僕が旅したパレスチナ自治区Aゾーン
2013年6月8日
現地イスラエルのテルアビブに住む谷口さん(仮名)と知り合い車で1時間半のパレスチナ自治区に連れて行ってもらうことになった。
イスラエルでパレスチナ自治区をサポートすべく11年も働いていた谷口さんは、パレスチナ人の多くの方と深い関係を持っているだけでなく現地の様々な問題にも精通していた。
事実、パレスチナ人が
「谷口さんはパレスチナ人よりパレスチナ問題に詳しい」
と言うぐらいであった。
イスラエルとパレスチナの問題は宗教、政治、土地、諸外国の問題など、いろーーーんな事が絡んでいて、1つのブログで表現したり説明することは出来ない。
今日のブログは息抜きにならないと思いますが、日本にいたり、旅していても中々経験出来ない体験だったので、政治や宗教問題を抜きにして僕なりの意見をシェア出来ればと思います。
谷口さんが連れて行ってくれた場所はJenin県の奥深く、Meithalunというパレスチナ自治区Aゾーンで人口は1万人程度。
パレスチナ自治区といわれると「???」となっていた僕だけど、簡単に言うとイスラエル国内にはパレスチナ人が住む違う国があるということ。
ただ違う国と言えども、イスラエルに実質管理(支配)されていてA,B,Cゾーンと区分けされている。
Aゾーンはイスラエルの力が殆ど及ばないらしいがBとCは自治権などはイスラエル側にあるらしい。植民地みたいな感じだろうか。
間違ってたらすみません。まぁなんとなーく、僕が理解しているパレスチナ自治区とイスラエルについて書いております。
恥ずかしながら僕自身も全然知らなかったもので。。
歴史的にイスラエルは最近できた国で19世紀はオスマン帝国と呼ばれていた。
そこにはアラブ人(パレスチナ人)、ユダヤ人、キリスト教の人が住んでいたが第一次世界大戦後、オスマン帝国が消滅すると統治権はイギリスに渡る。
それでイギリスはアラブ人もユダヤ人も新国家樹立目指して頑張ってよ。
となるわけですが、これが問題を引き起こした。
国を持たず長年迫害され続け、自分の帰る場所がなかったユダヤ人はここぞとばかりに今のイスラエルに集まってくる。
なんなら元々ここはユダヤ人の場所だったし!と言う。
さらに莫大な資産をもってパレスチナ人の土地も買い上げどんどん自分たちの土地を広げていってしまう。なんなら力技も使いなが追い出していく。
で、アラブ人は慌てるわけです。
「おいおい待てよ!」と。
そしてアラブ人とイスラエル人が戦争する。イスラエルが勝ちつつも取られ取り返しが続くが、結局イスラエル優勢。
結局ヨーロッパをはじめ世論は、ずっと痛い目に合わせていたユダヤ人の肩を持って人数的にも圧倒的に少なかったユダヤ人に多くの土地を与え、イスラエルを国家として認めてしまう。
でも、そのイスラエルの中にもちゃんとアラブ人は自分たちの土地を死守していたところがある。
それがパレスチナ自治区というわけだ。(自治区というから分かりにくいけど国と考えてもらった方が良いかと。ただ世界が認めてないけど)
日本人には分かりにくいけど東京の杉並区と江戸川区は違う国のような感じです。
そして、その国内に有る違う国は軍事力、資金力が圧倒的に上のイスラエルにガッツリ管理されていて、何なら塀に囲まれていてその国の人は好きに隣の町などに行き来も出来ないし、不審な動きをしていると逮捕されちゃう。
なんなら、その自分の住んでいるパレスチナ自治区にどんどんイスラエル人移植者が引っ越してくる。
強引に家を取られちゃう人もいる。
