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世界幸福度ランキング1位のフィジー共和国の視点からNew Commonsを考える

2021年1月末に実施したウェルビーイングをテーマにした座談会の書き起こしです。1年半前に実施したのですが、改めて読み直しても多くの気づきや示唆に溢れいていました。多くの方に読んでいただきたい内容です。

座談会のパネラー


岡本克彦(以下、岡本):本日のNEC未来創造会議の分科会では、COVID-19の状況下注目されている「New Normal(新しい生活様式)」の先にある「New Commons」に関してゲストのみなさんと一緒に探求していきます。
本日のゲストを紹介します。世界幸福度ランキング1位のフィジー共和国でWell-beingを探求している幸せのスペシャリスト 永崎裕麻さん、株式会社eumo 岩波直樹さんと武井浩三さん、未来創造プロジェクトの西山勇太さんです。
永崎さんのキーノートスピーチ、他ゲストを交えたクロストークに先立ってNEC未来創造会議の概要を紹介します。

NEC未来創造会議とは

岡本:NEC未来創造会議で想定する未来は2050年、今から30年後の社会です。今の社会を見つめてみると、近視眼的な効率重視の判断で様々な分断が生まれているのが実態です。例えば、僕らが日常使っているストローがマイクロプラスチック問題として海洋汚染に繋がっているなど、人間と環境の分断もあります。同様に、効率重視の結果、人間・社会・環境・未来の分断が起きています。効率化が悪い訳ではなく、効率重視に偏重していることを問題視しています。効率は表現を変えればスピードです。高速で走ると自然に視野は狭まってしまう。無意識の内に様々な分断が生じていると言えます。

現在、2021年に目を向けるとCOVID-19で2回目の緊急事態宣言が発出されています2回目の緊急事態宣言前はGoToキャンペーンと僕ら一人ひとりの健康のどちらを優先するか?という議論がありました。両立できないジレンマの中、経済回復を重視するという判断が往々にしてあります。2030年にはSDGs、Sustainableとあるように地球(環境)の持続可能性を達成すべく、世界の共通目標になっています。NEC未来創造会議では社会(経済)、地球(環境)に加えて、2050年には一人ひとりがWell-beingになり人間力を発揮する社会の実現に向けて活動しています。
ただし、COVID-19に直面して、2050年まで待たずに社会(経済)・地球(環境)・人間の価値を同時に実現することが重要だと考え、同時に実現する考えを「New Commons」と称しています。
NEC未来創造会議では、バラエティに富んだ国内外の有識者と共にNECグループから公募で集まった未来創造プロジェクトメンバーが議論を通じて、実現すべき未来像・解決すべき課題・その解決方法を探求しています。

NEC未来創造会議では、2050年のありたい社会像として「意志共鳴型社会」を掲げています。人間・社会・環境・未来の分断を克服した社会です。他者理解を通じて自分の可能性に気づき、時空間を超えて仲間が集う。紡がれた物語の体感が挑戦への活力となり、小さな挑戦の連動が大きな未来を創造する、という社会です。ただし、意志共鳴するには現在の情報共有によるネットワーク(インターネット)では限界のため、体験共有によるネットワーク(エクスペリエンスネット)を通じて文脈やプロセスまで分かち合える社会OSが必要だと考えています。


フィジー共和国のWell-being紹介

岡本:ここからは今日のゲスト 永崎さんからフィジーのWell-beingを紹介していただきます。永崎さんの著書『世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論』のタイトルにあるように、僕らの視点では非常識かもしれないけど、フィジーの視点では常識という事例が多々あります。視点を変えることで見えることがあると思います。それでは永崎さんにバトンタッチします。拍手でお迎えください。

永崎裕麻さん(以下、永崎):よろしくお願いいたします。フィジーの話を30分くらいさせていただきます。フィジーの基本的な話からしていきます。この写真をご覧ください。一番フィジーらしい写真。日本でいうと居酒屋の様子です。伝統的な飲み物kava(カバ)を回し飲みします。日本だと同僚や友人と居酒屋に行きますが、フィジーの場合は色々な人が入り乱れて会話を楽しみます。街を歩いているとカバの飲み会の場に誘われます。フィジーの繋がりの場、繋がりを量産する場と言えます。

今日のコンテンツです。「なぜ、フィジー(自己紹介)」「フィジーの基本情報」「フィジー人の特徴」の3つを紹介します。

まずは、「なぜ、フィジー(自己紹介)」から。
今、43歳。フィジー歴14年で、英語学校の校長をしています。大学卒業後は大阪でサラリーマンをしていました。サラリーマン生活3年目に世界住みやすい街ランキングを知りました。ランキング好きで色々なランキングを見ています。大好きな大阪以外にも住みやすい街があると知りました。これからの長い人生、大坂以外の住みやすい街に住むのもいいと考え、2004年当時、ランキング1位のウィーン(オーストリア)に移住しようと思いましたが、音楽が不得意なので却下、2位のバンクーバー(カナダ)も寒いから却下。ここで気づきました。色々な評価の結果のランキングであり、自分にとっての住みやすい街ランキングではない。なので、主観版住みやすい街ランキングを作るために2005年から2007年まで世界約80カ国を巡りました。大阪より住みやすい街を探したけど見つからず、今まで以上に大阪を好きになりました。

