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文章力向上の秘訣~読書カード~
文章力をつけるためのハウツー本は巷にこれでもかというくらい溢れている。自在に文章を書ける人には、それぞれ一家言あり、それだけハウツー本も種類が豊富になるのだろう。
昔はどうだったのだろう??
太古の昔(といっても江戸時代くらい)は、国際公用語としては漢文の四書五経を徹底的に叩き込み、日常の文章としては往来物を手本としてさんざん書き写したのだろう。
明治時代になって世に小説なるものが出ると、書生は作家の家に居候しながら先生の小説などを、昧読するだけではあきたらず、ひたすら書き写した。コピー機なるものがない時代だから、ひたすら書き写し、文章力を鍛え上げたのだろう。
さて、ここではちょっと違った方法をご紹介しよう。
私が大学院生の頃、膨大な論文や著書に目を通すうち、それらがうずたかく積もってゆくことにさすがに恐怖に近い嫌気がさしていた。そこで何とか整理しようと考えたが、整理して箱にしまうと、次に必要な時に取り出すことが困難になる。そこでコンテンツそのものを圧縮できないかと考え、論文ならA5サイズのカード1枚に、著書ならカード3枚に内容をまとめることにし、そのカードをファイリングしていつでも見返せるようにした。カードの内容は研究発表や院ゼミ発表などで必要になるので、過不足なく必要な情報を書き込んでおかなければならない。
そうこうして研究者の道をあきらめ、教職や予備校講師をしながらも、カードだけはせっせととり続けた。教職にあっても、教科書に依らない授業をするためには自分でいろいろな調査報告や論文を読んでカードにとった。
(教科書に依らない授業については、いずれその真意を)
やがて大阪の学習塾で社員講師として働くことになった。その塾では生徒アンケートで8割評価を下回った授業の担当講師は自己批判文を提出しなければならなかった。恥ずかしながら、私も何枚も自己批判文を書かされた。その自己批判文は全て校舎長が目を通すのだが、ある日、
「先生はどこかで文章の書き方を習った?」
(何を聞かれるんだろう??)「いいえ」
「ふうん。先生の文章、めっちゃ読みやすい」
と意外なお言葉。
またある日、教科会で、教科主任が
「解答解説の読みやすさの点で、今後、解説の執筆は先生にお願いしたい」と言われた。
「はあ」(そうなんだ!? 多少、うぬぼれました)
文章の書き方なんて習ったことはないけれど、思い当たることと言えば、数年来続けていた論文・著書の読書ノートくらい。後で活用しなければならないから、少なくともA5という限られたスペースで「自分」という読者には理解できるように書くように努めていた。今から思えばその効果があったのかも。
本の整理も兼ねて読書カードをせっせと作れば、本は整理できるしコンパクトな文章を書くトレーニングにもなる。これぞ一石二鳥。また、何も書くテーマが見つからない時には、「とりあえず読書ノート」という逃げ口で書く営みを続けることができる。そうすれば一石三鳥。
ただし、私自身といえば、今はカードは何もとっていない。文章は、書かなければ書けなくなる。この文章そのものが読みやすい文章であるかどうかは、保証の限りではないが。