考えているようで考えていない思考に気付く友人との会話
いつも真面目な会話が多く、大笑いするようなタイプではない友人。彼と久しぶりにランチに行った。頭が良く、いつも論理的に話をするし、私に考えさせるような質問をしてくる。
だからその友人と話をしていると、私のごちゃごちゃした頭の中が少しずつ整理していく気がして、話し終わるとすっきりするのだ。
今回は久しぶりと言うこともあり、誰でもするような、近況報告が多かったのだけれど、だからこそ、自分はあまりに何も考えていないと、そんなことに気付かされてしまった。
なんか夏らしいことした?
そういえば、夏らしいことなんて全くしていない。そもそも夏らしいことって、なんだっけ? 海行ったり、花火見に行ったりってこと?
そんな事……ここ数年来やっていない。
友人がそのまま話を進める。
今年はコロナでなんも出来んかったなー毎年旅行行ったり、プール行ったりしてたんだけど、去年と今年は全然何にも出来なかったな。
いや、あなた夏を満喫するタイプだったんですか!?
いつも真面目で、ただ、旅行好きだと言うことは知っているけれど、でも、山を登るとか、ストイックな旅行だと思い込んでいた。まさかのプールなんて言葉が出てくるとは……。
その友人と話しているといつも思うのだけれど、その人のことはモヤがかかったかのように輪郭が見えにくい。質問を投げかけては来るのだけれど、自分のことはあまり話さないし、自分の考えを相手に伝える必要もないと思っている節がある。
だからこそ、驚くのだ。あなた、そんなタイプだったの!? って。
まず、その友人のことを知らない時点で、私は何も知らないと言うか、知ろうとしていなかったんだなと気付いてしまう。いつも自分の話ばかりしていて、相手のことを見れていなかったなって。
それに加えて、夏だから何かしよう! と全く思っていなかった自分にも気づくのだ。コロナ禍だから何もできないと、はなから考えいなかったこともあるけれど、そうでなかったとしても、何も考えずに過ごしていただろうなと。
確かに学生の頃は友達と海に行ったり、花火を見に行ったり、お泊り会をしたりと、夏を満喫していたけれど、そんなことは今ではもうなくて、季節に応じた遊びをすることなんて、しなくなってしまった。季節関係なく本を読み、文章を書いて、友人とご飯に行く。
もし私に子供でもいれば行事に合わせて季節を感じることも多いのだろうけれど、独身の私はそんなこともない。
でも、この友人も独身なのだ。そして読書家であることも、カフェ好きであることも、何も変わらない。ただ、山が好きで海が好きで、自然が好きだからこそ、その季節に応じた楽しみ方を味わいたいと思うのだろう。
もちろん、楽しみ方なんて人それぞれだから、自分を卑下する必要なんて全くないのだけれど、でも、そもそも考えていなかったことに気付かされたのだ。同じ毎日をルーティンのように過ごすことで、満足してしまっていたのではないだろうかと。でも、それでは何だか人生に厚みがないと言われているような気がして、何だか自分で今の在り方が正しいのか? って。
次いで彼からまたハッとさせられる質問が投げられる。
海外赴任するんでしょ? 日本にいる間にやっておきたいことは?
ヤバイ。何も考えていない……。
本当に何も考えていなかった自分に驚いた。ちなみに彼も6年ほどアメリカの赴任経験がある。そういえば、海外に行くのであれば、いつ日本に帰って来られるのか分からない。
何が恋しくなるだろう、日本にいる間にやっておきたいことって何だろう?
そう考えるのだけれど、何も思い浮かばなくて、また、何も考えていない自分に嫌になる。
確かに最近整理がしたいし、カメラも撮りたい。文章も書きたいと考えることはあるし、海外赴任を全く意識していないかと言えばそうでもないのだけれど、日本でしかできない、今しかできないことをしようと、深くは考えていなかった。
あまりに目の前のことにとらわれ過ぎていてい、将来を見据えたうえでの今の在り方を、あまりに見失っていたことに気が付いてしまった。
そうだよね。今年の夏は今しか来ないし、海外赴任前にするべきことも今しかできないのだった。
以前、他人を通してしか自分を知れないと書いておきながら、また、自分のことばかり見ていることに気付かされてしまった。だからこそ、こうして人と会って話すことが大切だと改めて感じさせられた。
コロナ禍で中々人と会うことがはばかられる日々になっているから、あまり大声で友人と会いましょう! なんて言えない。でも、人と触れ合うことをやめてしまってはいけないとも私は思う。大切な人の近くにいて、信頼できる人からの言葉で自分を見直す。違う考えを取り入れ、また自分の人生に厚みを増す。いや、増せるように努力すると言った方がしっくりくるかな。
今やっておくべきことって何だろう?