日本に帰国した後、旅の集大成として日本の内閣府が主催する世界青年の船というプロジェクトに参加しました。国際交流事業で世界中から250人くらが集まり、船で3カ国くらいを旅しながら、環境や教育、ボランティアなどのテーマをディスカッションするプロジェクトでした。北米・中南米・中東・アフリカなど世界各国からメンバーが集まり、ここで初めてフィジー人に出会いました。フィジーの人口は90万人、日本にも200人くらいしか在住していないのでフィジー人に会う機会はほとんどないんですよね。
世界各国を巡りましたが、こんなに幸せそうな人たちを見たことがないというのがフィジー人の第一印象でした。当時、フィジーは幸福度で有名な国ではなかった。南太平洋の小さな国は幸福度ランキングの調査対象国から外されることが多いんですよね。最初に印象的だった出来事をマンガで伝えます。

僕が主人公のマンガなんですが、船の上で最初に自己紹介する機会がありって、すごく緊張していました。世界中を巡りましたが一人旅だったこともあり、久しぶりの集団の中ということもあり、緊張して頭が真っ白になってしまい...。そして、出てきた言葉が「この前、彼女と別れました」という不幸な言葉。それまで明るく朗らかな空気が流れていたのに冷えた空気に一変してシーンとなった瞬間、「ウヒャヒャ」という笑い声が響いたのですが、フィジー人の29歳の女性の笑い声でした。その笑い声につられて、他のメンバーも笑い始めました。窮地を助けてもらったとう感覚があり、休憩時間にお礼を兼ねて話しかけて笑った理由を聞いたら「全く面白くなかったけど、悲しい時ほど笑った方がいい」とのこと。僕自身、この価値観に感動すると共に、それを実践できていることにすごいと感じてフィジー人に注目するようになりました。

このプロジェクトは内閣府が管理監督する次世代リーダー育成事業として競争的な場面が多く、みんな、各国の代表として個人をアピールするのですが、フィジー人は全く競争にのってこない。フィジーのマイペースな暮らしを船の上でも再現している。他の国のメンバーがうまくパフォーマンスできずに泣いているとフィジー人はハグしたり。みんなにとってフィジー人はゆるキャラのような存在、歩くパワースポットのようだった。船を降りた後も一緒に暮らすことができたら、僕自身も幸せになれると考えた。必死に努力して達成するのではなく、自然にスッとなれるんじゃないか?そう思ってフィジーに2007年から移住することになりました。
今、フィジーで英語学校の校長をしていて、日本からの留学生を受け入れていますが、日本人は最初に「フィジー人はお金がないのに幸せそうですね」と言います。その言葉を聞いたフィジー人の先生は「日本人はお金がないと幸せになれないの?」と逆に質問を受ける。両者の価値観のギャップをブリッジするのが僕の役割。今はフィジーに加えて、デンマークにも住んでいて三拠点生活を送っています。

次に「フィジーの基本情報」を紹介します。

フィジーはオーストラリアの東にあり、日本からだと飛行機で9時間弱。330くらいの島で構成され、全部の面積を足すと四国くらいの大きさになります。観光立国です。日本人はハワイに行く人が多いですが、オーストラリア人やニュージランド人はフィジーを訪れます。外資が入っているため、ホテルの設備は充実しておりクオリティが高いです。新型コロナウィルスの市中感染者もゼロなので、マスクを付けて歩いている人は一人もいません。今後、ワーケーションで訪れる人が増えるのではないでしょうか?ラグビーも有名でオリンピックの7人制ラグビーで金メダルを獲得したこともあります。最近は幸福度ランキングで知名度も向上しています。

世界幸福度ランキングについて話します。ランキングは何種類もあり、大きく主観系と客観系に分かれます。フィジーは主観系のランキングで上位になります。シンプルな調査で「Are you happy?」と聞いて5段階で回答します。幸せな人から不幸せな人を引いた値を純粋幸福度と呼びます。日本のランキングは低いイメージがあるのですが、意外と上位です。ただし、特徴があり、回答にi don’t know.があり、世界平均が1%程度の選択率に対して日本は10%と世界で一番比率が高いです。
客観系の幸福度ランキングでは寿命や識字率、GDPなどの幸せの構成要素と言われるスコアが加わります。客観系だとフィジーは中位のランキングになります。主観系と客観系でフィジーのランキングは大きく異なります。ここで疑問に思うのは幸せの構成要素と言われるものは、本当に幸せの構成要素なのだろうか?ということ。
このあたりのことを述べたのが『世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論』。表紙はおじさんの写真。これには意味があり、子どもが幸せそうな国は多いのですが、おじさんが幸せそうな国は少ない。でも、フィジー人はおじさんも幸せなんです。

