京の夜散歩
昨日は一日中外に出ていなかった。
だから、夜にただ散歩がてら少し家から遠い方のコンビニまで歩いていって、飲み物だけ買って帰ってこようと、そんなことは今までにもあったのだけれど、昨日はそれだけでは済まなかった。
だって、出かける寸前にタクゾーが連れて行けと、こちらを見ている気がして、ついつい、連れて行ってしまうことになったのである。
えっタクゾーって誰?
ペット??
いやいや、私の相棒のタクゾーさんです。
とある人に、相棒を自慢したんです。
カッコイいでしょ?
って。すると、褒めてはくれたんだけど……。
いい、マジいい!! 角があるのがいい!
って。
えっ、なに!? 角(かど)?
って、最初はと惑ったんだけど、でも、良く見ると確かに角がある。
相棒のタクゾー(カメラ SIGMA fp)
そうか、シンプルでかっこいいと思っていたのだけれど、角があるからカッコ良さが増しているのか! 人に言われて初めて気が付た。
そうすると、どうしても角が気になって毎日のように眺めるようになってしまった。
んで、付けた名前がタクゾー。
……これ以上の説明はいらないかな?
角○ ○○じゃねぇよ! って頭に浮かびました?
ネーミングセンスはさておき、昨日はただコンビニに行くだけのつもりがついついタクゾーを手にしてしまった。
すると、コンビニに行くだけより撮影の方が絶対楽しいよね? しかも、より長時間、歩けるんじゃないか? と、ついつい遠回りをしてしまった。
自分で言うのもなんだが、こう言う時は京都に住んでいるのは得だ。歩ける距離で、ザ・観光地に出くわすのだから。
しかも、昼はコロナ禍でも人通りが多い場所でも、夜になると静かなもので、でも案外、街灯はともっていて撮影するには絶好だった。
散歩やカメラを手にしている同じ類の人たちが数名いるぐらいで、私が子供の頃のまだ寂しい京都の観光地がそこにはあった。
下心
カメラを手にしている人は何となく親近感が湧く様にすらなってきたけれど、まだ話しかけるほどの勇気は持てなくて……特に三脚とか持ってる人を見ると、
あっ、本気のやつだー
って、ビビってしまう。
本当は話しかけたかったりはするのだけれど。
で、結局1人で黙々と撮り続けた。
石畳やら、歩く人の後ろ姿やら、五重塔やら、暗い中での京都らしい風景を撮影する、そんな練習をしてみた。
やっぱりどこを切り取れば良いのか、切り取りたいのか分からなくて、何度もカメラの液晶をのぞき込み、ぐるぐると視界をめぐらす。
設定を変え、近づいてみてダメなら引いてみてと(単焦点のレンズしか持っていない)、あれこれ撮ってみた。
往復30分程度のコンビニまでの道のりが、1時間半もの撮影散歩会に、いつの間にやら変わっていた。
タクゾーと二人の時間は楽しくて、ついつい時間が経つのを忘れてしまう。翌日は仕事で朝が早いのに、そんなことも忘れるほどに。
思う通りの、もしかすると自分が思っていた以上の、そんな写真が撮れることもあって、次第に切り取りの世界に惹かれてしまう。
タクゾーってやつは憎くて、不思議で、こんなにハマるとは全く予想もしていなかった。
見た目へのこだわりも、そしてそこから生まれる画の数々も、一緒に会話しながら撮るのが本当に楽しいのだ。
ただの夜道に艶感が生まれ、
かんざし屋の渋みがまし、
産寧坂に奥行き増し、
石畳に光の華が咲き、
五重塔の色が空に跳ねっ返る。
レンズを通してみる景色は肉眼で見る美しさとは違っている。
子供の頃から当たり前にそこに合った景色も、レンズを通してみることで(宣材写真に近くなるからだろうか)、改めて京都に住んでいるのだと思い出させてくれる。
きっと今だからこそ、このカメラを手にしたのだろう。昨日夜道を歩きながらそんなことを考えていた。
実は海外への赴任を予定しているのだけれど、その為にカメラを急いで買った節もあった。けれど、渡航よりもなによりもまず、自分の故郷を知るべきだと、そんなことを言われている気がするのだ。あまりに知らない日本の姿を少しでも見ておけよと。
確かに今まで留学やワーホリで海外に飛び出す度に、日本のことなんて何も知らないと、特に歴史が苦手な私は苦労をする羽目にはなる。
日本ってどんなところなの? どんな文化なの?
聞かれるたびに、茶道や華道なんかの日本文化に触れておけば良かったと思うのだけれど、なかなか手が付けられない。これから学ぶ時間も、もうあまり残されていない。
けれど、相棒と一緒なら、少しでも誰かに伝えられるだけの、どんな場所に住んでいるのかぐらいの、そんな画を見せられるぐらいには、準備をすることは出来るだろう。
そう考えると、タクゾーが逞しく頼りがいのあるやつに見えて来た。
これから、この頼もしい相棒とどんな世界を切り取ろうか。