上野散策
久しぶりに上野に行きました。
20代の頃、埼玉に住んでいた時期には、上野は毎日通勤で利用していましたので、馴染み深い場所です。
今回は時間もありましたので、上野公園をのんびりと散策しました。
西郷さんの銅像。
彰義隊のお墓。
博士王仁碑。
グラント将軍植樹碑。
正岡子規記念球場。
ボードワン博士の胸像。
その他いろいろ•••ですが、勝手に、この「何でもあり」感が、上野という土地柄に合っているような気もします。
そして、東京国立博物館。
せっかくですので、特別展「中尊寺金色堂」を見学してきました。
スゴかったです。
ほんとうにスゴいと思いました。
2点。
一つは、900年前に建立・製作された建物や仏像を身近に見れることです。
特に、金色堂は繊細な画像で、直接、中に入って見ているかのような体験ができます。
900年前に作られた方々も、まさか900年後に、上野で、しかもこういう形で、たくさんの人々(結構、外国の人も多かったです)の目に触れるなんて夢にも思わなかったんじゃないでしょうか。
もう一つ、900年も前に、よくこんな繊細で豪華なものを作れたなあと思います。
これは、奥州藤原氏の莫大な力と建立に向けた情熱のようなものがあったからこそ成し得た大事業だったんだと思います。
国宝である阿弥陀三尊像、地蔵菩薩像。
お顔を拝見しても、ほんとうやわらかく、見ているだけで癒されるような気がします。
ふと、思いました。
確かに仏さまはこんなにおだやかなお顔をされていますが、これを作られた藤原氏は栄耀栄華に支えられて、同じようにおだやかな心で生きておられたんだろうか?
おそらく、そんなことは無いように思います。
きっと多くのものを手に入れ、それでも、というよりは、それだからこそ、より多くの不安や悩み、苦しみを抱えておられたんではないでしょうか。
まさに人もうらやむような境遇にあっても、やはりその人なりの苦悩を誰もが抱えています。
それは900年前も今も変わらないものなんじゃないかなあと思います。
中尊寺建立に際して、藤原清衡が読まれた供養願文には、「怨親平等」と「不戦」の願いが込められているそうです。
考えてみれば、維新当時、薩長側のリーダーであった西郷さんの銅像のすぐそばに、幕府側で最後の抵抗を試みた彰義隊のお墓がありますし、外国の方も含め、たくさんの方々の憩いの場になっている上野公園。
ここそのものが、「怨親平等」と「不戦」を感じられる場所なんだと感じました。
宗慧