最後に「フィジー人の特徴」を紹介します。

幸せだと言っているフィジー人の4つの特徴を紹介します。
1つ目のキーワードは「脱力」。フィジーに来てから色々な社会実験をしている。その一つがATMでの実験。ATMでお金を下ろした後に「こんにちわ」「いくら下ろしましたか?」と話しかけます。そうするとフィジー人は教えてくれる。日本で実験したら教えてくれる人はいるのでしょうか?暗証番号を教えるは危険ですが、金額を伝えるのはそれほど危険ではないはず。日本人はリスクがない場面でもリスクがあると思いながら生活している気がします。例えるならば、防御するために鎧を着ながら生活しているような。確かに鎧をつけていれば危険があった時には守られるけど、普段から来ているのは正直しんどい。普段から消耗ばかりしている。脱力というキーワードを提示しましたが、疑わない力、人間を信用する力とも言えるかもしれません。フィジー人は信用の錬金術師といえる。お金の正体は信用と言われますが、フィジー人はお金がなくても生活できるというのは信用を打ち出の小槌のようにバンバンだせるので、信用の代替であるお金が不要なのではないでしょうか?

2つ目のキーワードは「シェア」。フィジー人はシェア先進国といえる。経済的に豊かでないので助け合う、シェアし合うのが当たり前。日本の高校生がフィジーに留学した時のエピソード。クラスでペンや消しゴムがなくなることが多い。なぜ、勝手に持っていくのか?と聞いた。すると、フィジー人はペンを貸して?と聞いてイヤと答える人はいない。であれば、わざわざ質問する必要はない。なんとなく、説得させられちゃう(笑)。逆に私たちは「ペンを貸して」と言ってほしいのか?と考えることにヒントがありそう。例えば、誰がなくしたかわかれば弁償してもらえるとか。しかし、フィジーでは誰かから貸してもらえなかったら他の人から借りるので問題にならないんですよね。
ニュースZEROという番組で私の妻がインタビューにこたえた時の映像です。フィジーでもfacebookなどのテクノロジーを使って物々交換の範囲、つまり、繋がりの範囲が広がっていることを紹介しました。テレビで話題になったスマホとヤギを交換しているシーン。フィジー人は損得、等価交換に執着していない。スマホと交換する時にiPhone5なのか、iPhone12なのかを気にしない。確認せずに交換しちゃう。フィジー人は物々交換の回数を増やす傾向があり、カヤックと豚を交換する人もいる。シェアは手段であり、つながりをつくるのが目的。幸福学の前野教授も幸福度が上がるのは割り勘でなく、おごり合うと言っている。割り勘は等価で単発で終わる。おごり合うは不等価で複数回。次につながっていく。例えば、岡本さんがイタリアをおごってくれた後に、私が岡本さんにサイゼリアでおごる。金額は違うけど、お互いに幸せ。フィジー人の物々交換はおごり合うことで幸福度が向上するのを象徴している気がします。

3つ目のキーワードは「いまここ」。今、この瞬間に集中するというマインドフルネスや瞑想と同様です。フィジー人はマインドフルネスとかしないですが、自然と“いまここ”ができている。これは洪水の時の写真。洪水で家や車が沈んでいるにも関わらず、ボディサーフィンして楽しんだりする。普通、車が沈んだら保険とかを心配するはずなのに、今この瞬間を楽しむことにフォーカスする。非常にたくましく、しなやかに楽しんでいることを実感します。今、この瞬間にフォーカスしている限り、不安とか後悔から脱することができます。

4つ目のキーワードは「依存」。フィジー人にとって自立は依存先を増やすという定義。一人で立つ必要はないという考え。よく隣人が僕の家に何かをもらいに来る。貧しくないのにもらいにくる。日本人は誰かを助ける時に、相手が全力を尽くしてもダメだった場合に手を差し伸べることが多い。一方でフィジー人は単純。スーパーより隣の家の方が近いうという理由。助け合うことのハードルが低い。日本でも受援力というキーワードが出てきていますが、この受援力が非常に高いんです。

フィジー人の特徴を再度まとめると「脱力・信用」「シェア」「いまここ」「依存」。みなさんも自分を振り返った場合に、得意なことと不得意なことがあるのではないでしょうか?これで私の事例紹介を終えます。ありがとうございました。

岡本:永崎さん、ありがとうございました。フィジーの事例を最初は非常識と思いながら聞きながらも途中から当たり前、常識なのでは?と思うようになっていたのではないでしょうか。チャット欄にも書き込みがありましたが日本でも昭和の時代には同様の生活を送っていた気もします。どこかのタイミングで環境が変化してしまったのでしょうか?


