コロが虹の橋へ行き、サンチョロを迎え入れると決めたとき、ひとつの想いがあった。 「これが私にとって最後の保護猫になるだろう」 当時の私の年齢は42歳。今はオカンと暮らせているが、いつかは私とサンチョロだけになる。 独身で仕事をしながらきちんと下半身不随の2頭の世話ができることを考えると、サンチョロの他に保護猫をまた迎え入れるのは多分難しい。 そしてサンチョロが20年生きてくれたとしたら私はその頃60代。 その年齢では次の保護猫の里親条件は厳しくなる。 もし猫の寿命よりは
カツラダファミリアのグッズを販売しているSUZURIにて新しいニャン神アイテムを販売した。 ニャン神とは? 今回は「ニャン神」について説明したいと思う。 ニャン神(にゃんしん)とは私が想像する虹の橋にいる神さま。 地上で命を終えて虹の橋へやってきたニャンニャンたち、地上で生きるすべてのニャンニャンたちを見守る存在という設定だ。 なぜ私がニャン神を考えたかというと、キッカケは去年の夏、虹の橋へ行ったコロが向こうで幸せに暮らせているか心配で「コロを守ってくれている存在がいた
先日、販売していたカツラダファミリアグッズの収益を三太のふるさとである熊本のチームにゃわんさんへ寄付した時の出来事。 チームにゃわんさんから、とても丁寧で心のこもったメッセージをいただいた。 「私はハンデという個性をもつ子たちが大好きです」 にゃわんさんはそう言っていた。 私もまったく同感で、ハンデを「個性」と呼ぶにゃわんさんに尊敬と好感をすごく持った。 ハンデと聞くと「不自由」で「大変そう」で「可哀想」というイメージはいまだ強いと思う。 だが実際一緒に暮らしてみる
このお家にはひみつの部屋がある。 玄関からながーい廊下を歩いて角を2回右に曲がった一番奥。 そこにはいつも扉がしまっている部屋があった。 桂ママは言う。 「この部屋はモノがたーくさんあって危ないから入っちゃダメだよ」 ひみつの部屋にはいれるのは桂ママとばーちゃんだけ。 桂ママは一日に何回もそこをはいっては出てきて、そのたびに手に何かを持っている。 とっても楽しそうな桂ママ。 きっとあの部屋にはすごく面白いものがあるに違いない。 はいってみたい。すごくはいってみた
今のところウチではサンチョロの圧迫排尿ができるのは私だけだ。 だから腕が痛かろうと、熱が出て寝こもうと、仕事が〆切だろうと、なんだろうと絶対絞る。 今までは自分の健康管理を適当にしてきたが、サンチョロのためにこれからはしっかりしなくてはならない。 ただ、もし不慮の事故にあって腕を折ったら? 気候や交通機関のアクシデントで自宅に帰れなくなったら? 不安は尽きない。 私ひとりですべてを回避することは無理だ。 そんな不安を分かってくれたのか、私の右手の痛みを可哀想に思ったの
「もっともっとコロを描いてやればよかった」 いつもそばに居てくれたから、その時間に限りがあると分かっているようで分かっていなかった。 いつでも描けると思っていた。 コロが虹の橋へ行ってから、1週間くらいは何も食べれず、やっと食べものを口にしたら机に向かってコロの絵を描こうとした。 全然思ったように描けなくて、涙ばかりがでた。 「もっと元気だった時にたくさん描いてあげればよかった」 コロの葬儀のとき、棺にたくさんの花と絵を一枚いれた。私とコロを描いた絵だ。 コロが体調を
チョロははじめの頃、体がとても黄ばんで汚れていて、臭いもかなりあった。 とくに臭いは名古屋のシェルターから引き取って1〜2ヶ月くらいは消えなかった。 目ヤニや耳クソもかなりあり、大切に保護されていたとはいえ沢山の猫たちを限られた予算でかつ少人数のスタッフで世話しなければならないシェルターでは、どうしても完璧な衛生環境の維持は難しいんだろうと思う。 下半身不随だから汚れた床を擦って歩くことになるし、そうなると細菌にも感染しやすい。 そして排泄の介助が必要なチョロは、おそらく
来年の引っ越しに向けて、神戸の新居もちゃくちゃくと設計が進行している。 この新居は、私による完全オーダーメイドの設計になるのだが、正直こんなに大変とは思わなかった。 とにかく決めることがめちゃくちゃ多い。 まだ存在しない家をすべて頭のなかで想像しながら、生活しやすいように大きいものから小さ〜いものまであれこれを配置して決めていかねばならない。 まずは間取りを決める。ここまでは簡単だった。 そこから空間のデザイン、ドアの数、ガラス格子の仕切りの配置、どこに電気コンセントや
