カツラダファミリア
コロが虹の橋へ行き、サンチョロを迎え入れると決めたとき、ひとつの想いがあった。
「これが私にとって最後の保護猫になるだろう」
当時の私の年齢は42歳。今はオカンと暮らせているが、いつかは私とサンチョロだけになる。
独身で仕事をしながらきちんと下半身不随の2頭の世話ができることを考えると、サンチョロの他に保護猫をまた迎え入れるのは多分難しい。
そしてサンチョロが20年生きてくれたとしたら私はその頃60代。
その年齢では次の保護猫の里親条件は厳しくなる。
もし猫の寿命よりはやく飼い主が死ぬことがあっては悲劇以外なにものでもないからだ。
だから、おそらく、私にとってお世話できる最後の保護猫はサンチョロだろう。
ああ、私の人生で迎え入れてあげられる子は三頭だけなのか。なんて少ないのだろう、と思う。
現実にはたくさん寂しい思いをしている保護猫たちがあちこちにいるというのに、自分ができることの小ささを痛感せずにはいられない。
40歳を過ぎ、自分があとどれくらい残された時間で出来ることがあるのかを意識するようになってから初めて、自分は世界のために何をしてきたのかと問う時間が増えた。
大きい世界じゃない。
自分の目に入るだけの世界にだ。
なぜだかとても、それが今の自分に大切なことのように感じた。
歳をとると、いつか自分の肉体や命が還るだろう世界が気になるということなのか?
不思議だ。
でももしかしたら、それが人間なのかもしれない。
敬愛する画家ゴッホの言葉に
「人生の意味は与えられた才能に気づくこと。人生 の意図することはその才能を無償でひとのために 使うこと」
というのがある。
私は今の年齢になってやっと、この言葉を実行しようと決めた。
それがカツラダファミリアだ。
コロやサンチョロと出会えた私ができること。
絵を通じてニャンニャンの幸せを願う闇結社。
いつか私はオカンを失い、サンチョロを看取るときが来る。
そして自分の寿命を全うするまで、ひとりで虹の橋へ行ったみんなを想って暮らすのだろう。
ファミリアとニャンニャンの為の寄付活動はできる限り最期までやり抜きたい。
いつかまたみんなと再会できたとき、「私頑張ったよ」と伝えるために。そんな夢をみている。
私は3頭しか保護猫を迎えてあげられなかったけれど、コロやサンチョロのおかげでまだ自分にはできることがあると教えてもらえた。
カツラダファミリア。
名前はふざけた感じだけれど、私にとって深い想いと願いがこもっている。
今日はなんだか上手く文章が書けなかった。
ちゃんと伝わってるといいのだけれど。
今回はここまで。ではまた。