これは国際法上、違法だけどイスラエルは辞めてくれない。こんな流れ、、、だと思う。
こんなキツイことをされているのに残念ながら日本人もそうだけど、アメリカのニュースやマスコミはユダヤ人の影響力が大きいのでイメージはコントロールされていて、アメリカ人や日本人にとってイスラエル人(ユダヤ人)への好感度は高くパレスチナ人のイメージは非常に悪い。
Wikipediaによると、パレスチナはイラン、北朝鮮の次にのイメージが悪い。
が、僕が出会った旅人は違う。パレスチナ人に同情的である。
それは、皆パレスチナ自治区を、実際その目で見ているからだろう。
関心をちょっと持てばそうなるのが当然だ。
僕は、パレスチナ自治区を訪れる前に他の旅人と話すと結構、討論になった。
僕の意見は(まぁパレスチナ自治区に行った後でもあまり変わっていないのだが、、、)
紛争状態、占領下において、(←これ重要)
イスラエルがパレスチナにやっていることは残念ながら定石だと思う。
国際上、違法だろうがなんだろうが、支配したい他国を管理し、自由をガッツリ制限し、あやしいやつは理由もなく片っ端から逮捕し尋問。
そして、自国がほしいもの(この場合は土地)を奪う。
僕みたいなバカでも、そうするだろう。
ユダヤ人はこういう事をめちゃめちゃ巧妙にやるらしい。
まずは、既成事実をつくる。パレスチナ自治区に移住し、工場や新たな仕事を作り出し、パレスチナ人を雇い、彼らの生活にとって掛け替えの無い存在になる。
実は、ユダヤ人の移植者を歓迎するパレスチナ人までいるらしい。
そこまで依存度を高める。
こういうことは、現地に住んでいる人に聞かないと分からない。
遠くの親戚より近くの敵なのだ。
当然、親戚や友達が殺されていて、自身も不当な扱いを受け、良いイメージを持っていない人が大半だろうが実は個人レベルではお互いをそんなに嫌っていないことも知った(特に若い人)。
住んでいる地域(ゾーン)にもよるだろうけど。。
パレスチナ自治区を観光すると、多くの人は隔たれた壁やセキュリティチェックの厳しさに閉口し心が締め付けられる。
(パレスチナ人は自治区に入ることは出来ても殆ど、その壁の外へ出ることが出来ない。特別な許可が必要だし、とにかく面倒なのだ)
色んな人のブログにもその不当加減とイスラエル側の態度の悪さには辟易すると皆述べている。
今となっては僕も同感だ。
が、その隔たれた壁を見て、パレスチナ人への執拗なチェックを見て、閉塞感のある町並みを見て、殺傷機能が抜群のマシンガンを抱える軍人を見て心を痛めたり、恐れることは無い。
先程も書いたように、この両国は緊張状態にあるので仕方が無いのである。
僕が一番、恐れていること。
それは、僕らがパレスチナ人へ悪いイメージを抱いていしまうこと。
先程も書いたように残念ながら日本にいた僕がそうだったようにパレスチナ人ってテロもするし狂気じみていて怖そう。なんて思っている人も多いかもしれない。
実は、目に見える、隔たれた壁ってのは大した問題じゃない。
いや問題なんだけど、そんな物理的なものは壊しやすい。それよりも大きな問題。
それは、眼に見えないもの。パレスチナ人への先入観、それによる差別、偏見。
これはなかなか壊しにくい。そして、それよりも、もっと怖いもの。
それが無関心
愛の反対語は憎悪ではなく無関心と言うように、これが一番いけない。国際社会の今、遠い国のお話じゃない。先日も書いたが、今後グローバル化は更に加速され国境は薄れ、世界がどんどん身近になっていく。自分がパレスチナ人の親戚になることだって全然あり得る。
