見出し画像

気がつけばお寺の住職・EX

今週は二回、老師と一緒に食事をしました。

老師と一緒に食事をするのは、
お寺に居れば、当たり前のことで、
別段、珍しいことでもないんですが、

今週は、東京で、二人きり、しかも•••

一回目は、もんじゃ焼き、二回目は、飲茶

•••非日常を満喫しました。

こうして、お寺の外で食事をしていると、
普段は聞かないようことを、聞いてみたり、
普段は話さないようなことを、話してみたり。

今回も以前から気になっていましたが、
何となく聞き難かったことを聞いてみました。

2021年9月、
両忘山活人禅寺住職を拝命しました。

そんなものになるつもりもなければ、
なれるとも思っていなかったなかでの、
突然の拝命でした。

驚きました。

そして、思いました。

なぜ自分???

自分なんかよりもっとマジメに
修行されている兄弟子たちもいるのに•••

なぜ自分?

ひょっとして才能があるの?

まさか一番かわいいとか?

そんな妄想も若干ありながらも、
そのときは、さすがに聞けませんでした。

それを聞いてみました。

なぜ自分だったんですか?

老師の答えは、

宗慧は金儲けが上手いから

えっ!と思っていると、

お前なら寺の収入が無くても食っていけるだろ

•••そうですね。

何となく、妄想してたようなことを、
言ってもらえるんじゃないかという、
淡い期待はありましたが。

まあ冷静に考えてみれば、納得のいく理由
ではあります。

ただ、やっぱり、ちょっとショックでした。

もう一つ、聞いてみたいことがありました。

老師からいただいた言葉です。

坊主の坊主臭きは禅坊主にあらず

住職を拝命するとき、老師から
この言葉だけは忘れるなといって、
小さな紙に書いて渡されました。

そのときは、住職にって言われた驚きもあり、
何も聞かずに紙を受け取りましたが•••

あれはどういう意味だったんですか?

宗慧は金儲けに走りそうだから

またまた、えっ!と思っていると、

お前は安易に坊主っぽくみせる方法を見つけ、
あとはそれをどう使うか考えるだろ

•••なるほど。

としか言えませんでした。

老師と別れた帰り道、

自分は老師からそんな風に見られてたんだ

という思いと同時に、

師匠っていうのは弟子のことを
よく見てくれているもんなんだなあ

としみじみ感じました。

当たり前といえば、当たり前かもしれません。

そんな自分が何となく情けないような。

でも、そんな老師がとてもありがたいような。

複雑な気持ちでした。

そして、老師のご恩?に報いるためにも、

両忘山活人禅寺をしっかりと再建し、
坊主臭くない禅坊主になろう

そんなことを改めて決意しました。

宗慧

いいなと思ったら応援しよう!