トルコ語の歌詞を読む #4 ーİstikrarlı Hayal Hakikattir / Gaye Su Akyol 編ー
今回は1番のサビを読んでいきます!
7行目はタイトルと一緒なので飛ばします。
8行目"Ölüm var mı yoksa bi rüya mı"
"ölüm" は「死」という意味の名詞です。"üm" の部分が一人称っぽいですがそういうわけではなく名詞の一部です。ちなみに動詞の「死ぬ」は "öl-"、形容詞の「死んだ」は "ölü" です。ややこしいことを言うと、名詞の「死体」も "ölü" になるので、「私の死体」だと所属人称接尾辞が付いて "ölüm" で同じつづりになります。
存在文"var"
"var" は存在することを表す特殊な語です。名詞の後ろに置いて使います。"ölüm var" で「死がある」という意味になります。対義語は "yok"、"ölüm yok" で「死がない」という意味になります。
"var" は位置格と一緒に使えば「~に~がある」、所有されていることを表す所属人称接尾辞と一緒に使えば「~は~を持っている」という意味になります。
疑問文"mı"
"mı" を文の最後に置くことで疑問文になります。"Ölüm var mı?" で「死があるのか?」という意味になります。独立して書かれる単語ですが、直前の母音に合わせて母音調和をします。
例外はありますが、人称の付属語が付く場合は述語からこの "mı" に付属語が移動します。例えば "Güzeliz."「私たちは美しい」を疑問文にすると、 "Güzel miyiz"「私たちは美しいですか?」になります。
接続詞"yoksa" / 選択疑問文
"yoksa"は「それとも」という意味の接続詞です。
"bi"は"bir"と同じ、"rüya"は「夢」という意味です。7行目の "hayal" にも「夢」という意味はありますが、「幻想」「望み」という意味のアラビア語が語源になっており、トルコ語でもそれらの意味を持っています。
というわけで8行目の文は「死があるのか、それとも夢なのか」という意味の選択疑問文になります。ここでは"yoksa"を使っていますが、疑問文を二つ並べるだけでも選択疑問文になります。例えば、 "Ölüm var mı, bi rüya mı?" でも「死があるのか、夢なのか」という似たような意味です。
9行目"Derdim derdine ortak olsun"
「私の痛み」"derdim" / 「君の痛み」"derdin"
"derdim" は "dert" に「私の~」という意味を付加する"-im"がくっついたもので「私の痛み」という意味。"derdine" は "dert" に「君の~」という意味を付加する "-in" をくっつけ "derdin"、さらに "-e" を付けて方向格にしたもので、「君の痛みに」という意味です。"falakaya" のときは方向格接尾辞は"-ya"でしたが、今回は直前が子音なので "y" はつかず、母音調和で "-e" になっています。
トルコ語では所有格(だれかの~)が付いた名詞には以下のように所属人称接尾辞が付きます。
Benim(私の、一人称単数)derdim(所属人称接尾辞"-im")
Bizim(私たちの、一人称複数)derdimiz(所属人称接尾辞"-imiz")
Senin(君の、二人称単数)derdin(所属人称接尾辞"-in")
Sizin(君たちの、二人称複数)derdiniz(所属人称接尾辞"-iniz")
Onun(彼・彼女の、三人称)derdi(所属人称接尾辞"-i")
これらは直前が子音の場合で、直前が母音の場合、たとえば "kafa" だと母音が脱落したり、三人称では "s" が挟まったりします。
Benim(私の、一人称単数)kafam(所属人称接尾辞"-m")
Bizim(私たちの、一人称複数)kafamız(所属人称接尾辞"-mız")
Senin(君の、二人称単数)kafan(所属人称接尾辞"-n")
Sizin(君たちの、二人称複数)kafanız(所属人称接尾辞"-nız")
Onun(彼・彼女の、三人称)kafası(所属人称接尾辞"-sı")
さらに、所有格が省略されることもあります。この接尾辞のおかげで前に置かれている「私の~」を省略しても意味が伝わるわけです。歌詞中の "derdim" も "derdin" も所有格が省略されていますが、「私の~」「君の~」という意味を読み取ることができます。
"olsun"「~になる」/ 動詞の願望形
"ortak" は「パートナー」という意味の名詞です。
"olsun" は "ol-" の願望形で「~になりますように」という意味。"ortak olsun" で「一緒になりますように」という意味になります。
"ol-" は日本語の「~になる」と似たような使い方をする動詞で、直前に名詞や形容詞を置くことでいろいろな意味を表します。"ortak ol-"「一緒になる」のような "名詞 + ol-" パターンのほかにも、"güzel ol-" 「美しくなる」のように "形容詞 + ol-" の形でも使うことができます。
似たような使い方をする動詞は他に、"et-" "yap-" "kıl-" 等があります。特に "et-" は "ederim"(中立形、一人称) の形で会話のフレーズに出てくるので気にしてみてください。
"olsun" は "-sun" が後ろにくっついて願望形になっています。"-sun"だけ見れば二人称の付属語と同じですが、動詞の語幹に直接くっついているので区別できます。
