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忘れ物の数々

母の初期症状を書こう。
友人達と、旅行へ行く事も多かった。
飛行機✈️でカナダへ行ったりもしていた。
そんな母が、電車に乗れば切符がどこへいったのか、
分からなくなったり、買い物へ行っても、
同じ物を買ってきたり、買ってきた物を
玄関に置き忘れて、そのままだったりした。
味覚も少々おかしくなっていたかも。
料理を作らなくなったり、賞味期限を
気にしなくなった。
毎年、手書きで出していた年賀状も正月に到着するように、
出せなくなり遅れるようになって、出さなくなった。
地図というか、地理が分からなくなってきた。
家から働いていた店までの道のりを説明できなくなった。
弟に病院へ(脳神経外科)連れて行って欲しいと言われた。
私はまだその頃は、介護の事は何も分からなかったから、
お母さんが何だか変だと思っていたけど、病気じゃないと
思いたかった。病院に行った時の母は、私どこか変❓と、
とても悲しそうだった。その頃はまだ医者の前では、
名前や生年月日や質問された事に答えられた。
だから、何の病名もつけられなかった。
60歳過ぎた頃だったし、まさか認知症だとも思わなかった。

それから店が休みの日は、週1くらい母は運転して、
私とランチ、買い物をするのを楽しんでいた。
服が好きだった母とよくしまむらへ行った。
ある日、うちに来るはずの母が約束の時間になっても、
到着しなかった。私は胸騒ぎがして、居ても立っても居られず、
外に見に行った。
数分先の大きな通りで、目に入って来たのは…
レッカーで運ばれる母の車と、救急車だった🚑
それを見た私はもう心臓が破裂しそうだったし、
まさか‥という気持ちだった。本当に、幸いな事に消防署の
目の前の事故だった。まだ消防署の人が近くにいたから、
あの車、母の何です!何があったんですか?と、
尋ねた。母は無事で、近くの救急病院に行ったと、
教えてくれた。
一度家に帰り、車で病院まで急いで行った。
処置室で治療受けた母がいた。車の損傷の割には、
かすり傷だった。
私が、あの時胸騒ぎがして外を見にいかなかったら、
事故に気づかず、母にすぐ会えなかったはず。
そして、最悪の状況にはならず、その日に帰れる事に。
母の車はもう廃車だという事で、父に電話して状況説明。
しばらく私の所で母は預かると伝えた。
父もホッとしたように、お願いね🙇と。
この日は、本当に心配だったし本当に疲れた😓
でも、母が無事で本当に良かったと思った😽

お母さんが何だか変だ!続く

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