クロストーク

岡本:ここからは永崎さんの話を受けてクロストークにうつります。パネラーは、永崎さんに加えて、株式会社eumoの岩波さん・武井さん、未来創造プロジェクトの西山さんです。冒頭に述べたように、社会の成長・発展、地球の持続可能性、個人のWell-beingを同時に実現するためのヒントを見出していきます。お一人ずつ、自己紹介を兼ねて永崎さんの話の感想をお聞かせください。まずは岩波さんからお願いします。

岩波直樹さん(以下、岩波):株式会社eumoの岩波です。永崎さんとは昨年、eumoラジオで今日のように楽しい時間を過ごしました。eumoでは共感資本社会を目指しており、資本主義経済に代表される今の社会システムの限界が来ていて、人間の価値観も変わってきている中、新しい社会の仕組みを考えています。今日、この場もそうですが、私たちの認識・意識をどのように変えていくことが大切だと考えます。eumoアカデミーでは意識の拡大、つながりの形成、学びを提供しています。今、話を聞いての感想は僕らの活動と近しい。人間は支配欲や所有欲の概念が強くあり、否定するものではないのですが、行き過ぎてしまっているために起きている問題が増えている。フィジーは、これらの欲が薄い。フィジー人は支配欲や所有欲がなく、周囲も抱かないから成立している。ゲーム理論のように1割でも強い人が出てくると残り9割の人の生活も一変してしまう。支配や所有でなく、どのようにすれば、手放すことができる社会にできるのか?をみなさんと話してみたいです。


武井浩三さん(以下、武井):eumoラジオの時はニアミスで参加できなかったので、今日の話はめちゃくちゃ面白かったです。永崎さんのファンでマンガも全部読んでいます。関西弁がフィジー人の感覚にあっているんでしょうかね(笑)。直さんがほとんど話してくださったのですが、新しい社会の仕組みというのを日本だけでなく、世界が一丸となって目指すフェーズにあるため、社団法人を設立したり、世田谷で街づくりに取り組みながらお金に頼らない経済を作れるか?ということを個人的に色々と試しています。数多くの会社の顧問もしていて、お金以外、例えば、卵やチョコレートで役員報酬をもらったりしています。このようなことを自分で体験すると今までとは違う感情が明らかに芽生えてきます。体験を通じた啓蒙活動に取り組んでいます。フィジーと同様のテンションで生活してみたいですね。最近のマイブームは昼呑みです。こんな自己紹介となりますが、よろしくお願いいたします。

岡本:ありがとうございます。お金に頼らない社会というのも一つの切り口かもしれません。New Commonsをテーマにし、新しい価値基準と新しい共有財を議論します。今の代表的な共有財はお金で、価値基準は所有や支配とも言えます。例えば、今後も共有財はお金だとしても、価値基準を再定義するということもあるのではないでしょうか?
続いて、西山さん、お願いします。

西山勇太さん(以下、西山):永崎さんの話を聞いてフィジーに行きたくなりました。今はCOVID-19で行けないですが、落ち着いたらツアーを企画してみます。今、岩波さんや武井さんと一緒に未来創造プロジェクトで「GIFT&ACTION」という社会実験をしており、コミュニティコインを通じて応援と挑戦の交換をすることでお金の価値観が変わりつつあります。

岡本:NEC未来創造会議では今から30年後の2050年を構想するだけでなく、今から取り組めることにも着手しており、その一つが西山さんが紹介した社会実験「GIFT&ACTION」になります。今まではACTION(挑戦)がフィーチャーされることが多かったですが、GIFT(応援)にフィーチャーすることで誰もが挑戦者になれるような社会になることを思い描きつつ、社会実験に取り組んでいます。
さて、3名の感想を聞いて、永崎さんはいかがでしたか?

永崎:お金に頼らない経済という話もあり、やっぱりお金の依存度を下げるというか、お金の一般足打法から変えていくことが必要だと考えます。最近、メモリー資本主義を提唱しています。何を大切にするか、何を資本にして生きるか。僕はメモリーを資本にしながら生きています。例えば、岡本さんも人生で消されたくない思い出・記憶ってありますよね?