他国のお話だったのが気がついたら自分の生活に関わってくることもある。日本の震災が他国の原発問題にも関わってきたりとか。
だから、僕のブログで1人でも多くの人がパレスチナ人の事を知ってもらい少しでも身近に感じて貰いたい。関心をもってもらいたいです。
確かに僕らに出来る事って殆ど無いかもしれない。だけど僕らの身近な人が悲しい目にあってる事を知り気にかけているだけでも、本当のことを知ってあげるだけでも、無関心でいられるより数百倍相手は救われる。
とまぁ僕の感想や解説はここまで。
ここからは、日本人がなかなかお邪魔できないパレスチナ人の中流家庭の生活をご紹介します。
パレスチナ自治国Cゾーンに入ると、意外と多くのイスラエル人が出入りしている。
パレスチナ自治区は物価も1/3程度なのでイスラエル人が買い物によく来るらしい。
物価が安いという理由でパレスチナ自治区に移植して来るイスラエル人も多いと聞く。(ちなみに国際法上、移植は違法)
最初は
「近頃パレスチナ自治区に移植活動をするイスラエル人が多い」
と聞いて、不思議に思っていた。
イスラエル内は綺麗だし、設備も整っているのに何故わざわざ自分達が嫌われているパレスチナ自治区に入るのかな?と。
しかし移植者のいる場所を見て理解した。ニュータウンなんだよね。
自治区の中に新しい住宅街ができている感じ。新しくて綺麗で安くて治安も良くて(移植者の住居周りはしっかり警備されてる)、国から援助も受けられるらしく同胞からは応援される。
きっと若い人で生活が苦しい人なんかは進んで自治区の移植者になりたがるだろう。
丘の上に立ち並ぶ綺麗な移植者の住居はパレスチナ自治区内とは全く違う雰囲気を漂わせていた。
15分ほど更に奥に進むとAゾーンに入る。
ここからはイスラエル人は入れない。移植者もいない。
「この道はAゾーンに繋がってます。そっから先はイスラエル人は入れませんよ。入ったら法律違反だし、命の危険もありますよ。」
ここから先はイスラエル人は当然見当たらない。一気に道がボコボコになる。
旅中に訪問したのは僕を連れて行ってくれた谷口さんがずっと一緒にお仕事をしていた相手方のファワーズさん。
詳しくはご迷惑になるかもしれないので書きませんが、いわゆる普通の一般的なお仕事をして昨年、定年退職をしている方です。
谷口さんにお話を聞くと、パレスチナ自治区の中流家庭だそうです。4世帯住宅?で自分の子供家族と皆で立派な建物に住んでいた。
このスペース東京だったらマンションになるレベルかと。
裏庭にはオリーブ畑や各種野菜の畑があり、その横には羊、鳩、ニワトリを飼っていた。
こんな感じで、食事は自給自足で殆どまかなうようです。
テラスに通されオーガニック栽培したストロベリージュースをご馳走された。
ジュースに舌鼓を打ちながら1時間ほど会話してランチタイムへ
一つ一つ丁寧に料理の説明をしてくれる。庭で取れたオリーブや野菜。それに羊のミルクで造られたチーズやヨーグルトをふんだんに使ったスープや前菜。
そしてメインは、さっき見た小屋で育てた鶏肉や、ラム肉♪
ええ???
さっきのニワトリや子羊たち?
なんと、今日の日のために、先ほど裏小屋にいた動物を捌いて頂いたらしい!
なんだか、ウルルン的である!
僕は、先ほどの可愛い羊を思い浮かべて大きく口を開いてパクリ!驚くほど羊肉独特の臭みはなく、とっても美味しい。新鮮だからだろうか?目を閉じればメーメーと聞こえてくるようだ。
ってフラッシュバック!!
キレイ事と分かっていても、かわいそーーって思いますね、実際!!いただきます!!!
