外国語をマスターする方法
外国語をマスターすために、どのような方法があるだろうか。
英語なら英会話学校に通ったり、最近ならスカイプでマンツーマンレッスンを受けたり。
私も人並みに中学校で3年間、高校で3年間、英語の授業を受けた。公立の平均的な生徒だったので、定期テストは集中的に教科書準拠問題集なんかでみっちり試験範囲だけを勉強して70点くらいで整えられた。でも進研模試や代ゼミ模試など、実力テストではからっきしダメというパターンだった。
大学入試で本命が不合格だったので浪人し、京都の今は無き、関西文理学院という予備校の鞍馬口校に通った。私大コースは4クラスあったが、どのクラスも生徒は1クラス400人くらいおり、今となっては過去物語の大教室でのマスプロ授業だった。
「英語構文」「英文法」「長文読解」「早慶英語」など、英語だけでもいくつも授業があったが、やはりダメだった(一応、早慶コース所属だったが、これはそのレベルで入ったのではなく、早期に高校の調査書の評定平均値で入ったものなので、実力は伴ってのものではなかった)。
「長文読解」の授業がきっかけだった。担当なさっていた甲先生が、英語をマスターしたければ「手で書くこと30回、口で言うこと60回に勝るものはない」とおっしゃった。「言葉が出てくるのは使っているから出てくるのだから、使う機会がないのなら唱えろ」ということだ。
「お坊さんがお経を丸暗記しているのは、毎日毎日唱えているからだ」
「みんな、生まれてから日本語を覚えるときに、『カ行変格活用』とか言って言葉を覚えたはずはないはずだ。何も考えないで『ママ』という単語を覚えたはずだ」
「文法は整理するためのもので、整理は後だ」
「have や run や take の意味を一つひとつ覚えるわけにはいかないだろう。どのようなときにどのような意味になるかは、唱えて覚えろ」と。
予備校では何か読解のテクニックが教えられるものと思っていた私はには、まさに目からウロコだった。
「確かに、お坊さんは唱えている」
そこで、分からない時は訳を頼りに、とにかくテキストの英文をお坊さんのように唱えることに努めた。他の教科(日本史)の教科書も同じように唱えた。ブツブツと唱えた。ライバルたちが参考書を手にマーカーを走らせているのをしり目に、とにかく唱えた。そうして秋を迎えるころには、不思議なことに、ひとしきり大意はつかめるようになってきた。以後、これが自分の語学マスターの勉強方法のベースになった。
大学に入ってからの第二外国語も、「英語の轍は踏まない」と決め、とにかく唱えまくった。
この方法は、後で大学院入試を受ける時には役立った。大学院入試の英語の試験の範囲は、それこそ「地球上で刊行された英語文献すべて」なので対策の立てようもない。過去問を見ても最初に英文がずらっと並び、設問は「訳せ」だけ。とにかく読めなければ話にならない。そこでバートランド・ラッセルの評論集の対訳付き(A5判、左ページに英文、見開き右ページに訳文)の30講座の薄い問題集だけを利用した。
1日目は第1講を5回朗読。
2日目は第1講を朗読して、第2講を5回朗読。
3日目は第1講を朗読して、第2講を朗読して、第3講を5回朗読
このような感じでひたすら唱えた。
大学院は第1志望の国立に合格できた。
語学のマスター法としては力業かもしれないが、似たような学習法は、大学受験のときに古文でも遭遇した。あながち間違った方法ではないとは思う。
そういえば東進ハイスクールの安河内哲也先生も「英語=実技」「机に座って勉強するものではない」として、徹底的に音読すること、「音読が全て」とおっしゃっている。
語学学校にお金をかけても効果があがらない人は、試してみる価値があるかもしれない。ただし、お坊さんのように唱えるのだから、同じくらい孤独で修行のようではあるが。