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お釈迦様の掌の上

西遊記の1場面に🐒

『お釈迦の掌の上』の下りがある

孫悟空とお釈迦のやり取りで

天上天下唯我独尊をひた走る孫悟空が、どれだけ遠くまで行けるのかを実践し、遙か遠く彼方まで到達した孫悟空は、その証としてその場にある5本の柱に自分の名前を記入するのだが、実はその柱。『お釈迦の掌』🖐🏼であり、『どんだけ自分が凄いとアピールしたとしても、所詮はお釈迦の掌の上での出来事であり、上には上がいるし、大したことない』とでも捉えられる逸話だと思う。💦

それを踏まえて考える。

孫悟空が自分でお釈迦が運命だと仮定すれば?

自分がどんな選択をし

どんな結果が待っていたとしても

それは掌という『運命のプログラム』に組み込まれている既定路線であり、初めからそうなるように仕組まれていたとしたら?

自分ならどう思うだろう。🤔

もちろん自分には自分の意思があり、選択した出来事に対して結果がついてくる。それに対し満足🥳or後悔😱がついてくるだろう。

でも『お釈迦の掌の上での出来事』だと思えば、少なくとも『この結果は自分に対して必然的に組み込まれたプログラムであり、それは自分に必要な事だった』😅って思えるかもしれない。

運命は『その人を幸せにするためのプログラム』だって、自分は信じているから。👍

もちろん

運命を呪うなとか抗うなと言うつもりは無い。それはヒトそれぞれの考え方だから。👬👫

でも自分は『お釈迦の掌の上』での出来事に、一喜一憂せず、それを運命だと受け入て次の糧に繋げていこうと思う。
自分の『ひとつの運命』を感じ、信じて。👼

今日も、お釈迦の掌の上の中で…💅🏻


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