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ホタテのきもち
昨日は天ぷらを食べてきました。
天ぷらが食べたくて•••というわけではなく、ある会合の懇親会でたまたま行きました。
コースでしたので、何も注文しなくても、揚げたての天ぷらが出てきます。
銀杏
海老
海老の頭
いか
魚(何の魚かは分かりませんでした)
れんこん
蕾菜(「つぼみな」だそうです)
そして•••
ホタテ
それから•••
しめじ(見たことのない大きさでした)
白魚
ウニ(大葉に包んでありました)
穴子
さつまいも
最後に•••
かきあげ(お茶漬けの上にのせて)
一番、印象深かったのはホタテでした。
肉厚のホタテがレアな状態に揚げられていて、とても美味しかったというのもありますが、
実は、たまたま前日に、ある人とホタテについて話をしたからです。
「帆立貝は養殖に3年かかるそうですよ」
「そんなにかかるんだ!」
「結構、大変みたいです」
•••
はじまりはそんなたわいもないお話でした。
それが途中から、
自分が養殖のホタテだったらどうする?
というテーマに変わりました。
変な話ですが、かなり真剣に考えました。
養殖ですから、3年後には出荷されれて、何らかの形で食べられて終わりです。
どういう形で食べられるかは、いろいろなバリエーションがあるでしょう。
料理として提供されても、食べてもらえず、そのまま廃棄なんていうこともあります。
そもそも自然環境に近い海水養殖ですから、3年後の出荷前に死んでしまうということも、それなりの確率で起こるはずです。
そんなブレインストーミングを経て、だんだんと思考が集約されてきます。
長くて3年。
限られた時間。
その時間を何のために生きるのか?
そして、どう生きるのか?
養殖ホタテについて考えていたはずでしたが、結局は自分たちも似たような条件で生きているように思えてきました。
ホタテとして有限の時間をどう生きるのかは、人として有限の時間をどう生きるのかです。
結論は•••
どうせなら、たくさんエサを食べて、ちゃんと運動もして、大きくて、丸々とした、美味しいホタテになって、食べた人を喜ばせたい
という生き方でした。
これを一言で表せば、
一所懸命
でしょうか。
何か自分にとって大切なこと(美味しいホタテになる!)に集中して、他のことに悩まされないような、
一所懸命な人生
自分ならこんな生き方をしたいと思いました。
昨日、揚げたてのホタテの天ぷらをいただきながら、ホタテの一所懸命を味わいました。
同時に、生まれて初めて、そんなホタテに憧れと尊敬の念をもちました。
感動をありがとう。
宗慧