岡本:今から10年以上前に過労からCTスキャンしたことがあったのですが、過労死がよぎって、娘の手を握りながら寝たことがありました。もしかしたら明日からは娘の手をにぎることができないのでは?と考え、働き方やライフスタイルを転換するきっかけになりました。この時の娘の手のぬくもりは忘れられません。

永崎:ありがとうございます。色々な人に一番大切な思い出は何ですか?と聞くと、出産や結婚式をあげる人が多い。大切な思い出を売るという人もいますが、1億円積まれても売りたくないという答えが一番多い。でも、1億円稼ぐのってめちゃくちゃ大変ですよね。結婚式の記憶を1億円で売りたくないと思うのですが、実際に結婚式の空間をつくるのは1億円を稼ぐことより圧倒的に楽だと思うんですよ。でも、1億円で売りたくない。実際のお金より記憶に価値をシフトしているということ。今、僕は43歳で子どもが5歳と2歳。思い出をつくるのに最高のタイミング。お金を稼ぐことより思い出を量産する、荒稼ぎする時期だと感じる。このように考えると、人生をお金の一本足打法から脱出できそう。お金という客観的資本から、メモリーという主観的資本にシフトしていくと個人のWell-beingが向上していくと思います。

岡本:今、2つのキーワードがありました。一つは、多様な評価軸が必要ということ。お金の一本足打法からの脱却。もう一つは、新しい価値基準としてのメモリー。eumoさんが掲げる共感資本社会にも近しい考え方にも感じます。岩波さん、いかがでしょうか?

岩波:今の話、めちゃくちゃ面白い。メモリー資本主義、すごいですね。お金って結局手段じゃないですか。お金そのもので喜びって絶対に得られないんですよね。お金を何に使うのか?今の社会だと安心に使うのが一つだと思いますが、僕らは安心のために生きているのではない。今まで生きている中で一番記憶に残っていることって、お金とかで手に入れたことを言う人もいるけど、基本的には自分の感情が揺れ動く、つまり、人生のボラティリティの幅が最大化された時。めちゃくちゃうれしかったり、つらかったりしたことが記憶に残っている。安定している時は記憶に残らない。人生の喜びってなんだろう?死ぬ時でなく、死ぬ前に実感できることが大切。エコノミックキャピタル(経済資本)に加えて、ソーシャルキャピタル(社会資本)、ヒューマンキャピタル(人的資本)の3つのバランスが重要。人生において、ソーシャルキャピタルとヒューマンキャピタルをいかにして向上させるか、バランスさせるか。個人としても、社会としても、企業としても3つのバランスをとることが大切。エコノミックキャピタルに偏重すると色々な分断が生じる。そもそもヒューマンキャピタルを向上させないと関係性を構築できないのでソーシャルキャピタルも積み上がらない。日本人の幸福度を向上させるには、フィジーのように自立も一人でなく助け合うことでヒューマンキャピタル(人間性)とソーシャルキャピタル(関係性)を向上させる。そうすれば、過度にエコノミックキャピタルに依存した人生にならない。これって究極の人生のテーマとも思う。メモリーに残るような人生を送る、そのためには偶発性が重要。偶発性を得るためには計画性が高いとダメで、フィジー人のような脱力が大切。これらによって色々なドラマができあがるはず。

岡本:ありがとうございます。エコノミックキャピタル、お金だけに頼らない生き方。お金では表現できないソーシャルキャピタルやヒューマンキャピタル。まさにプライスレスの価値。

武井:まさにそのとおり。早く実現してほしいし、実現できていない現在にイライラすることもある。新しい価値観に触れて、色々な出会いがあり、お金の意味を考えるようになり、お金がない社会を作り出そうとしている訳ですが、一年前に母親が亡くなったのですが、余命宣告されてからは家族にとって辛い時期になりました。母親の行動が明らかに変わり、自分の持っているものを人にプレゼントし始めたんですよね。自分が持っていても意味がないからと。欲しい物がなくなっちゃったと。それが実に印象的で、何が欲しいかと聞いても旅行もしなくてもいい、只々、毎日家族のために料理を作って過ごしたいと。これが生きるという意味なんだと思って。今でも思い出すと涙が出てくる。

岡本:生きていることに感謝する。とても大切なことであり、僕らが忘れがちなことかもしれない。子どもが生まれた時に五体満足に感謝しますが、乙武洋匡さんが五体不満足という本を出した。最初は無いことが基準で有ることに感謝していたのに、いつのまにか有ることが基準になって無いことを不満に抱くようになっている。今までの話を聞いて、西山さん、いかがですか?

西山:企業ではお金で価値を証明しろ、お金にならないことはするなとずっと言われ続けてきたのですが、岩波さんたちと出会って価値観が一変した。お金も大事だし、そうでない価値も大事。以前は、会社を辞める時にお金をたくさん稼いだ人として卒業する姿を思い描いていたが、今は、あの人と一緒に過ごして楽しかったなと思われる人になりたいと考えるようになった。会社の人とも楽しかった時間をつくりたくて、対話の場を開催したり、ケーキを持って至ったりし始めた。思い出づくりって大切だと改めて思いました。

岡本:永崎さんに問いかけさせてください。メモリーを資本にする時に体験がベースになる。人生の長さで測る訳ではないが、人生経験が全くない人にはわからないかもしれない。また、身近な人の体験でなければ、自分事にならないかもしれない。今、New Normal(新しい生活様式)が注目されていますが、いきなり価値観を変えることはできるのでしょうか?

