広島市佐伯区 国指定重要有形民俗文化財『湯ノ山明神旧湯治場』の現地視察会で考えたこと
旧日本温泉文化研究会HP「研究余録」2012年10月記
広島市佐伯区湯来町の湯の山温泉は、国の重要有形民俗文化財に指定されている「湯ノ山明神旧湯治場」が所在することでよく知られています。文化庁のHPで公開されている『国指定文化財等データベース』によると、「湯ノ山には古くから鉱泉の湧出があり、霊験の湯として知られてきた。現在は、共同浴場を新設して使用しており、旧来の湯坪は、その上段にある。湯坪は、岩崖を掘りくぼめた素朴なものである。また、湯屋をはじめとした諸施設は当時の姿をよく伝えている」ことが、指定の根拠となったようです。
「湯屋をはじめとした諸施設」とは、「湯小屋」と湯山明神社の「本殿」、および「拝殿」を指しています。本会が昨年1月に上梓した『温泉をよむ』(講談社現代新書)を読まれた方はご存じだと思いますが、かつての温泉場=湯治場では、“湯”と“神仏”が一体、あるいは車の両輪の役割を果たしていました。病に冒された人たちは、湯に浸かり神仏に祈ることで、快復が叶うと信じていたのです。そのような古い姿を伝える湯治場は、今ではこの湯の山温泉以外、もうどこにも残されていません。ですから、これからも文化財として保護保存していく必要があります。
ところが、その湯小屋も本殿も拝殿も、ここ数年の間に屋根が所々腐朽し、クマの仕業と思われる破損個所も見られるようになってしまいました。私も3、4年前に一度現地に赴き、様子を見てきたのですが、氏子の方々が応急処置はしているものの、国指定の文化財と言うにはあまりにも悲惨な現実に唖然としたものです。
その実情を、『中国新聞』が本年1月28日の朝刊で報じました。貴重な文化財であるにもかかわらず、本格的な修復の見込みはたっていない、という内容でした。よくある「国宝」や「重要文化財」ならば、破損直後に修復が施されるのですが、残念なことに「重要有形民俗文化財」は、これらに比べると価値(評価)としては一段低くみられる傾向があります。そのような文化財認識(※民俗資料にたいする)も、影響しているのかもしれません。
この記事に接し、日本温泉文化研究会でも何かできるのではないか、と考えました。温文研は、温泉にかかわる研究者の集団です。皆が知恵を出し合えば、修復保存に向けた良いアイディアが浮かぶかもしれません。そこで、本年の3月18日(日)と19日(月)の2日間にわたり、取り敢えずの現地視察会を開催しました。参加者は8名。通常は施錠されていて湯小屋の中には入れませんが、管理されている方に同行していただき開けてもらい、細部まで観察することが出来ました。まずは、現場を正確に知ることから始めたわけです。
この現地視察会では、湯小屋と共に湯山明神社の拝殿、さらには通常は扉が閉ざされている本殿の内部まで拝見することができました。もっとも、湯小屋からは眼下の「湯の山温泉館」(市営の公衆温泉浴場)名物打たせ湯(露天)が丸見えとなってしまいますので、早朝から営業が始まる9時までという時間的制約はありましたが、参加者はそれぞれの興味に応じて詳しくご覧になっていたようです。湯小屋内部の柱などに書かれた湯の効能を讃える落書(和歌や俳句など)を、熱心に見入っている方もいました。
この視察会では、湯山明神社の氏子5人に懇親会にお集まりいただき、意見交換をさせていただきました。湯小屋をはじめ神社の本殿も拝殿も、屋根などの破損が甚だしいため、応急措置的にトタンで覆い雨漏りを防いでいるのですが、いつまでもこのままというわけにはいきません。氏子の皆さんから修復に向けての熱い思いをうかがい、「文化財を所有し、維持していくとはどういうことなのか?」、あらためて考えさせられました。記事にはなりませんでしたが、その意見交換会を『中国新聞』の記者が取材に来ていたものですから、本気で議論したことを覚えています。
3月の「湯ノ山明神旧湯治場」の視察会における地元住民の皆さん方(湯山明神社の氏子)との意見交換会では、文化財についていろいろなことを考えさせられました。ことに強く意識されたのが、「文化財を所有し、維持していくとはどういうことなのか?」についてです。私たち研究者にとっても重要な問題のはずなのですが、これまでほとんど意識することはなく、見過ごされてきた問いだと思います。文化財を考えるということは、そのモノだけでなく、時には所有し維持する人や団体にまで思いを致さなければならないのです。ことに「湯ノ山明神旧湯治場」の場合は、なおさらです。
