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I shall return
まずはじめに訂正です。
前回「お寺が全焼」と書きましたが、これは間違いで「お寺の庫裡(くり)が全焼」でした。
庫裡というのは自分のような住職が生活する空間で、うちの寺の場合、これ以外に本堂(活人禅堂)、坐禅堂(哲学堂)、薬師堂の3つの建物がありますが、いずれも無事でした。
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だとすると、単に自分の生活スペースが燃えただけで、テント生活でもすれば、お寺としての機能には何の支障もないんだ•••と言えなくはありませんが、さすがにテント生活で長くは続かないと思いますので•••庫裡がないとお寺の機能にも大きな支障が出てきます。。。
さて、火事から3日が経ちました。
この3日間、今までの人生でも経験したことがないくらい濃密な3日間でした。
消防と警察の現場検証への立ち会い、ご近所への謝罪、役場での手続き諸々、病院でのヤケド治療、着るものとメガネの調達、今後のスケジュール調整、焼失したカード類の再発行手続き•••等々、あっという間の3日間でした。
そんなバタバタの3日間、毎晩ヘトヘトになって布団に入るんですが、相変わらず、すぐには眠れず、いろいろと考えてしまいます。
あの時にこうしていれば•••
あそこであれをしなければ•••
この先どうなるんだろう•••
やはり人間、すぐには成長しないものだと思いますし、後悔と不安という感情の根深さを実感します。
昨日の夜も同じようなことを考えながら、趙州和尚(中国唐時代の非常に有名な禅僧です)のお話を思い出しました。
弟子が趙州和尚に質問します。
「大きな困難に見舞われたら、どうしたらいいですか?」
これに対する趙州和尚の答えはシンプルです。
「恰好」
恰好というのは「恰(あたか)も好(よ)し」ですので「ちょうどいい/ちょうどよかった」という意味です。
これを「よしきた!」と意訳された方もいらっしゃいます。
だいたいそんなお話です。
今の自分にとって「火事=大きな困難」ですので、火事にあっても「よしきた!」と•••
「思えるわけがないだろ」•••と思いました。
そんなふうに自分で自分にツッコミを入れながらも、試しに声に出して言ってみました。
「よしきた!」
そうすると、不思議です。
ほんとうに不思議なんですが、自分の中で、火事以来、いつもどこかにあった後悔と不安が消えて、元気になった気がします。
「よしきた!」は、今、目の前にある現実に対する無条件の受容なんだと思います。
そして、後悔と不安は、現実を受容できない(無理だと分かっていながらも、どこかで無かったことにしたいと願っている)気持ちが生み出しているものだと思います。
だからこそ「よしきた!」が、後悔と不安を解消し、元気を与えてくれるんだと思います。
「よしきた!」
人間は思っていることと言っていること/やっていることが違うと違和感を感じ、自然と合わせようとしますし、この際、一番手っ取り早い解決策として、「思っていること」を変えて「言っていること/やっていること」に合わせようとしてくれます。
「よしきた!」
とは、とても思えなくても、言うだけで元気になれるのであれば、なかなか実用的です。
(実際に昨日は、布団の中で10回以上は言ったと思います•••)
そんなことを考えつつ、そして言いつつ、いつもより気持ちよく眠りにつけたと思います。
そして、今朝、久しぶりに剃髪しました。
今回の火事も自分の「気がつけばお寺の住職」物語の欠かせない1ページです。
この物語はこれからもまだまだ続きます。
今日からしばらく大子町を離れ、一旦、実家に戻り、それから東京、伊豆、鹿児島を回る予定です。
まずは生活基盤を立て直すこと、そしてお寺の再建計画を練ること。
そのためにしばらく離れますが、必ずここに戻り、お寺を再建します。
I shall return
この3日間で少し強くなった(多分)自分のそんな決意を込めた剃髪です。
宗慧