さて、ここからアラブ人特有の洗礼を受ける。
ご勘弁を、吐きそうです!!って言うぐらい、食べさせられる。
「ホント、もうお腹いっぱいなんです。」
と言うと、ファワーズさんは僕に言う。
「ちょっと立ってごらん、はい座って、はい立って、はい座って。ね?ちょっと胃にスペース空いたでしょ?」
「あ、ホントだ、もう少し食べられるかも」
って空くか。
なんてノリツッコミは通じず、お皿にガッツリおかわりを乗せられる。あんなに食べたことは後にも先にも記憶に無い。
翌日の夜までお腹が空かなかった。
その後はティータイム。アラブ人は1日にお茶やコーヒーを何杯も飲む。そして話しが大好きだ。
まずは紅茶を飲みながら近況のお話。
場所を移してコーヒーを飲みながら家族のお話。
こんどは大きめのソーファに移って宗教のお話。
いたるところでお茶やコーヒーを飲みながら自分のこと家族のこと宗教のこと仕事のこととにかく、よく話をする。
僕は谷口さんに「パレスチナ人て皆あんな話が長いんですか?」
と聞くと
「彼らは聞いてもらいたいんだよ。 ずっと閉塞感のある生活をしていてるんだもん。」
とのこと。
そうなのだ、、、パレスチナ人は自分たちの声が外に届いていないを知っている。
少しでも多くの人に自分たちのことを知ってもらいたいのだ。
別に同情が欲しいわけじゃない。宗教も絡んでるから難しいことはわかってる。だけど、どんな生活を送っていて、どんなことが起きてるのか事実を伝えたい。
次男は優秀でエジプトの大学で医学を勉強することが出来た。
卒業式を迎えて彼の卒業姿をひと目見たかった家族は一苦労してエジプトに入りその晴れ舞台を祝った。
そして帰国当日。
みんなで和気あいあいエジプトとイスラエルの国境に到着すると、次男はエジプトで不審な動きをしたとイスラエル軍に疑いをかけられ連行、刑務所に入れられる。
最終的に疑いは晴れるのだが、無実として釈放されたのは
1年半後!!!
長すぎ!!!
若い日の1年半を無実の罪で刑務所って勿体なさ過ぎる。
さらに長男の経理士は家にいたところイスラエル軍のジープ8台がいきなり家を包囲。(イスラエル軍が勝手な真似を出来ないAゾーン内にもかかわらずだ!)
「聞きたいことが有る」
と言われて連行。
1ヶ月半、刑務所に入れられて聞かれた質問の数、なんと!!!
ゼロ!!
とりあえず刑務所に放り込まれ質問を1つもされず釈放されたらしい。
何なんだよ?勘弁してくれよ!
と言いたくもなるだろう。
僕なんかテルアビブで3時間と調査受けてパソコン二日間取り上げられただけでストレスMAXになって、チョコレート食べまくってさらに抜け毛が、激しくなったのに。
パレスチナ人男性にとっては
「イスラエル軍に捕まってやっと一人前」
と言われるぐらい日常茶飯事のことらしい。
理不尽のオンパレード。いじめの歩行者天国。
それがパレスチナ自治区内なのだ。イスラエル兵も若い輩が多い。人間的に未熟なのかもしれない。そんなんが中途半端な権力をもってしまう。
「恋人と喧嘩した」
「上司に怒られた」
ぐらいの理由で虫の居所が悪い時だってあるだろう。
そんな時は、パレスチナ人や日本人旅人に八つ当たりだ。
とにかく、生意気そうな奴が多いのだ!特にイスラエルの検問所にいる奴ら!
駄目だ、私的な感情が入ってしまった!話をもどす!
お茶の後は、パレスチナ自治区内を散策。
その後、親戚がきゅうりを収穫している畑へ連れて行ってくれる。
みーんな知り合い。街は小さい。それぞれが先祖代々続く土地を守りながら、コミュニティを形成している。
イスラエルとパレスチナの問題は歴史が深すぎて正直、僕には理解できない。
どっちが良いとか悪いとかも分からない。どちらの国も仲間の絆は固く、愛国心は強い。
しかし、パレスチナ自治区内の人々は様々な理不尽に耐えながら、今日も大きな塀の中で生きている。
家も大きく家具も立派で食事もオーガニックで健康にいい。
家族もすぐそこに住んでいて理想の生き方が出来るといっても過言ではない。
が、それは半径5キロ以内だけの話。
そこから先、地理的な自由はなくさらには、監視下に置かれている。
半端ない閉塞感。
その事実だけは確実に存在していた、パレスチナ自治区Aゾーン。
ある人は言う。
「日本に産まれただけで宝くじを当てたようなもの」
僕らはこのラッキーをどう生かす?
旅に出てヒシヒシ感じた僕らの自由。そして彼らの不自由。
世界に住む貴方と彼らが少しでも平和に近づけるように。
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