永崎:時間環境というのがキーワードなのでは?地球や社会を環境として認識しているように、時間も環境の一つとして捉える。僕たちは1日24時間365日を過ごしているが、COVID-19の中、活動が制限されて生活がスローになった。その結果、CO2排出量が削減されて地球環境が改善され、個々人の生活が地球環境にリンクしていることがわかった。フィジーと日本の違いの一つとして、フィジー人は圧倒的に時間を有している。フィジー人は日の出から日の入りまで腐るほど時間があると捉えている。日本人はじっとしていられない。時間があったら予定を詰め込んで自らが時間環境を汚している。そして、イライラする。馬鹿らしいことをしているのでは?時間環境を美化する時に邪魔になる考え方が「(社会・経済の)成長」。成長って必要なのだろうか?地球(環境)の持続可能性は大切、個人のWell-beingも大切。成長は一番プライオリティが低いと考える。日本は成長圧力が強い。高成長するために恐ろしいほどの時間を投下している。成長と時間は逆の意味を持つかもしれない。このイベントにも多くの人が個人の成長を目的にして2時間を費やして参加している。参加しなければ2時間が余っていたはず。日本は圧倒的に自助社会。自分で自分を助ける社会だから、自らが成長しなければならない。フィジーのような共助社会だったら、あまり成長欲求や成長圧力はないんですよね。

岡本:成長だけが答えではないかもしれない。成長でなく、発展という選択肢もあるかもしれない。社会の成長・発展、地球の持続可能性、個人のWell-beingを同時に実現する新しい価値基準、新しい共有財とは何か?例えば、共有財はお金のままで価値基準が所有・支配からシェアになるかもしれない。岩波さん、いかがでしょうか?

岩波:今の成長圧力に関する視点に関してチャットの書き込みが多いですね。成長とは何なのか?というそもそも論。今の社会では他者を支配する、他者から何かを奪う・所有sるために成長が必要と捉えられている。狭い話。生物的に考えると生きているだけで成長している。生きているということは動的変化。動的変化=成長。社会も動的変化しているので成長している。
クルミドコーヒーの影山知明さんが社会を自由と不自由、孤独と共生を軸にとって4象限で整理したんです。

一昔前の日本は「不自由な共生」。ルールが多いんです。当時、複業などの概念がなかったので、一つのコミュニティに属したら、そのコミュニティのルールに従わないといけない。言わば、同調圧力。共生はしているものの、窮屈な状態。で、自由を求めて都市部に出てくるんだけど、今度は「自由な孤立」が待っている。そして、分断が進んでしまう。隣の家で醤油を借りることができず、スーパーで購入する。稼いだお金で、お金を支払って何かをする。何をするにしてもお金を介在させるのでお金の流通量は増えて経済発展はするけども、人々は幸せではない状態。結果として経済発展はしたのですが、不自由と孤立を促進した。僕らが目指すのは「自由な共生」。実現のためには小さなコミュニティを増やすこと。複数のコミュニティに色々な度合いで関与する。開放型のコミュニティが連動することで価値が生まれる。NECはこれを意志共鳴型社会と呼んでいると思うんです。僕らで言うと共感資本。開放系で複数所属を前提とする。そのためには僕らの意識を変えること。意識を変えないと、お前はどこの所属なんだ?という議論になってしまう。日本的社会も好きだし、フィジーも好きだし、デンマークも好きだしという複数の考え方、複数のコミュニティ所属を前提とした多拠点生活をする人が増えると、開放型コミュニティが増えて、結果として社会がより良い状態(成長・成熟)になると思います。

岡本:自由な共生にするためには、それぞれの領域での体験が重要そうですね。それぞれでの体験や学びがあるからこそ、他の価値を受け止めることができる。つまり、学び続ける、体験するために必要な「時間」が共有財になるんでしょうね。西山さん、いかがですか?

西山:人との信頼が大切になりそう。NECグループはいい人ばかり。だけど、急にお金が絡むビジネスのお話になると人格が変わってしまう。共感は煩わしいと思うんだけど、効率的な手段と思います。例えば、武井さんのスケジュールを確認すると、プライベート情報も登録されたカレンダーを共有してくれて空いているところに入れていいと言われる。これって信頼や共感があるからこそ。ATMの話に戻ると、僕が普通に後ろに並んでいただけなのに、何をしているんですか?と言われたことがある。これは不信が前提の社会であることを象徴する事例にも思える。日本って過剰品質と言われることがあったが、相手との関係性においても同様に過剰に想像してしまい、それが優しさでなく、不信になっていまっているのではないか?

