
一人旅の経験が、今の私に繋がっている~かわいい子には旅をさせろ~
高校生の頃、一度だけ一人旅をしたことがある。
友人に会いに行くために突然、思い立った。
その友人は中学の時に静岡から京都へ転校してきた。関西弁を話さない人に出逢うのは初めてだったけれど、その友人は持ち前の明るさでスグにみんなと打ち解けていた。みんなの輪の中にいるこの友人と、どちらかと言うと一人が好きな私は、今思えば不思議な組み合わせだった。
お互い好きな音楽が似ていたことは覚えているのだけれど、でも、それ仲良くなったきっかけだったろうか……今では思い出せない。
別れは突然だった。ホームルームで担任から「転校した」と済んだことのように告げられたのだ。何も聞かされていなかった私は初め何を言われているのか分からなかった。
その夜、意を決して友人の家に電話をかけてみた。20年ほど前で、携帯電話が普及し始めた頃だけれど、私の周りはまだ携帯を持っている方が少数派で、用事があれば家の電話に掛けていた。すると本人が電話に出て、「みんなに送られるとか苦手やし」と、もうすっかり馴染んだ関西弁で、いつも通り話してくれることに安堵した。これをきっかけに、その後も連絡を取り合う仲になった。
高校生になってからも連絡を続けていた。生活にも慣れた冬休み、正月の挨拶もかねて久しぶりに電話をすると、「おいでよ」と言ってくれ、話が盛り上がった。
親にも相談するとスグに時刻表を買ってくれた。携帯電話はすでに持っていたけれど、いわゆるパカパカ(ガラケー)だ。今のように乗り換え案内をしてくれるわけでもない。
必至にJR時刻表の読み方を勉強した。
中学も高校も歩きと自転車通学だったから、電車に乗る機会が少ない私は時刻表を読み解くのに時間がかかった。
既に友人には行くと伝えていたとはいえ、不安が残っていたことは否めない。それでも、一通り乗り換えシミュレーションを終えた頃には、もう迷いはなかった。後は出発を待つだけだ。
これが初めての一人旅だった。
もちろん目的地には友人がいるのだけれど、道中全くの一人で大きな荷物を抱え、電車に乗り込まなければならない。残念ながら安くで乗り放題と聞いていた『青春18きっぷ』は時期がずれてしまっていて買えなかったけれど、駅員さんが優しく案内してくれ、普通の乗車券を購入することが出来た。
新幹線も、追加料金のかかる特急も使わず、鈍行だけの一人旅。
初めはそわそわしていたけれど、時刻表に記載されていた駅名へ予定通り到着する度、なぜか自分の自信につながってきた。
なんや、やればできるやん。
2月中旬の京都・滋賀間は風景だでなく、こんなにも気温が違うのんかと、そんなことも初めて知った。次第に周りの人々の話し方も変わってくる。自分がひどく田舎から出て来たお上りさんのように感じ、目を伏せながら電車に乗り続ける。途中でホームを間違えそうになって焦りながらも時刻表を片手にウロウロしている私に声をかけてくれる他の乗客や駅員さんの優しさ。
大きな荷物を見て「どこから来たの?」と声をかけてくれるおばさん。お互い何故か身の上話をすることになったのは、今でも忘れられない。
静岡に到着してさらにさらに進み伊豆半島の友人の家に到着する頃には、夜になっていた。
到着したのは友人の住む熱川と言う駅。そこは不思議な町だった。
温泉街と言ってもスグ近くには海があり、温泉の硫黄の香りと潮の香りが町中に漂っていた。絵葉書のような温泉街があるかと思えば、振り返ると海がある。友人の家にも温泉が引いてあった。なかなか落ちないシャンプーに悪戦苦闘していたら、それは温泉の粘りだった。
その感覚すら、20年経った今でも鮮明に思い出せる。
友人のチャリンコの後ろに立ち、ニケツで海岸沿いを猛スピードで駆け降りる。夜の海辺にギャーギャーはしゃぐ。京都のは盆地で海がないから、夜の海すら初めての経験だった。
2泊の旅行はあっという間に過ぎ、帰路へ。行きと同じ経路で京都へ帰る。
しばらく楽しかった思い出に浸りながらそう直の薄暗い車窓を見つめていた。次第に明るくなる車内に人も増えてくる。人見知りな私はまたそわそわし始めたのだが、ふと目を開けて固まった。
目の前に広がる富士山
朝日の中に現れた富士山は、車窓の枠に収まり切らず、動いている電車に乗っているはずなのに、一向に景色が変わらない感覚にとらわれる。
どれほどの時間が経ったのかは分からないけれど、この世のモノとは思えない程の壮大な景色に息を止めて見つめ続けている私を見て、クスクス笑い声が聞こえて来た。ハッとして、口を閉じる。いつの間にか口がだらしなく開けっ放しになっていたことに気が付き、顔を赤くする。
あれは間違いなく私の青春の一幕だった。
温泉と海の街、それに目の前に大きな富士山、京都から出たことのなかった私の小さな一歩。
この頃からかもしれない、一人でどこでも行けるのではと思い始めたのは。その後、社会人になってからは一人で海外へ渡るような経験もしたけれど、もしこの時の経験がなければ、同じ人生を歩んでいたかは分からない。
この時の景色は今でもたまに脳裏に浮かぶ。
けれど、それはいつも私の分岐点のタイミングであることが多い。
なぜ今なのだろう?
最近は特に代わり映えのない日々を送っている。それでも、もしかすると少しずつまた分岐点に足を踏み入れているのかもしれない。
潜在意識の中に潜むこの時の思い出を、今書き記しておこうと思った。
それも何か示唆しているのだろうか。
今後起こる良いことも悪いことも受け入れよう。
きっとその先にはあの時見た富士山のように素晴らしい景色が待っているはずなのだから。