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捨てれる時間と捨てられない時間は大きく後悔することもある

こんにちは、勝本です。

皆さんはどうですか?

真剣に向き合いたい時に大事な試験大事なお仕事がある。
それを無視して好きな人と向き合うことができますか?

それが、できる人は何人いるでしょうか。
自分の為に生きているとは言え、好きな人も自分が好きになったという自分の幸せの為だと僕は思っています。

そんな僕が、「社会的猶予時間」というのことを言いました。
僕の使い方としては、自分の将来を選択ができる時間ということです。

それは、2度しかないと考えています。

小学6年生の中学受験
中学3年生の高校受験

ですが、僕は決して、高校に行くことが正しいとなんて思っていません。
それは、高校に行って何をしたいのかというところが一番誰も考えていない無駄になる時間だからです。

そんなことを思っている人がいても、私立受験や公立受験を受ける人がいます。

その中で、受験前で勉強をしなくてはならないのにも関わらず勉強をほっておいて好きな人のことを考えるという真っ直ぐな気持ちはうまれるのでしょうか。

実際、当事者になれば大きな不安があると思います。

簡単に言葉に表すと
受験どうしよう
好きな人とどうしよう
そんな不安こそが勉強を捨てたことによる捨てられない時間であり後悔に変わるのです。

ですが、もし真っ直ぐに思う気持ちが伝われば伝わったことで捨てた時間が幸せに変わり捨てれる時間になるでしょう。

人間はそんな単純な生き物でありながら私利私欲(開放感)に浸かりたいが為に言い訳をするのである。

そんな、大きな後悔をするまでに一歩客観的に考えてみても良いのではないかと思うが当事者になればそれはできなくなる。

だからこそ、その物事に決して批判をするのでも賛同するのでもなく客観的に言葉をかける必要がある。

だがしかし、それは、当事者からすると無駄言葉になることを忘れて
はならない。

無駄言葉によって関係がなどと恐れていれば恐れているほど逆に支援になり一番必要ではない言葉になる。

だからこそ、人間は人間同士の争いをするのである。

人間は無礼であり続け野生であり続けることで自然と分かち合えるとことがある。

気を遣って人と関わるほど人は距離を置くと思う。
日本は礼儀が厳しいなどいうが、僕は子どもの頃の学校の先生が「多くの人を不安にさせ無礼である様を見せてきたから」である。ということを実感してきたのであった。

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