◆オーディトリー・ニューロパシー(76):聴覚障害者度高め
この地に移るまでコンスタントに参加させてもらっていたある落語稽古の集まりにひさしぶりに参加させてもらった。ネタは「宗論」。いろいろな改善点を師匠からたくさん指摘していただいたのはよかった。
・よかったはよかったのだが、ここ2,3年でわたしの言葉を聞き取る力が急落しているのにくわえて、3,4メートル離れたところからの師匠の講評を聞くのが難儀で何度も何度も聞き返さないといけなかった。手元に音声認識アプリを置いてみるも音源から遠いので何もなしでは認識が難しい。ワイヤレスマイクを音源におけばよかったが、その用意をしてこなかった。指摘されたことの記録があっているかどうかの確信度も半々くらいで終わる。
・こんなありさまなので、その後の打ち上げも遠慮する予定でいたのだけど、お声を掛けていただいたので参加する。飲食店のBGMがあまりにも大きかったので、よく聞こえないのでBGMを止めてもらえないかとお願いしたらありがたいことに止めてもらえた。お願いしてみるものだと思った。
・それでも話が聞き取れるのは主観で1,2割というところ。両隣の人からの質問はわかったけど、それ以上離れるともうわからない。みんなが何に爆笑しているのかまったくわからないので、とりあえず音源に顔を向けて興味深い顔で聞いてるふうでいるか、食べてるか、楽しそうな雰囲気だなと思うか、考え事するかであった。以前は自分も何がおかしいのかわからないのに爆笑して「会食の席で会話を楽しむ」演技をしていたのだが、誤解を招きかねないからやめてしまった。
こうなることはわかっていたので欠席の予定であった。再度のお声掛けであんまり無下に断るのも失礼なのでお邪魔したのだがなかなかいたたまれない時間であった。私は飲まないので食べるほう専門。仕事関係ははずせない。趣味関係では雰囲気だけでも楽しみたい場合は出ることにしている。
・今日は全体的に聴覚障害者度高め。環境や状況によって聴覚障害者度が低く健聴者に近い感じでふるまえたり、聴覚障害者度が高く重度聴覚障害者のようなふるまいになったりする。聞こえにくいからと言って社会活動の場から引きこもってしまうのはよくないと重々承知しているので、どういう工夫があれば社会活動に参加しやすいかを考えないといけない。
つまり、この文脈でいう障害とは私の中だけにあるものではなく、わたしと周りの人との間にあるのだ。
2019.12.22
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