真の自立とは / 不確実な未来に対して選択肢を持つこと
僕の人生二毛作目は企業間フューチャーセンターから始まり、10年ちょっとが過ぎました。
NEC未来創造会議での学びや、こすぎの大学などの地域コミュニティを通じての経験から「複数の選択肢をもつこと」「共感・共鳴できる仲間との相互扶助(共助)」の大切さを大人になってから学びましたが、娘の勉強をサポートしていたら教科書に同様の内容が述べられていました。
「真の自立とは」(著:鷲田清一)
私たちの社会では、できる、できないということが極めて一元的に語られ、何かが「できる」のはプラスで、「できない」はマイナスもしくは欠落であると単純に捉えられてしまいます。
(中略)
では「自立している」とは、どのようなことを言うのでしょうか。私が思うに、自立とは、自分のことはできる限り自分でするが、助けが必要になった時に電話をかける相手がいるということです。つまり、いざという時に助け合う相互依存のネットワークをいつでも起動できること。その準備が日頃からできている状態が自立なのです。
大切なことは学校で学んでいるんですよね…。自分が忘れてしまっているだけ…。
大切なのは「(画一的な)正しさ」よりも「寛容さ」。画一的な正しさは攻撃的でトゲトゲした社会、もしくは無寛容な社会にしかならない気がします。
この数年、大学で講義(話題提供)する機会を頂戴しており、そこで伝えているのが「不確実な未来に対して選択肢を持つこと」の大切さです。画一的な評価基準(正しさ)だけを追求すると、その評価軸から逃れられなくなり、固執してしまう。
講義資料を更新している際に目に止まったのが娘の教科書「真の自立とは」でした。思考もクリアになった結果、選択肢を持つことの大切さをバスケットボールのピボットでも表現できました。いい感じ!
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