今日も仕事をする私のすぐうしろで三太が寝ている。 紙やら画材やら機械やらでこんな散らかった仕事部屋のどこが気に入ったのか、そこはどうやら三太のお気に入りの場所のようだ。 なので、寝やすいよう長座布団を敷き、フローリングの床で体が冷えないようにブランケットをいつも置いている。 チョロもたまに来るが、いたずらをするだけでそこでは滅多に寝ない。 チョロはソファの下がお気に入り。 三太は狭いU字型の空間が好き。 9ヶ月一緒に暮らして、分かったことだ。 お空へ行ったコロはいつも
皆さんからいただきましたサポートの一部を寄付させていただきましたのでご報告致します。 サポートにて集まりました19,897円(note運営側手数料を差し引いた金額です)+私個人の寄付を、サンチョロのようなハンデを持つ傷病猫たちのために活動されている一般社団法人トーチフォーアニマルズ様へ寄付させていただきました。 このトーチフォーアニマルズは、三太の元ママであるteko(てこ)さんが代表理事をされています。 保護猫のなかでも、特に費用も世話も里親探しも大変な傷病猫たちをた
皆さん、いつもニャンニャンのためのサポートありがとうございます。 今回は以前いただいた質問に答えようと思います。 「サンチョロバトルの勝率」 「仲良くなった今もバトルをするのか」 はい。一日に2〜3回はバトってます。 鼻チューのあと見つめ合ってからポカポカやる時もありますし、三太は寝てるチョロの寝込みを襲撃したり、チョロはゴハンに夢中になってる三太を背後から殴ったりしています。 ソファの上から床にいる相手の頭を殴ったり、すれ違いざまにお互いの足が当たった途端殴り合ったりと
ご無沙汰しておりました。 もう今年の前半が過ぎようとしていますね。早くて恐ろしい···。 サンチョロがうちに来て9ヶ月が経ちました。 当初触られるのを極度に嫌がっていたチョロは、今は随分と慣れたのかあまり嫌がることはなくなってきました。 しょっちゅう前足で私やオカンの足をチョイチョイしては甘えてくるようになり、幸せ太りもしたせいか丸みが出て可愛らしさが増した気がします。 ただ、体型の変化なのか成長による変化なのか、排便や圧迫排尿の難易度が上がり、最近は三太より苦労するよう
24歳の私が42歳になるまで、ずっといつも一緒にいてくれたコロ。 今年の夏、晴れの夕暮れの少し前にコロは旅立っていった。 せめて、せめて安らかに眠るようにと願っていたのに、せめてそれだけは必ずと思って看病していたのに、最愛のコロの最期は、突然で、願いとはまったく逆のものだった。 最期の時、私は病院に電話を必死に掛けていて、コロのそばを離れてしまった。 電話をしながら必死にメモをとっていた。コロを助けたくて。 私は最期、コロのことを見ていてやれなかった。 母が叫ぶように私
サンチョロを迎えてからもうすぐ1ヶ月が経ちます。 嵐のような日々のなか、お兄ちゃん気質の優しい三太とおてんば戦闘民族チョロは日に日に仲良くやってくれているのが現在の私の最大の癒しとなっています。 もしかしたら、仲間意識が生まれやすいようにと同時期にふたりを迎え入れたことが良かったのかもしれません(大変でしたが····) さてさて、 出会ったとき、三太は東京にいたのですが、チョロは名古屋のシェルターにいたので、迎え入れるにあたってちょっと大変だったのはチョロでした。
今日でサンチョロがウチに来て2週間。 最近だんだんと慣れて形になってきた下半身不随猫ちゃんサンチョロと私の朝のルーティンをご紹介します。 いかがでしたか? こんな感じで毎日やっております。当初想像していたほど大変でもなく、ストレスなくできているので、きっとサンチョロが協力してくれているからでしょうね。ありがたや。 下半身不随猫ちゃんや圧迫排尿など、サンチョロについて質問がありましたらいつでもコメントにください。いけそうだったらイラストか漫画にしてお答えします! 今回