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雨の日のお出かけにはいつも出逢いがある。その理由を考えてみた。

最近京都は雨続きなのだけれど、雨の日はなんだか外に出たくなる。
大学生の頃、とある雑貨店の店員さんに言われた一言が今でも忘れられなくて、特に雨の日は無理にでも外に出たくなってしまう。


雨の日は良い出逢いがあるんですよ


もう20年ほど前のことだから、その雑貨屋さんはなくなってしまっている。きっと何かを買ったんだろうけど、それすらもはっきりと覚えていない。
その店員さんの顔も背格好も全く覚えていなくて、ただ、男性だったなと言う記憶だけが残っている。
雨が降っている中、店の中から2人で雨を眺めて立ち話をしていた。その光景だけは今でも脳裏に残っているらしく、雨の日についつい思い出してしまう。

あまり若い頃の記憶が残っているタイプなだけに、自分でも、なぜそのことが? と、不思議ではあるのだけれど、その一言は今でも私の行動を変えている。
その話を聞くまで、雨の日のお出かけはやはり億劫だった。余程必要がなければ外出することすら避けていたけれど、それ以来、雨の日になるとちょっと無理してでも出かけようと思うようになった。

そして今日も朝からずっと雨だった。
予定は何もなくて、午前中はダラダラしていた私も昼食後には出かけることにした。

今日も良い出逢いがあるかもしれない。

良く行く本屋さん兼カフェへ向かうことにした。
カフェチケットがあったのと、お茶ついでに本でも買おうかなと、新たな出逢いを求めるにはうってつけだと思ったのだ。
定休日であることに、お店の前まで気が付かなかったのだけれど……。

残念に思いながらも他のカフェへと向かった。近くに2件ほど知っているお店がある。チケットは使えないし、本にも出逢えないことを考えると残念だった。
今日の雨中でのお出かけは失敗かな? なんて考えながら、きょろきょろと周りを見ながら歩いていた。最近カメラを始めたからついつい、つい視線があちこち行ってしまう。

やはり出逢いは訪れた。
目の前の「水だしアイスコーヒー」の看板の文字。
普段なら気にも留めない細い路地の先、小さな喫茶店と和菓子屋さんがあるようだ。

手前にある古い喫茶店の様子を伺いつつ一度通り過ぎ、奥の和菓子屋さんのディスプレイを眺める。あまり目ぼしいものは見当たらなかったので、またカフェの前に戻ってみる。
昔ながらの喫茶店で誰もお客はいない様だった。入りにくいなと思いながらも、せっかくだからと、扉に手をかけた。

席に着くと灰皿が置いてあって、たばこは嫌いなくせに、何だかくすっと笑ってしまった。匂いがしなかったからこそ、気を悪くすることもなかったし、良く換気されている証拠でもある。

ちなみに、こう言った時にヘビースモーカーの親の元に生まれてよかったのかもしれないと思ってしまう。特に父親は超が付くほどヘビーだった。
リビングで毎日吸うたばこの煙の中で育ったから、私たち兄弟3人とも、誰もたばこを吸わない。

たばこの煙は正直言って、やっぱり苦手だ。
けれど、今日のようにあまり気にならないことも多い。喫煙可の古い喫茶店ぐらいの煙であれば、もし多少たばこ臭くても目をつぶれるし、匂いにも割とスグに慣れてしまう。
たばこの煙のない家庭で育った人たちの話を聞いていると、どうしても煙の匂いに耐えられないそうだ。

けれど、こんな風に鈍感であることは、たまに、私に良い出逢いをもたらしてくれる。

ここのフレンチトーストは素朴だけれどとにかく美味しかったのだ。
甘すぎず、無理に大きく見せようともしていない。食パンをしっかり浸して、でも柔らかすぎず、食パンの食感も残しながら、甘すぎず、食べやすかった。
バニラアイスも添えられたバナナも良くあう。
最近の分厚い高級フレンチトーストとはまた違った、癖のない、けれどこだわりを感じるフレンチトーストだった。

お店の方は60~70代かと思うけれど、この年代の人たちって何故かシナモン好きだよなと、上に当たり前にかかっているシナモンパウダーも何だかほほえましい。

やっぱり雨の日は良い出逢いがあるなと、そう不思議に思いながら考えてみた。もしかすると雨の日は私の思考が「出逢い」に的を絞ってしまうのかもしれない。人であれ、モノであれ、出逢いがないか自然と探してしまう癖がついてしまっているのだろう。
雨の日に出かけると良い品物に出逢える確率が本当に高いのだ。
鞄、靴、洋服、化粧品、食事など、普段あまり冒険しない私も雨の日に限って新しいお店を見つけたり、手に取ったりしてしまう。

でも実は、ほどよい諦めがあるのかもしれない。
雨の日は無意識にいろんなことが出来ないという頭が働くのは確かだろう。街に出て来たけれど、長時間歩くこともままならない。鴨川を眺めてゆっくりすることすら出来ないから、出来ることと言えば、買い物かカフェぐらいのものだ。
自然と頭の中で新たな出逢いを求めている。そんなところなのかもしれない。

それにもう一つ、雨の日に出かけたくなる理由がある。
雨の日はどうしてもお客さんが少なくなるお店も多い。だからこそ、暇なときに突然、初めて見るお客さんが来店したら、店員さんとしてはどうだろう? きっと嬉しくて一生懸命接客してくれるのではないだろうか?
雨の日はきっと自分も、それに店員さんも無意識に、いつもと違う思考になってしまっている。そんな気がするのだ。だからこそ、いつもと違う視点を持つことが出来る。

20年も前の言葉を今でも信じていることに自分でも不思議だったけれど、こうして書いて整理していると、あぁ、そういうことかと妙になって得し始めた。


そして、もうこれは自分の言葉なのだなとも感じる。
人に教えられた言葉であることは確かだけれど、もうすでに自分の経験として言葉にしてもきっと誰も文句は言わないだろう。


雨の日には良い出逢いがある。
たまには雨の日に出かけてみてどうだろう?

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