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難聴の原因が希少疾患とわかって人工内耳になるまでの体験まとめ(14)

難聴者の研究をほそぼそはじめるようになったが、さえない状況が続く。ちなみに自分の病気がわかる6年前のことである。

このところの状況

やっと1週間の仕事が終わった。やっと12コマ終わった。

木曜日、10コマ過ぎたあたりから、もう声を出したくなくなります。
もう話すことがない、という気持ちになります。

昨日は午前中に東京某市で1コマ、夕方に神奈川某市で1コマ、
そのあとで東京某市で所属研究室にゆかりのある人で宴会でした。
授業の準備でゆうべ1.5時間くらいしか寝てなかったので
ふらふら。なるべく隅っこでおとなしく、じっとしていたのであった。
お店を予約したのが自分だったので、会計などでいないといけないから
半分ねそうになりながら、オーダーラストまでお茶飲んでました。

そしてうちに帰ったら、翌日の授業の準備をなんにもせずに寝てしまった。
翌朝起きてから、驚異のスパートでの準備を強いられました。
こんな綱渡り的なありさまなので、いやになります。

来週で40歳になるので、何か欲しいものはないかと聞かれた。
思い浮かんだのが、寝る時間とか、休みとか、一人になりたいとか、
定職とか、もっと聞こえる耳とか、疲れないからだとか、金で買えないものばかりだった。

ということで、あまりさえないこのところの状況であった。
2011年10月21日21:00

そのまま2011年は終わりを迎えようとしていた。年末恒例で書いていた当時のパーソナル10大ニュースはこんな感じ。

パーソナル10大ニュース

大晦日という気持ちがまったくないが,あしたから2012年らしいので,
2011年のパーソナル10大ニュースを書いてみる。
思い出した順です。

1.東日本大震災で帰宅困難者となった。
地震にあったバイト先のKすみがせきから横浜まで,30キロほど歩いて帰りました。

2.科研費(若手B)にはじめて通った。
これまで応募できる環境になくて,最初で最後の若手B応募でした。
受け入れ先の件では,複数の先生方にご迷惑ご心配をおかけしてしまいました。

3.民間の研究助成に通った。
某財団の研究助成に通りました。こちらも難聴研究です。
贈呈式なるものにはじめて出席しました。

4.非常勤が週12コマになった。
大学の非常勤講師の仕事7年目にして,はじめて週12コマをやることになりました。
7つの大学で教えているので,今日はどこに行く日だったっけと,一瞬混乱しそうになるときもあったのだった。

5.学会大会のスタッフをはじめて経験した。
某学会大会が某大某学部で開催されて,はじめてスタッフを経験した。
ワークショップ2つとポスター発表もあったので,たいへんめまぐるしかった。
ついこないだ,スタッフのバイト代が振り込まれていた。思わぬ収入という感じでややうれしい。
(略)
6.日本語を学ぶ講座を受講した
某研修センターが主催する,「共通語~基礎と診断~」と「人前で話す基本コース」を受講しました。自分の話し方の癖がわかってとても有益だった。来年は「実践プレゼンテーション」を受講する予定です。
(略)
8.某中途失聴・難聴者協会にはいった
某中途失聴・難聴者協会にはいりました。
手話教室に参加したり,調査票の配布にご協力いただいたりしました。

9.40歳になった
10代の頃にくらべて,体力と記憶力のおとろえははげしく,徹夜はできなくなり,感情の起伏ははげしくなくなり,ややずうずうしさが増しました。

10.大学院に受かった
某大学院の臨床心理学プログラムを秋に受験して,こないだ合格通知を受けた。臨床心理学の勉強・研究をきちんとやりたいため。
就職はまったくきまっていないので,来年の身の振り方はまったく未定だが,「所属なし」だけはなんとか免れたのだった。

ということで,よいこともわるいこともありました。
よい年末年始をお過ごしください。
2011年12月31日17:51

日記のコメントへの回答

大学院については,メンタルヘルスがらみの研究をしていると,資格がないことがいろいろとハンデになるなと思わされる事態があって,やむにやまれずという理由もあります。
臨床心理学の知識は学部レベルで,それ以上の勉強をしていないので,
きちんとやろうと思った,という理由もあるのですが。
とりあえず所属も確保できて安心しました…。


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