孤独と向き合うこと(研修の覚書)

先日受けたとある研修の、講師の話が興味深かったから覚え書き。

人口減少が進む社会。
大家族から核家族へ、そして単身へ。
高齢期になれば、家族も仕事ももう身近にはないかもしれない。
どこにも属さずに1人で暮らす人の多い社会が必然的にやってくる。
ひとりひとりが孤独と向き合う社会。

孤独とどう付き合うか。
趣味や友達や居場所があれば紛れるだろうか。
自分にとってのそれは何だろうか。

孤独にならぬよう人との繋がりを求めていく人もいれば、どうしてもそれが苦手な人もいるだろう。
ひとりぼっちであることを直視したくないとき、少しの間忘れたいとき、一体何にすがるだろうか。

お酒だったり、ギャンブルだったり、食べることだったり、
買い物だったり、ゲームだったり、ネットだったり。
現代社会ではいくらでもその手段はあって、手軽に手に入れることができる。
人と繋がらなくても個人的な楽しみを満たすことはできるし、誰にも邪魔されない自由を味わうことだってできる。

ただ、そんな楽しみがひとつしかなかったら。
たったひとつしか、孤独を拭えるものがなかったらそれは少し危険なのかもしれない。
束の間忘れたかったのは孤独感だったのに、いつの間にかのめり込んで自分の存在すら忘れてしまいたくなっているかもしれない。

できれば寂しい時に寂しいと素直に言える場があるといい。
束の間没頭できる楽しみはいくつか持っていた方がいい。
のめり込まなくとも心の安寧を保てる術を、今から見つけておけるといい。
そして、たくさんのひとりぼっちの人々が、追い詰められて孤独感で潰れてしまわぬよう、生きやすい社会になっていてほしい。

大勢の孤独な人々がそれぞれのままに生きていけるように。
自分は自分の孤独とどう向き合うのか、考えてみることが終活のはじまりなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?