難聴の原因が希少疾患とわかって人工内耳になるまでの体験まとめ
はじめに
日本福祉大学大学院に修士論文「人工内耳者当事者研究―障害への適応に焦点をあてて―」を2022年に提出しました。小学生の頃に難聴がみつかり、原因不明なまま長期間過ごし、35年後に希少疾患が判明して人工内耳を装用したという体験をまとめたものです。
修論には「原因不明なまま長期間過ごし」の時期に限定公開で書いてきたブログやSNSでの記述を分析対象にした研究も含まれています。今後論文や単著として公刊したいと思っているため、記述した体験の内容を誰でも読めるところに公開したほうがよいと考えました。公開にあたり、特定の個人や機関が明らかにならないよう表現を修正して体験の記述をこちらに載せていきます。
補聴器をつくるの巻1
子どもの頃から原因不明の難聴になやまされていたが,とうとう補聴器をつくることにした。値段のことなどが気になって躊躇していたが,周りに迷惑をかけどおしなのでふんぎりがついた。めがねにくらべるとマイナーなので,経過を書いてみることにする。
耳管の機能が気になったので,検査ができる在住市に近い某市の某耳鼻科に行った。
耳管はだいじょうぶだったが,2種類の聴力検査をしたら低音部の感音性難聴と診断された。
さらに内視鏡で鼻の奥を見た。こんなの入るのかと思ったがするする入る。痛くはないが,こよりを奥まで入れてるみたいな。くしゃみしたらどうしようとか思いながらじっと耐える。そしたら鼻までわるいことがわかり,慢性副鼻腔炎(ちくのう症)ということで漢方薬を処方されたのだった。耳鼻科で漢方をもらうとは思わなかった。荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)という超苦いやつ。が,飲んだらすぐに鼻の通りがよくなった。そのききめにおどろきましたよ。もっとゆるゆる効くものかと思ったのに。
ということで,来週に補聴器を作ることになったのだった。
つづく
2009年02月16日22:03
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