気がつけばお寺の住職⑩
久しぶりに高野山に来ました。
子供の頃から何度も来た場所ですが、
大人になってからも、仕事の関係で、
より頻繁に来るようになりました。
知り合いになったお坊さんもたくさんいます。
自分がお坊さんになったと知った人からは、
「高野山で?」とよく聞かれました。
それくらい馴染み深い場所です。
でも、自分は高野山ではなく、
伊豆の老師のもとでお坊さんになりました。
年表です。
2004年 あるお坊さんの話を聴く
2007年 伊豆の老師のお寺で坐禅と出逢う
2010年 得度してお坊さんになる
そして、
2011年 お坊さんとしてちゃんと生きよう
そう決めました。
お坊さんとしてちゃんと生きよう
そう決めたのはいいんですが、
じゃあ、どうすればいいのか•••
まずは基本から、
不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不綺語
不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見
十善戒をできる限り守って生きてみよう。
そう思いました。
「できる限り」というのは、
例えば、不殺生ひとつとっても、
文字通り受け取れば難しいです。
普段、われわれが食べているもの。
動物であれ、植物であれ、
すべてが命あるものです。
われわれは他者の命を頂かなければ、
生きていけない存在です。
そういう中で、食べものを残さない、
「いただきます」「ごちそうさま」の言葉に
感謝の気持ちをこめる。
これが自分の「できる限り」の不殺生です。
加えて、守れなかった項目を定期的に
振り返り、反省するようにしました。
実際に十善戒を意識した生活をしてみて、
完璧に守れたわけではありませんが、
特に困ったこともありませんでした。
そんな手応え?もあり、何人かの友人に、
お坊さんとしてちゃんと生きていくんだ
という話をしてみました。
どうしたの?
何があったの?
だいたいそんな感じの反応でした。
それから老師に話をしました。
お坊さんとしてちゃんと生きていこうと
決めるに至った経緯も含めて話をしました。
老師は自分の話を黙って聴いて、一言•••
坊主とは?
とだけ言われました。
いわゆる問答というやつです。
自分なりの考え(見解・けんげ)を
答えなければなりません。
一瞬で頭が真っ白になり、
何か答えようとしますが、何も出てきません。
それからです。
この老師の問いかけ、
坊主とは?
と自分の格闘?が始まったのは。
伊豆に行くたびに、老師の部屋を訪ね、
自分なりの考えを述べます。
でも、そのたびにはねつけられ、
また、自分なりの考えを述べて、
また、はねつけられ•••この繰り返しです。
それでも、とうとう「よし」と
言ってもらえる日がきました。
それは、
10年後、2021年9月
でした。
その瞬間、嬉しいというよりも、
全身から力が抜けていくような
そんな感覚だったのを憶えています。
10年•••長いようで短い、短いようで長い、
ほんとに不思議な10年でした。
老師から「よし」と言われた翌日、
思いがけず(というのが正直な気持ちです)
両忘山活人禅寺住職を拝命しました。
あるお坊さんの話を聴いてから17年
伊豆のお寺で坐禅と出逢ってから14年
得度してお坊さんになってから11年
そして、
お坊さんとしてちゃんと生きようと
決めてから10年
気がつけばお寺の住職になりました。
宗慧