ヒタカミのホツマ旅⑥~善知鳥神社(青森総鎮守社)
この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。
善知鳥神社にお祀りされている三姫
三内丸山遺跡の次に訪れたのは善知鳥神社です。「えっ、なんて読むの?」って思いませんでした?僕は最初思いました。答えは善知鳥(うとう)。それにしても思いっきり当て字ですよね(笑)当て字って言葉遊びみたいで日本人の言葉に対するユニークな感性の表れだなって思います。
善知鳥神社は多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)、市寸嶋比売命(いつきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)の三柱の神様をお祀りしています。宗像三女神という名でも有名ですよね。
古事記や日本書紀では天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)という不思議な出来事で誕生したことになっていますが、ホツマではアマテルカミ(天照大御神)と13人いるお妃の1人ハヤコとの間に生まれた三姫として記されています。
ハヤコは姉のモチコと姉妹でアマテルカミ(天照大御神)のお妃だったんですが、ちょっと、まあこの姉妹がいわゆる悪い妃として記されているんですよね。三姫は母や叔母が巻き起こす騒動に巻き込まれてしまい、波乱の人生を歩むことになってしまうのです。
実際に起きた出来事と書物に記されていることが必ずしも「100」一致することはないでしょうが、背景にある物語を知ると、歴史って面白いほどアタマに入ってきます。アタマというか感覚で捉えることができるようになるので。物語の力はやはり大きいなと思いますね。
というワケで、この記事では善知鳥神社を訪れた体験記と合わせて、三姫の波乱の人生がホツマでどのように記されているのかをお伝えしたいと思います。
善知鳥神社に三姫がお祀りされている理由をホツマから紐解くと?
三内丸山遺跡から車で約1時間。青森市安方(やすかた)にある善知鳥神社へ到着です。この時点で午後3時。この後、もう一社まわる予定なので、あまりのんびりはしていられないとチョット焦りぎみ。
御祭神について、ホツマで記されている名と合わせてチョット整理(右側がホツマです)。
多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)⇒オキツシマヒメ(タケコ)長女
多岐都比売命(たぎつひめのみこと)⇒エツノシマヒメ(タキコ)次女
市寸嶋比売命(いつきしまひめのみこと)⇒イチキシマヒメ(タナコ)三女
こちらの三姫がなぜここ善知鳥神社にお祀りされているのか?
ホツマ的視点と合わせて書いていきますね。
善知鳥神社のご由緒には、、、
日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)の御子の三女神を、善知鳥中納言安方が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来している。
引用:善知鳥神社HP
なるほど、善知鳥中納言安方(うとうちゅうなごんやすかた)という人が三姫を祀った、と書いてあります。
ではチョット違う視点、ホツマから紐解くことでわかることを書いていきますね。
ポイントは三姫(タケコ・タキコ・タナコ)が青森(または善知鳥神社がある安方)に所縁(ゆかり)があったということです。
まず長女のタケコ(多紀理毘売命・たぎりびめのみこと)が嫁いだのが出雲の国を発展させたオホナムチだったということ。
オホナムチは出雲の国を発展させますが、チョット調子に乗り過ぎたみたいで、タカマ(中央政府)から慢心、増長していることを咎められ、津軽(青森)へ国替えとなってしまうのです。
ちなみに古事記では大国主命が国譲りをして出雲のどこかに隠れたことになっています。さらにホツマでは大国主はオホナムチではなく、息子のクシヒコとなっているんですね(代が違うということになります)。
とにかくこのことから、タケコ(多紀理毘売命・たぎりびめのみこと)が青森にゆかりがあったことがわかります。
もう一つ、冒頭でちょっと触れた三姫の母であるハヤコとその姉であるモチコについて。