岡本:適度というバランス感覚が必要なんでしょうね。これまでの話から所有や支配という価値基準から、手放すやオープンというキーワードが見えてきました。ティール組織を実践されてきた武井さんは、どのように考えますか?

武井:どのような生き方が望ましいかとわかっている人が多くいるにも関わらず、どうして、そのように振る舞えないのか?ということに問題があると思う。タオイズムに興味関心があり、環境が人や組織を左右する、最適化しているんですよね。不動産にも関与していていることから街づくりが人間の社会構造自体を変えたりするので、人がその人らしく生きられる環境をデザインすることに取り組んできました。その一つが自然経営で「情報の透明性」「力の流動性」「感情の開放性」の3つが揃うと、人々の関係性が変わって自然の生態系同様に会社組織も社会も生きやすい社会になる。会社も社会も建物が構成しているのではなく、そこに集う人たちが形成している。なので、人々の関係性をデザインする。個人と社会の不一致をなくす、個別最適と全体最適の利潤の不一致をなくすことが大切。今も新型コロナウィルスで2回目の緊急事態宣言が発出されたにも関わらず、給付金を出さないという判断。困っている人を助けないのであれば、そもそも行政機関の役割ってなんだろう?個のための組織、個のための国家であるはずなのに、組織のための個、国家のための個というように逆転しているのが問題。

岡本:自然の時間軸に戻していくことが大切。パーパスに惹かれて会社に入った仲間同士にも関わらず、短期思考のため、分断が起きてしまう。だからこそ、オープンにして開放的にして環境をデザインすることでよりよい状態にする。永崎さん、いかがですか?

永崎:武井さんが仰っていた「情報の透明性」は、フィジーで浸透していると思いました。例えば、フィジーの英語学校では給料日前に先生同士で銀行口座の残高を見せ合うんです。それによって誰を助けなければいけないかを小さなコミュニティの中で見える化しているんです。今後は小さなコミュニティ単位で物事を発想できることが大切だと思います。日本からの留学生のエピソードが印象的。フィジーの学校で数学で良い点をとった時に日本だと嫉妬されるのに、フィジーだとみんなが喜んでくれた。日本では友達同士だけでなく、兄弟の中でも嫉妬することがありませんか?家族の中に数学ができる兄弟がいたらプラスなはずなのに、そのように捉えられない。もう少しコミュニティの枠組み、コミュニティ全体の幸せという観点で数学が得意な仲間がいることを喜べる考え方が大切だと思う。マズローの5段階欲求で6番目「コミュニティ発展欲求」がある。慶応大学の若杉先生による例え話。自分と相手のコップがあって、お互いのコップから水が溢れる。こぼれた水は一緒になる。どこからが自分の水で、どこからが相手の水なのか?誰のためという境目がなくなっている状態、すべてはみんなのためという状態がコミュニティ発展欲求だと考えます。フィジーは、このような状態が自然にできている。

岡本:コミュニティというキーワード。NEC未来創造会議でもコミュニティが重要なステークホルダーになると考えている。MDGsは国、SDGsは企業、After SDGsではコミュニティが重要になるはず。会社もCompanyからCommunityに変わることを提唱している。会社(Company)だと建物を想起してしまう。会社に集まる人に注目する。では、コミュニティの未来像について議論したい。スペキュラティブデザインで描く4つの未来シナリオムービーの一つ「巣ごもり社会」(自律分散×持続可能性)を見て、みなさんの意見をお聞かせください。西山さん、いかがですか?

西山:以前は小さいコミュニティが良いと思っていました。会社に入ってヒエラルキーの下にいる時に上にいる人がスゴイと思っていた。一緒に活動するイメージが浮かばないこともあり、ヒエラルキー組織よりも小さなコミュニティがいいと思っていた。しかし、実際には自分の心の壁があったことに気づいた。上と下に関係なく、みんな、良い人ばかり。自分が経験を積み重ねることで見えてきたことがある。つながることが大切だと思いながらできていなかった。eumoのみなさんやフィジーの話を聞いて、つながることの楽しさを実感できる体験が増えるといいと思う。

岡本:永崎さんの話でもシェアは手段で、つながることが目的とのことでした。つながることが価値基準になるんでしょうか?そして、つながり方を知らないことが課題とも言えそうです。武井さん、いかがでしょうか?

