がさした。
ならやらなければいいと言われても、しなけりゃ評価がまた下がるじゃない?
悪循環である。
今の職場でも悪循環からは完全に抜け出せてはいない。一度できた自分の形を組み直すのは難しい。
少しでも肩の力を抜けることができるように、せめてここでは自分を誉められる要素を作ってみようと、私は今日も記事を書く。
今日で(多分)25日目。やればできるんだなあと驚いている。