国指定文化財の建造物で、「湯ノ山明神旧湯治場」のように破損が確認されているにもかかわらず、何年もほったらかしておくのは極めて異例です。一部が壊れると、その部分から劣化破損が急速に進行しますので、本来ならば早急に対処しなければなりません。「国宝」や「重要文化財」では実際、その多くがすぐに修理されてきました。ですが、「湯ノ山明神旧湯治場」ではそうはならなかった。なぜか。国指定ではあるものの、こちらは重要有形民俗文化財ということで行政側に緊張感が欠けていたことも否めませんが、どうやら根本的な問題は別のところにあるようなのです。
ところで、愛媛県松山市の道後温泉にある「道後温泉本館」も国指定重要文化財ですが、国宝や重要文化財(以下、重文と略称)の建築物を目にするのは、京都や奈良の場合を例示するまでもなく、その多くは寺院や神社においてです。京都や奈良以外の地域でも、国宝や重文にお目にかかれるのは、かなりの割合で寺社においてだと思われます(近年は近代建築なども文化財として評価されるようになりましたが)。寺社の堂塔伽藍や神殿は、それぞれの宗教性や歴史的背景、そして個々の特質を強く反映して維持さている建築物ですから、その分ほかの建物に比べて現在にまで継承される確率が高いのでしょう。
その国宝や重文の建築物を所有する寺院や神社は、現在も独自の宗教的基盤の上に経済活動を営んでいます。神社ではあまり見かけませんが、京都や奈良の寺院では「拝観料」という名の「見物料」を徴収してこれらを見せていますし、そうでない寺社でも檀家や氏子・信者という組織の下に経営を行っているわけです。つまりその多くは経済的に自立している「所有者」と言えるのではないでしょうか。ところが、「湯ノ山明神旧湯治場」を「所有」する「湯山明神社」の場合は、そうではありません。
湯山明神社は、広島市にあります。広島市といえば、中国地方を代表する大都市なのですが、湯の山温泉が所在する佐伯区湯来町は、2005年4月まで「佐伯郡湯来町」でした。水内川(みのちがわ)の清流をのぞむ山間の農村で、都会の喧騒とはまったく無縁のところです。付近の山には、クマも生息しています。ご多分に漏れず、高齢化と過疎化が進行しつつあり、歩いていても若者と出会うことはほとんどありません。コンビニへ行くにも車が必要です。
公共交通もけして便利とは言えません。東京から出向くとする、東海道山陽新幹線で広島駅まで行き、JR山陽本線の岩国方面行に乗り換えて五日市駅で下車。駅前から湯来ロッジ行のバスに乗車し、揺られることおよそ1時間で大橋バス停着。さらにここから別の路線バスに乗り換えるか、20分ほど歩くかしてようやく湯の山温泉です。
湯の山温泉には、かつて中規模のホテルも含めて数軒の宿泊施設がありました。「広島の奥座敷」とよばれ、近所の湯来温泉と共に大勢の観光客を迎えていたそうです。ですが、今では小規模な旅館と民宿が各1軒のみ。湯山明神社へと続く参道にそって、かつての旅館跡がひっそりと佇んでいます。集落の住人も多くが離れ、湯山明神社を守る氏子は8軒ほどになってしまいました。その8軒の氏子も、半数が既に外に出ているそうです。神社には、神職もいません(兼務の神職はいらっしゃいます)。
奈良や京都の国指定文化財を抱える寺社と、広島県の山間部で「湯ノ山明神旧湯治場」を護持している湯山明神社(の氏子たち)。文化財の区分こそ異なりますが、国指定の文化財を保有保存していることでは共通しています。ですが、京都や奈良の著名寺院や神社であれば、観光客(参拝客)も大勢訪れて賽銭を投じますし、拝観料収入もあるでしょう。檀家や信徒、各地の信者から金品の寄付も容易に行われると思います。それは、経済的に自立している所有者だからです。ところが、湯山明神社ではそうはいきません。こちらは氏子8軒、実質4軒の集落の鎮守なのですから。
文化財に指定されると、国や地方自治体から必要に応じて補助金が交付されます。屋外の建築物であれば、消火設備なども整備されるようです。ですから、何も損害がなければ、所有し維持していくことは京都や奈良でも、ここ湯の山温泉でもさほどの困難は感じない筈です。ところが、今回のように大破し大規模な修復工事が必要になった時には、両者の差は歴然となります。