モチコ・ハヤコ姉妹はともにアマテルカミ(天照大御神)の妃でありながら、行いが悪いことを内宮(正室)であるセオリツヒメに咎められ、宇佐(大分県)へ下るように命じられてしまいます。
姉妹は反発しながらも仕方なく宇佐へ行きますが、怒り収まらず、さすらいの旅に出てしまうのです。この姉妹の憤りがオロチとなり、そこに各地の無法者などが集まってハタレという集団となり、大規模な反乱へと繋がるのです(長くなるのでここでは詳細は省略しますね)。
このような経緯があり、モチコ・ハヤコと三姫はさすらいの旅の中で、ここ善知鳥神社のある安方の地へ来たと言われています。
ホツマの10アヤにはこうも記されています。
そとがはま イトウヤスカタ
カミのみけ はむウトウあり
外が浜(陸奥湾沿岸の古来の名称・青森県東津軽郡・青森市にあたる)、イトウ安方に神の御食(みけ)を食べる善知鳥(という鳥)あり。
善知鳥神社がある青森市安方は陸奥湾沿岸。現在の神社がある場所は海辺ではないのですが、かつて縄文海進といって海水面が今より上昇していた時期がありました。ホツマで記されている時期は縄文時代。「善知鳥」という鳥が海辺で神の御食を食べている、という当時の光景が目に浮かびます。
善知鳥神社境内へ
一の鳥居を一礼してくぐり、
二の鳥居もくぐります。
手水舎で手と口を清め、
拝殿にて手を合わせます。
午後三時を回っているので、あまり人はいません。少し長めに参拝をしました。「参拝のご縁をいただきありがとうございます」僕が参拝でお伝えするのは基本これだけです。
こちらでお祀りされている三姫(タケコ・タキコ・タナコ)とはご縁があって、同じく2019年4月に青春18きっぷで行った厳島神社と宇佐神宮、同じく4月に行った江ノ島神社にもお祀りされています。
厳島神社はやたらと懐かしい感覚があったり、宇佐神宮では思いがけない出会いがあったり。江ノ島神社に行ったのも大切な記念日でした。今回のホツマの旅で訪れた善知鳥神社も含め、三姫をお祀りする神社には要所要所でご縁があり、素敵な出会いや感覚をギフトしてくれるようです。
稲荷神社。
龍神宮。
うとう沼。
弁財天宮。
龍神之水。
あまりゆっくりもしていられなかったのですが、せっかくなので一通り巡り、御朱印を頂きました。
縄文から令和である現代へ
三姫(タケコ・タキコ・タナコ)はアマテルカミ(天照大御神)と妃の1人であるハヤコとの間に生まれ、母や叔母であるモチコの邪(よこしま)な心が原因で各地を彷徨うことになってしまいました。
モチコ・ハヤコ姉妹の邪念はソサノヲ(須佐之男命)や各地の無法者までをも巻き込む大反乱に発展します。
「縄文時代は平和だった」と言われますが、三姫が生きた時代は世も人心も乱れたときでした。モチコ・ハヤコ姉妹だけが悪というわけでなく、時代の流れでもあったのです。
そのような乱れた時代にアマテルカミ(天照大御神)をはじめ、タカマ(中央政府)に集ったカミ(指導者)たちがいかに立ち向かっていったのか。
ホツマでは、タマ(良心)とシヰ(欲)が合わさって人(タマシヰ)となり、タマ(良心)とシヰ(欲)の結合部分をタマノヲと呼びます。
さまざまと起こる問題も、善と悪という単純な捉え方ではなく、タマ(良心)とシヰ(欲)のせめぎ合い、バランスの乱れからなり、タマ(良心)に重きを置くことの大切さをホツマは説いています。
平和な時代と言われた縄文から、弥生へ移るまで幾多の困難を乗り越えてきた縄文のご先祖様たちの言葉は、カタチは違えども現在混乱する僕たちに大切なことを伝えようとしているのではないか、と改めて感じます。
コロナ騒動がとどまることを知らず、ついにオリンピックも中止。昨日は外出自粛要請も出され、次は「首都封鎖か」とも言われています。世界的に大変な時期ではありますが、この先には新たな世界の在り方へと続く道があることを見据え、希望をもって毎日を生きていきたいと思います。毎日、毎時、毎秒、毎瞬、「いまここ」を宝物として。
三姫も波乱の人生を送りましたが、
長女タケコはオホナムチに、
次女タキコはカグヤマツミに、
三女タナコはイフキヌシに嫁ぎます。
そして、神上がりしたのち、
タケコは竹生島に、
タキコは江の島に、
タナコは厳島にお祀りされ、
子孫である僕たちを見守り続けてくれています。
そして、各地でお祀りされている様々な神社で。
善知鳥神社のHPはこちらになります。
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