見出し画像

今日一日が終わった

何人かの方に四行日記のコーチをしています。

そのうちの1人から送られてきた四行日記の一行目にこんな感じの事実が書かれていました。

今日一日が終わった

一瞬ドキッとしました。

ごく当たり前な事実のようにもみえますが、それでいてものすごいインパクトがあります。

今日一日が終わった

どんな一日だったんだろう?

そんな疑問を掻き立てる一文です。

忙しく、慌ただしく、あっという間に過ぎた、そんな一日だったかもしれません。

何もすることがなく、一日中、ボーっとしていた、そんな一日だったかもしれません。

楽しくて、楽しくて、今日がいつまでも続いて欲しい、そんなことを思う一日だったかもしれません。

つらくて、苦しくて、それでもやっと乗り越えた、そんな一日だったかもしれません。

今日一日が終わった

どんな一日だったとしても、この一文は、無事に一日を生き切った証拠です。

一日生きる

考えてみれば、ただ事ではありません。

考えれば考えるほど、ただ事ではありません。

そのただ事でなさを思えば、

何をしたのかなんて、些細なことなのかもしれません。

どう生きて、何をしたか以上に、

こうして一日を生き切った

このことの方が、はるかに大きな意味がある、そんなふうにも感じます。

今日一日が終わった

どんな一日だったんだろう?

なんて考えている自分がちっぽけなものにみえてきました。

夢のような一日。

どうしようもない一日。

キラキラした一日。

重くて暗い一日。

二度とない一日。

それがどんな一日であっても、

今日一日が終わった

その事実の前ではすべてが霞んでしまうような気がしました。

今日一日が終わった

1行目にそう書かれた四行日記。

「この1行だけで十分じゃないですか」

と、コメントしたくなる四行日記でした。


宗慧

いいなと思ったら応援しよう!