国指定の文化財建築物を修復する場合、町の大工さんに任せるというわけにはいきません。文化財修理の専門家による調査ならびに技術指導を経た上で手慣れた職人さんが施工することになります。建物に使われている材木の種類なども、厳密に分析するそうです。時には、まず修理に用いる木材(木)から探さなければならないこともあるとか。こうなると、一般の工務店などに依頼する場合の費用とは、較べようのない金額が必要となってきます。
もっとも、修復することが決まれば、国と所在地の都道府県および市区町村(本件の場合は「国」「広島県」「広島市」)から補助金が支出されます。物件の種類や諸事情も勘案されるようですが、これらを合わせると概ね総工費の4分の3程度が助成されることになるようです。所有者の負担は、残りの4分の1ということになります。行政からの補助金は税金ですから、持ち主も一定の割合で負担しなければ、どんなに重要な文化財であったとしても納税者の理解は得られません。
では、「湯ノ山明神旧湯治場」の場合です。修復にどのくらいの予算が必要なのか私にはわかりません(※実は知っていました)。『中国新聞』2012年1月28日朝刊(広島都市圏の地域版)の「屋根破損10年 補修進まず 湯来の国重文湯ノ山明神社本殿 数百万円の費用ネック」では、「神社は1748年の建立と伝わる。氏子たちは屋根全体のふき替えを検討しているが、少なくとも数百万円の費用がかかる。国、県、市が4分の3を補助する制度はあるが、氏子も負担は避けられない。」と報道しています。もっとも、これは神社「本殿」の修復に限っての記事です。お知らせしているように、破損しているのは本殿のみではありません。「拝殿」も、そして「湯小屋」も同じです。これらをすべて修復するとなれば、「数百万円」の数倍はかかってしまいます。それに加えて、拝殿には湯治して病が癒えた入湯客からの奉納物が掲げられているのですが、これらを保存するための何らかの措置も必要でしょう。
これら3棟の屋根を補修するとして、仮に5000万円かかるとしましょう(あくまでも仮定です。もし解体修理が必要と判断されれば、億単位になることは間違いありません)。その4分の1を、所有者である湯山明神社(の氏子)は負担しなければなりません。つまりは1250万円。8軒(実質4軒)ですから、おいそれとは出せない金額だと思います(実際の見積もりがこの額以下であればその分の負担は軽減されますが、どちらにしろ総修復費用は数千万円になること間違いなさそうです)。
新聞記事にもあったように、この負担金が国指定重要有形民俗文化財「湯ノ山明神旧湯治場」の修復を妨げている最大の要因なのです。これが、「経済的に自立している所有者」ならば、事はそう難しくないはずです。修復資金も積み立てているでしょうし、臨時の寄付を募ることも可能です。信者が多ければ、屋根に用いる銅板や瓦に1枚いくらで願文を書いてもらい、それを屋根に葺くという手もあります(湯ノ山明神旧湯治場を構成する3棟の屋根は「こけら葺き」です)。こうなると、その差は歴然です。所有する人や団体(の経済力)によって、その文化財が本来持つ価値とは関係なく、修復の可否が決まってしまうことになります。
私たち研究者は、学術上貴重なモノであれば保存や修理を求めます。日本温泉文化研究会でも、数年前から山梨県甲府市に所在する近世から近代の湯治場遺跡の文化財指定を訴えているのですが、これなども貴重な温泉資料(遺跡)で後世に継承すべき重要な文化遺産であると評価したからに他なりません。ただ、この湯治場遺跡もそうですが、文化財には必ず所有者がいて、抱えている事情は様々です。行政の対応も、大きく影響します。そういうものを含めて、文化財というものは考えていかなければならないのでしょう。懇談会で、氏子の皆さんから突き付けられた「文化財を所有し、維持していくとはどういうことなのか」という設問に対する答えは、まだ見つかっていません。その糸口さえ見えない。来年1月末に2回目の現地視察会を開催しますので、その時に、もう一度現場に立って考えてみるつもりです。
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