願望形は三人称しかない特殊な活用形です。意味も「~であるように」、文脈によっては「~に~をさせろ」という間接的な命令にもなります。
9行目は「私の痛みが君の痛みに一緒になりますように」となります。意訳して、「私の痛みが君の痛みと共にありますように」とした方がそれっぽいですね。
10行目"Aşk şarabın düşle dolsun"
複合名詞 "aşk şarabın"
"aşk" は「愛」、 "şarabın" は "şarap"「ワイン」に二人称の所属人称接尾辞"-ın"が付いたものです。
トルコ語では「名詞+三人称の所属人称接尾辞 "-(s)i"が付いた名詞」の形で一つの名詞として扱う複合名詞を作ります。例えば "aşk şarabı" で「愛のワイン」という意味になります。三人称の所属人称接尾辞が付いていますが、「彼・彼女の」という意味はありません。
この複合名詞に所属人称接尾辞を付けたいときは、元々ついていたものと入れ替えます。歌詞にある "aşk şarabın" は"aşk şarabı"の所属人称接尾辞 "-ı" が二人称の "-ın" に入れ替わったもので、「あなたの愛のワイン」という意味になります。ちなみに三人称の所属人称接尾辞を付けるときは "aşk şarabı" とそのままの形になるので、文脈で見分ける必要があります。
共同・手段格 "düşle"
"düşle" は名詞 "düş" に共同・手段格の付属語"-le"が付いたもので、「夢で」「夢を使って」という意味になります。
名詞に共同・手段格の "-le" を付けると「~と共に」「~を使って」という意味が加わります。英語の "with" とほぼ同じだと考えた方が分かりやすそうです。名詞が母音で終わるときは"y"を付けて"-yle"になります。
ここまであまり注目しませんでしたが、単語の後ろにくっつく語はアクセント移動が起きるものと起きないものの二種類に分かれます。僕が参考にしている東京外国語大学言語モジュールでは、アクセント移動が起きるものを「接尾辞」、起きないものを「付属語」と呼んでいるので、ここでもこの呼び方を使います。ただし、英語のWikipediaではこれらを区別せずにまとめて "suffix" で呼んでますね。この辺はもう少し英語やトルコ語の情報で勉強していきたいと思います。
そして他の格でつける語は全てアクセント移動が起きる接尾辞なのですが、共同・手段格でつける語だけはアクセント移動の起きない付属語になります。というのも、共同・手段格だけは後置詞 "ile" の省略形だからです。そういう特殊な事情のせいで他の格と使い方が異なる場面がちょこちょこあります。ここでは説明しませんが、気になる人は調べてみてください。
「夢」:"düş", "hayal", "rüya"
ここまでで「夢」という意味を持つ単語が三つ出てきました。「夢」という言葉のイメージを存分に膨らませたいい歌詞ですね。
"düş" はトルコ語の祖先が元々持っていた固有語で「夢」「希望」という意味があります。
トルコ語はテュルク語族という言語のグループに属しています。このグループ内の言語は意思疎通ができるくらいには差異が少ないらしいです。「夢」という意味の単語 についてもトルクメン語には"düýş"、アゼルバイジャン語には綴りも同じ"düş" とトルコ語とかなり近い単語があります。
"hayal" と "rüya" はトルコ語固有の単語ではなく、アラビア語から取り入れた外来語です。"hayal"の元となったアラビア語は「幻想」「影」、 "rüya"の元となったアラビア語は「(寝ているときに見る)夢」「予見」という意味があります。
現代トルコ語の前身であるオスマン語はアラビア語やペルシャ語等から多くの語彙を取り入れた豊かな言語でした。オスマン帝国はイスラーム主義国家だったのでアラビア語はいろいろなところで重視されていたはずです。ただ、語彙が難しすぎたせいで扱える人が上流階級に限られ、一般の人々はオスマン語とはかなり異なる話し言葉を使っていたようです。読み書きは難しいオスマン語で行われるので上流階級でないと難しい状況でした。
1923年にムスタファ・ケマル・アタテュルクの主導でトルコ共和国が成立すると、アタテュルクは、旧体制であるイスラーム主義を否定し民族主義と欧化主義を推し進めるトルコ革命を開始します。その流れで言語改革が行われ、表記はアラビア文字からラテン文字に、語彙は話し言葉をベースにしてアラビア語やペルシャ語由来の外来語をできる限り排除することで現代トルコ語を作り出しました。教育についても、トルコ語の授業が追加され、義務教育を徹底します。これによって識字率は上昇しましたが、イスラーム主義者からの反発も当然ながら大きかったようです。クルド語の公共の場での使用も同時に禁止されました。
こうしてトルコ語が簡単になったおかげで、僕も気軽に勉強できているわけですが、同時にオスマン語が培ってきた豊かな語彙が失われたという残念さや、外部やマイノリティーの文化を否定するナショナリズムの不気味さも感じてしまいますね。"hayal" と "rüya" はこの言語改革を生き残ったアラビア語由来の単語です。"İstikrarlı Hayal Hakikattir" というタイトルも実は全てアラビア語由来の単語でできています。こういった単語に出会ったら原義にさかのぼってみたり、イスラームとのつながりを想像してみたりすると面白いんじゃないでしょうか。
読解に戻ると、"dolsun" は "dol-" 「満たされる」の願望形です。10行目の文は「あなたの愛のワインが希望で満たされますように」と訳すといいですかね。
次回からは2番の歌詞を読んでいきましょう!