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あの日常に、もう一度浸りたい

この映画を勧めてくれた同僚に感謝している。もし勧められていなければ、映画館でみることもなかったし、その後もDVDを買って見ることもなかっただろうから。

その同僚と話す数日前、映画館の前で気になる映画のポスターを見つけた。何とはなしに気になっただけだったのだけれど、その日は映画を見るつもりではなかったから、そのまま通り過ぎた。そのポスターを見たことは、家に帰るころには忘れてしまっていた。

数日後、昼食を共にした同僚が興奮気味に映画の話をし始めた。以前から映画の話をよくする同僚なのだ。
「グザヴィエ・ドラン監督の最新作が非常に良かった」と興奮気味に話してくる。(誰?)と私は思いながも、耳を傾ける。
タイトルを覚えていないと言われ、迷宮入りしそうになった。けれど、もしやあのポスターの映画では? と思い尋ねてみると、その映画だと判明した。

グザヴィエ・ドラン監督の『マティアス&マキシム』。

感動を共有したいというのだけれど、内容を伝えるのに苦慮している。気になっていた映画だっただけに、感想を聞きたかった。

助け舟を出そうと考える。ポスターを見る限りアクション系ではなかったはず。

「アクションではないですよね」
「違う」
「じゃぁ、ストーリーが素晴らしかったとか?」
「確かにストーリーも良かったんだけど、描写がすごい」
「はぁ、描写ですか……」

この後もどんな映画なのか少しでも理解しようと、質問を投げかけるのだけれど、あまりしっくりと来る回答は得られなかった。

「一度見てみて欲しい」

えっと……全然伝わってませんけど?
と、内心ツッコミを入れてはみるけれど、感動を共有したいという同僚のキラキラした目を無視することも出来ず、「わかりました」と答えてしまった。
それから2週間後、ついに映画館にやって来た。ちょうどその時話題になっていた別の映画も公開が始まっていたから、余程そちらを見に行こうかとも思ったのだけれど、同僚との約束を無下には出来ない。

下調べをしたとろによると、罰ゲームに負けた男友達のマティアスとマキシムが、短編映画でキスシーンを撮られることになる。そこから感情が次第に変化していくというストーリーだった。

湖の近くの別荘で男友達数名が楽しそうに騒いでいて、その雰囲気は好きだった。けれど、同僚が言っていた「描写がキレイ」と言うのは良く分からなかった。
見所と思われたキスシーンも、序盤に映し出され、あまり盛り上がりもなかった。

やっぱり違う映画をみれば良かったかな、感動するほどの映画でも……

そんな風に思い始めたのも束の間、次の瞬間、ハッと息をのむ光景が目の前に広がった。
友人とキスをしたことにより気持ちが不安定になったのか、マティアスが湖に飛び込む。マティアスが泳ぐ後ろを湖の波紋が追いかける。

写真展のギャラリーに来たような感覚に囚われた。

洗礼された写真は1枚でも感動してしまうけれど、それを幾重にも重ね映像へと変換したのだろうかと、そんな風に思わされる数分間が過ぎさった。そこからは映画から目が離せなくなった。
確かにストーリーも素晴らしい。家族の問題を抱えながらもオーストラリアへの渡航が近づいているマキシムと、マキシムとのキスシーン以降、仕事も恋人にも集中できないマティアス。それぞれの視点から心情を鮮明にストーリーに乗せている。

次第に日常に憧れた。あの、マティアスとマキシムのいるあの日常に。

終わった後も余韻に浸っていたいと思う映画は久しぶりだった。エンドロールを最後まで見続けた。驚いたことに、マキシムを演じていたのはグザヴィエ・ドランその人だった。そういえば、同僚がそんなことを言っていた気もするけれど、あの時は映画の内容を知りたくて、スルーしてしまっていた。

一人興奮冷めやらぬ中、どうしても電車に乗る気にはならずに、歩いて帰ることにした。もっとあの世界に浸っていたい。気が付けば歩きながら映画の世界を頭の中で再現していた。何故そこまであの映画を気に入ってしまったのだろう……

そうだか、同僚が言っていた描写がなせるワザなのかもしれない。

人の苦しみや怒り、悲しみ、そして喜び、全てが俳優陣の演技力さながら、映像へのこだわり、音、全てへのこだわりが描写と言う言葉で表現できる気がした。

DVDの予約が始まるとアマゾンで早速購入し、久しぶりにあの世界に浸ることにした。何故これほどまでにあの世界に惹かれるのか、やはり不思議な気もする。けれど、何度見ても映画が終わるころにはこう感じてしまっているのだ。

あの日常に、
マティアスとマキシムのいるあの日常に、
もう一度浸りたい

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