武井:西山さんの理論ではなく、一次情報を通じた話、生き方に触れると、岩波さんがよくエネルギーの循環の話をしますが、疲労が蓄積していたのですが、お風呂上がりのような気持ちよさがあります。こんな話ですみません(笑)。

岡本:NEC未来創造会議では情報でつながる社会から体験でつながる社会、エクスペリエンスネットを提唱しています。お金のような数値として測れるものでなく、数値では表現しきれない五感で感じる体験を流通させることに意義があると考えていますが、同様のことなんだろうと思いました。岩波さん、いかがでしょうか?

岩波:コミュニティの力を感じますよね。コミュニティに良し悪しはないのですが、抑圧する関係にはなりたくないですよね。生命の維持には貢献しても、生命力そのものは向上しないのは避けたい。一概にコミュニティを一つにまとめることはできませんが、コミュニティは多重生命である。色々な生命が連鎖することで社会が成り立っている。コミュニティにはエネルギーが循環しているのが自然な状態。そうするとコミュニティの水が自然に溢れる。そうすると境目がなくなる。未来シナリオムービー「巣ごもり社会」はコップの水が溢れていない状態なんでしょうね。

岡本:エネルギーの循環と聞いて遠心力を思い浮かべました。循環が少ないと巣ごもり社会になる。エネルギーが循環していると遠心力が働いてコップの水が溢れる。自然に手放して、自然と他コミュニティとつながる状態になるんでしょうね。

永崎:コミュニティ同士がつながることと個人同士がつながることはあまり変わらない。つながることのプロであるフィジー人。普段は毎年の目標設定をしないのですが、今年は2つの目標を立てました。一つは毎月遺書を書く、もう一つは9歳以下の友達をたくさんつくる。フィジー人は大人以上に子どもはつながる天才。勝手につながってしまうからこそ、僕が日本に戻ると友だちをつくるのが下手になっていると思うんです。フィジーの子どもたちがNとSのような強い磁力を持っているのかを調べている。今、気づいたのは笑顔。笑顔は動物に使えない人間の武器。フィジー人は笑顔という武器を最大限に使っている。お金が絡むと笑顔が消える。お金に束縛されていない子どもにヒントがあると思う。

岡本:遺書を書くことは生きるにも関係しているのかも。自分たちでスピードアップして生きづらい社会にしているのであれば、自分たちでスピードダウンして生きやすい社会に戻せるはず。

Q&A

岡本:参加者からの質問をピックアップしてみます。先ほど、スマホとヤギを交換する事例もありましたが、フィジー人には等価という価値観はないのでしょうか?

永崎:等価という価値観もありますが、程度が違うんでしょうね。日本人は等価にこだわり過ぎているんでしょうね。フィジー人は今に集中しているので、今、マンゴーが2個あるのであれば、それをお返しする。圧倒的にやりとり(交換)の回数が多い。総量で考える。総量であれば、ほぼ等価になっているはず。一回ずつの等価の交換にこだわらない。私たちも1回ごとの不等価に慣れていく必要があるのでは?そうすると色々なストレスからも開放されるでのは?

岡本:先ほど、岩波さんから不自由さに関する話もありましたが、等価が不自由さを生んでいるのかもしれません。
もう一つの質問です。フィジーの企業は営利目的を追求しているのか?違う価値観を追求しているのか?

永崎:あまり考えていないかも。フィジーで出店すると数日で倒産するケースが多い。それは商品をみんなにギフトしちゃうから。今、インドから企業や労働者が進出してきていて、ビジネスを任せるケースが多い。フィジー人はビジネスマインドが小さいんでしょうね。

クロージング

岡本:あっという間に時間が過ぎてしまいました。お一人ずつ、感想と参加者へのメッセージをお願いします。

西山:このメンバーでクロストークできて、うれしかったし、楽しかった。フィジーに行きたいし、みんなで行きましょう。

武井:永崎さんと話せてよかった。そして、スッキリした。今の社会に大切なのは重なり合い。繋がり合い以上に重なり合いが大切。重なり合うことで生きやすくなるはず。

岩波:このメンバー、面白いですね。このメンバーもたまたま出会って、たまたまこの機会をつくって、それを実現して。偶然を大切にしていきたいですね。そして、フィジーに行きたいですよね。人・本・旅は人を成長させる。次はフィジーですね(笑)。

永崎:今回の機会に関して、すべての人に感謝します。フィジーに注目してくれてうれしいです。アフリカの格言「早く行きたければ一人で行け、遠くに行きたければみんなで行け」。ビジネスでよく使われる格言。フィジー人の仲間に伝えたら、行かないという選択肢はないのですか?と聞かれた。遠くに行かなくていいし、早く行かなくていい。第3の選択肢をもつことが大切かも。フィジーの幸せを伝えることは、日本に第3の選択肢をプレゼントすることなのかもしれないです。

岡本:選択肢の大切さ。お金という一本足打法からの脱却。複数の選択肢をもつこと。そこには、やらないという選択肢もあること。今日は多くの気づきをありがとうございました。


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