ある宝飾店での熱狂
この世に生を受けて以来、腕時計という物を身に付けた経験がない私にとって、宝飾店ほど縁遠い場所は無い。
とは言え、歳を重ねると価値観という物はたえず変化するらしく最近になって全くと言って良い程、縁の無かった腕時計が妙に欲しくなってしまった。
取り敢えず家内と市内の宝飾店に腕時計を見て見たのだが、どれを選べば良いかさっぱり分からない。
デザイン性なのか?実用性なのか?
とにかく何事も選ぶセンスというものが皆無な私よりも女性目線での意見を尊重した方が良いと家内に主導権を任せてしまう始末である。
本当に腕時計が欲しいのかと疑ってしまうのだが、実際にショーケースの前であれやこれやと家内と選んでいると、店員の方が実際に腕時計を見せたり実際に着けさせてくれたり、説明してくれたりと中々楽しい事に気付く。
服を選んでいる時に介入してくる店員は厄介なものだが、宝飾店では厄介と思えないのは純粋に購入する機会の頻度と単価の違いだからだろう。
ショーケースの前で店員の方と時計談義しながら商品を吟味していると、背面のショーケースで4人のご婦人達が店長らしき人と何やら色々と話している事に気が付いた。
どうやら4人共が貴金属の購入を検討しているらしい。
目の前にある貴金属が欲しいご婦人達は、かなりヒートアップした様子でショーケースの中の商品を次々と取り出して貰っては、あーでもない、こーでもないと店長を前にしてひたすら喋っていた。
気分が高揚しておられる4人のご婦人方の発する声は時間と共に大きくなっているご様子で、すぐ後ろで時計を見ている私の耳に仔細漏らさず入ってくる。
どうやらご婦人達は店長を相手に其々の商品の値引き交渉をしている様子だった。
4人共が徒党を組んで、怒涛の如く店長に詰め寄るその光景は人間の持つ果てなき物欲の凄まじさや4人の併せ持つ自己顕示欲と嫉妬心を感じさせるが、同時にエミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』をも想起してしまった。
1852年にパリの地に世界初の百貨店が誕生した「ボン・マルシェ」を題材としたデパート小説だが、そのデパートの存在に魅了された貴婦人達も確か4人ではなかったか?
つまり、買い物に対する「熱狂」というものは170年という年月が経過した現在に置いても洋の東西を問わずして全く変化しないという事実を私の背面で店長に詰め寄るご婦人達が身を持って証明してくれた訳である。
「熱狂」についての戯れ言は過去の記事にも書いているが、この時に宝飾店の中で醸成されている熱狂感の根源は4人共がこの宝飾店で貴金属を購入したいという方向性の一致によるものである。
勿論、その4人の共闘関係にも似た空気を察して、ご婦人達を上手に相手にする店長の存在も「熱狂」の空気に一役買っている事も見逃せない。
どんなにご婦人達から詰め寄られても、最後に笑うのは宝飾店側であるという事を店長自身は知悉しているのだ。
ご婦人達と店長とのやり取りを最後まで見届けたい気持ちもあったのだが、時計購入は次回という事で途中で店を出てしまったから最終的にどうなったかは分からない。
だが、結果は火を見るより明らかだっただろう。
ご婦人達4人の買い物に対する熱狂は間違いなく『ボヌール・デ・ダム百貨店』の4人の貴婦人の再来であり憑依とも言えるし、ご婦人達を手玉に取った店長も作中のオクターヴ・ムーレとも重なると言える。
こうした何気無い宝飾店での一幕も、消費社会を背景にした恐ろしいまでの物欲を喚起する「巨大な機械」とそれに反応、搾取される「消費者」との決して解消する事が無いグロテスクな程の密接な関係性を如実に炙り出している事実を思うと、相場英雄『震える牛』やデイヴィット・ルイス『買わせる脳』を持ち出すまでも無く戦慄を覚えてしまうのである。