有ることの苦しさ
友人と食事に行きました。
突然、連絡がきて、お店も予約してくれて、
おしゃれなお寿司屋さんでの食事でした。
最近は会う機会がなく、数年ぶりの再会。
年齢は確か自分より2歳年上(58歳?)です。
30代中頃、お互いに別の会社でしたが、
同じプロジェクトで一緒に仕事をしました。
それ以来ですので•••かれこれ20年以上。
まずはお互いの近況報告。
彼の方は、仕事も順調で、健康にも問題なく
2人の子供さんも無事、社会人になり、
最近は月に1回、家族全員で外食をするのが
楽しみだと言っていました。
それからはとりとめのない話でしたが、
その中で、
このままでいいのか悩んでる
と彼が言い出しました。
正直、意外というか、少し驚きました。
社会的にも、経済的にも、周りからみれば
何の不満もないように見えるはずです。
そんな彼が悩みを抱えていることが、
自分にとっては驚きだったんだと思います。
でも、当たり前といえば当たり前です。
いわゆる社会的な成功も、経済的な成功も、
決して悩み・苦しみを無くしてはくれません。
だから、悩みがあるのは当たり前で、
驚きを感じている自分の方こそが不思議です。
そんなことを思いながら、
彼の悩みについて、ただ聴いていました。
帰り道、一人になって、改めて
彼の悩みについて考えてみました。
このままでいいのか?
考えようによっては贅沢な悩みです。
そんな次元でなく、悩み、苦しんでいる人は
たくさんいるはずです。
そういう多くの人が抱える悩みが無いからこそ
生まれてきた悩みのようにも思います。
人は何に対しても悩むことができる
そんなことを改めて教えられた気がします。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
お釈迦さまが説かれた四苦八苦と言われる
八つの苦しみの一つです。
五蘊とは(自分なりの理解です•••)、
色(物質的存在)
受(感覚器官が感受することで得られる情報)
想(情報を処理することで生まれる想い)
行(想いから生まれる意思)
識(全体を統合することで生まれる認識)
の5つです。
仏教では、この5つの要素によって、
この世界が成り立っていると教えられます。
そして、この5つの要素から成り立っている
からこそ生まれてくるのが五蘊盛苦です。
五蘊のうち、受・想・行・識は、
「心」の領域。
心は思い通りになりません。
何かを「思いたい」と思って、
思うわけではありません。
何かを「思いたくない」と思って、
思わないわけでもありません。
受から始まる無意識な反応こそが、
自分たちの心の正体なんだと思います。
全く同じものを食べて、同じ人と会って、
同じ環境に置かれて•••
それでも、心の反応は人それぞれです。
だからこそ人は何に対しても、
悩み、苦しむことができる存在です。
無ければ無いことに苦しみ。
有れば有ることに苦しみ。
無ければ無いことに喜び。
有れば有ることに喜び。
喜びも悲しみも、苦しさも楽しさも。
どんな悩みも苦しみも(喜びも楽しみも)、
自分とは関係なく無意識な心の反応の結果
ただそれだけのことなんだとすれば•••
少し気が楽になるように思います。
宗慧