ちょっとだけ気づけた、自分を愛するということ
好きなものに囲まれた部屋に暮らしたい。
けれど片付けがとことん苦手。
どうしたらいいか考えただけで泣きそうになる。
思考停止して、見ないようにしてる。
でもある日なんか気づいた。
それは変わりたいって願う自分を無視していること。
誰よりも自分を一番大切にしていないということに。
なんとなく昔から自分に向き合うのが苦手。
何を考えていて、何を欲しがっていて、何に満たされるのか。
なぜかあまり考えないようにしてきた。
人のことをやっていると自分に向き合わなくて済むから、家族のことや他人のことで埋めて見ないようにしてきた。
叶わないのがこわかったのかな。
主張せず謙虚でいることが正しいと勘違いしたのかな。
自分のために過ごす練習をした。
自分のための朝食を作る。
自分のために食器を洗う。
自分のためにトイレを掃除して、古い洋服を捨てる。
自分のために昼食を作って、掃除機をかけて、買い出しに行って。
全部、全部ただ自分のために。
誰かにやらされてるわけでもなく、誰かのためでもなく、ただひとりの自分のために。
一日の終わり、心地よい疲れと感じたことのない満たされた気持ちが残った。
様々なものを消費することで埋めてきた寂しさが、和らぐ気がした。
翌日も、昨日の自分がやってくれた形跡を見て嬉しくなる。
こんな積み重ねで、私は私をかわいがってやれるんだと思った。
もちろんまだ毎日はできないのだけれど。
自分の声に逃げずに自分を愛してやれれば、他人を愛するということが分かるのだろう。
反対に自分を愛することができなければ、他人に対する愛も本質のない上っ面のものになるのだろう。
今まで物で甘やかすことしかできなかった自分へ、本質的な豊かさを与えてあげたい。
自分で作れる程度の美味しいご飯。
小さいけれど居心地のいい部屋。
少ないけれどお気に入りの服。
私が本当に好きなものだけ残そう。
やっと、やっと、大切なことが少しわかった気がしている。
いっつも遅いんだ。ほんとうに。
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