Katsurao AIR アーティストインタビュー vol.1 大槻唯我さん
アーティストが葛尾村に滞在してリサーチや制作を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「Katsurao AIR(カツラオエアー)」。11月の1か月間は、3名のアーティストが葛尾村で暮らし、それぞれの視点から制作に取り組みました。11月24日(金)から26日(日)の3日間は葛尾村復興交流館あぜりあと、葛尾村立葛尾中学校校舎にて活動報告会を開催し、たくさんの方にご来場いただきました。また、11月17日(金)には、葛尾村を飛び出して大熊インキュベーションセンターでのアーティストトークを実施。これまでの取り組みや、制作過程のなかで思うことについて語っていただきました。ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました!本稿では、滞在アーティスト 大槻唯我さんのインタビューをお届けします。(聞き手:Katsurao Collective 阪本健吾)
OHTSUKI Yuiga
大槻 唯我
2023 東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程先端芸術表現専攻修了
2019 東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了
2014 武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業
1990年兵庫県生まれ。東京を拠点に制作活動を行う。被写体となる土地の詳細なリサーチに基づき、死と生、人の営み、風土、場所をテーマとする写真作品の制作を行う。第13回写真「1_WALL」奨励賞受賞(2015)。主な展覧会に、「傾がずの原」(個展、ニコンサロン新宿/大阪、2015)、「『風景』のつくりかた」(目黒区美術館区民ギャラリー、2021)など。
―—生まれ育ちはどちらですか?どんな子どもだったのか、聞いてみたいです。
生まれは兵庫県宝塚市、育ったのは兵庫県三田市です。ニュータウンのマンションで育ちました。私はインドア派だったんですが、親が山に登るので、昔は嫌々付いて行っていました(笑)。家では、絵を描いたり……あとはひたすら本を読んでいました。テレビもゲームもだめだったけど、本はなんでも買ってくれたんです。ファンタジーが好きでした。『メアリー・ポピンズ』(パメラ・トラバースによる児童文学作品)は何回も読みましたね。
―—現在はアーティスト、写真家としてご活躍されていますが、そういった道に進もうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?
高校時代に、交換留学先のオーストラリアで写真の授業があって、フォトジャーナリズムというものを知ったんです。元々アートはすごく好きだったんですけど、その交換留学に行ったときはお医者さんになりたくて。国境なき医師団に入りたいと思っていたんです。でも、フォトジャーナリズムに出会ったことで、元々美術が好きだし、こういうアプローチもあるんだなと思って。数学が苦手だったから医者にはなれないかなというのもあって(笑)。それでいろいろ調べて、美大に進んだんです。
―—それがある意味でターニングポイントだったんですね!国境なき医師団もフォトジャーナリズムも、世界規模で起こっている問題に対峙する職業ですが、その関心はどこから来ていたんですか?
ユニセフが出している、難民の人が描いた絵が載っているカレンダーが毎年家にあったんです。そういうのを見ていたから、そういう世界もあるんだって自然に思っていましたね。
―—フォトジャーナリズムと現在の活動はまた違うものになっていますが、美大進学後、このスタイルに至るまでにはどんな変遷があったんでしょうか?
大学に入って1年生か2年生のころ、セバスチャン・サルガド※という写真家の展覧会が恵比寿の写真美術館で開催されていて、それを観に行きました。彼はアフリカの紛争地帯で写真を撮るんですけど、すごくその写真が美しかったんです。私が知っている報道写真というのは、もっと汚くて、美しさは要らないものだって思っていて。でも、ほんっとにきれいで。そこに写っている苦しさとか、どうしようもなさみたいなものが、伝わるんだけど伝わらないというか。リアリティがないみたいな。これでいいのかな?って思って。
展覧会を観た後にミュージアムショップに行ったら、見た目だけではどんな人かわからないけれど、一見、フォトジャーナリズムとかには興味がなさそうにみえる人が、いっぱいカタログを買って行っていて。それはたぶん、美しさがあるから、若い人たちにも訴えるものがあるんだろうなと思ったんです。そこから、美術としての写真を突き詰めたいと思って、現在まで活動しているという感じです。
※セバスチャン・サルガド(1944年2月8日〜)、ブラジル・ミナスジェライス州出身の写真家。ドキュメンタリー写真・報道写真の分野で活動する。
―—今回葛尾にお越しいただいたきっかけは何ですか?
2023年1月にオープンスタジオにお誘いいただいたのですが、そのとき滞在していらっしゃった4人がみんなおもしろくて。特に尾角(典子)さんと山田(悠)さんがすっごく楽しそうに過ごしているのがとても印象的でした。当時、博士論文のプロジェクトが終わって、次の過ごし方をどうしようかなと思っていた頃だったんです。あの姿に影響を受けて、今年(2023年)はいろいろなレジデンスに行ってみようと思って、葛尾にも来ました。
―—葛尾に来て印象に残っているエピソードはありますか?
災害に関する証言集を読んでいて、死ぬなら葛尾に帰りたい、とか、葛尾の土になりたいって語っている方がいらっしゃって。実際に、共同墓地ではなく自分の土地の墓地であれば、土葬で葛尾の土に還っている方がいらっしゃるんですよね。でも、除染で5cmくらい土を剥がされている。場所にもよるんですけど、1cm土ができるのにおよそ100年かかるとすると、5cmは500年。あんまりですよね……。もちろん他にもたくさん気になっていることはあって、1か月ではまとめきれないのですが、幸か不幸か私は写真を撮るので、作品にはなります。
―—今お話しいただいたこと以外にも、語りきれない大小さまざまな気づきが、作品に宿っているのかもしれませんね。写真は何を伝えるものなのか、美しいとはどういうことなのか、葛尾村での作品がそうした問いへの探究をさらに深めるものになればと思います。ありがとうございました!
アーティストインレジデンスプログラム「Katsurao AIR」
Katsurao Collective Instagram 大槻唯我さんご紹介投稿
大槻唯我さん Instagram Katsurao AIR に関する投稿
大槻唯我さんアーティストトーク インスタライブ
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