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老師
伊豆に来ています。
河津桜の季節が終わり、少し人が減ったような気がします。
茨城のお寺のこと、普段の"お仕事"のこと、いろいろと悩みごとの多い未熟な自分にとって、伊豆で過ごす時間はありがたいものです。
伊豆には兄弟子がいます。
いつも食事の準備をしてくれます。
禅宗のお寺では食事の準備をしてくれる方を典座といいます。
料理というものを一切したことがない自分でしたが、以前、典座を引継ぐという話も出ました•••結局、引継ぎませんでしたが。
典座歴10数年。
さすがに兄弟子の料理は美味しいです。
もちろん老師もいます。
もともとはお坊さんだと知らずに出会い、お坊さんとして再会し、それ以来、長く付き合ってきました。
そして今は師匠と弟子の関係です。
人生の中で、先生や上司、先輩といった方は何人もいましたが、師匠というのは初めてです。
他の方の師弟関係がどういうものかもわかりませんので、老師と自分の今の関係が普通なのかどうかはわかりません。
老師は学校の先生のように教えてくれることはありません。
ただ、隣で坐禅をしているだけで、大切な何かを教えてくれているような気がします。
老師は会社の上司のようにあれこれ指示をすることもありません。
ただ、老師がこれまでにされてきたことを聴いているだけで、何か導かれているような気になります。
老師は先輩のように悩みごとの相談にのってくれるようなこともありません。
自分が悩みや愚痴を言っても、ただニコニコと聞いているだけで、面白がっているかのようにもみえます。
親友のように感じるときがあります。
そうかと思うと、とてつもなく大きな差を実感することもあります。
叱ってくれることはあっても、褒めてくれることはありません。
そもそも老師から褒められたいという気持ち自体が自分にはないような気もします。
そんな不思議な老師と自分の関係ですが、やっぱりこうして老師がいる伊豆に来ると、大きな安心を感じます。
写真の手の形は「施無畏印」といいます。
「怖がらなくていいよ」
そういう仏様からのサインです。
宗慧