見出し画像

2012年5月に温文研が主催したシンポジウム『温泉と博物館』について

以下の文章は、2012年11月5日から数回にわたり、旧 日本温泉文化研究会ホームページの「研究余録」に書かせていただいたものです。古い記録ですが今も有効な内容が含まれていると思われますので、そのまま再掲させていただきます。

去る5月20日(日)、日本温泉文化研究会(以下、温文研と記します)では東京品川区の「品川区立品川歴史館」講堂を会場にお借りし、公開ミニシンポジウム『温泉と博物館-温泉展の意義と可能性-』を開催しました。これは①博物館で「温泉」を「展示」することの意義と、②博物館における温泉展開催の可能性、という2つのテーマについて、関係者の皆さんにお集まりいただき、活発な議論をしていただこうと企画したものです。

プログラムは趣旨説明から始まり、第1部が菅野剛宏氏(大分県立歴史博物館)による基調講演「温泉展の意義と課題」、第2部は菅野氏も含めた本会会員3名(ほかに品川歴史館の柘植信行氏、奈良県立橿原考古学研究所の橋本裕行氏)によるパネルディスカッション、そして第3部がフロアを交えてのフリーディスカッションという順で進めました。会員以外に、栃木県や長野県、静岡県、愛知県など遠方からも大学・博物館関係者にご参加いただき、内容の濃い議論を行うことが出来たように思います。

会場にお借りした品川区立品川歴史館では、ちょうど『温泉の魅力、再発見-湯どころの姿あれこれ-』展が開催されていて、シンポジウムの参加者も熱心に観覧されていました。ことに特別出品されていた天正10年(1582)の奥書がある神奈川県山北町指定重要文化財『箱根権現縁起絵巻』(「伊豆山走湯大権現」の場面)は、おそらく温泉の姿(浴槽や入浴している様子)を描いた最古の絵巻だと思われますので、皆さんひときわ注意深く観察されていたようです(本会編『温泉の文化誌 論集【温泉学①】』の口絵に写真が掲載されています)。

このシンポジウムにつきましては、来春刊行予定の本会共同研究成果論文集『論集【温泉学③】』(岩田書院発行)に記録を掲載する予定だったのですが、編集の都合で今回は断念せざるを得なくなりました。そこでこれから数回にわたり、『温泉と博物館』で議論された内容の一部をご紹介させていただくことにします。ただし参加者の発言は、オリジナルなものとして保護されなければなりませんので、ここでは全体的な議論の進展が中心となることをご理解下さい。

日本温泉文化研究会では、設立当初から「温泉と博物館」というテーマを重視してきました。最初の研究成果論文集『温泉の文化誌 論集【温泉学①】』(岩田書院、2007年6月)に、古田靖志氏の「温泉文化の普及と博物館における温泉展示」と、菅野剛宏氏の「歴史系博物館における温泉展示の一体験」を収載したのも、その現われです。

「温泉と博物館」というテーマを重視するのは、日本には現在3千数百の温泉地があり(私の推計ですと江戸時代末期でも1000湯近くありました)、管内に著名かつ歴史的な湯治場をかかえる博物館も多いはずなのですが、温泉を中心に据えた展覧会(以下、「温泉展」と称します)があまり開催されていないからです。このような状況は、すなわち「温泉」が博物館において「文化」(広く発信すべき意義ある学術情報)と位置付けられていない可能性を示唆しています。温泉は、刹那的遊興のための非日常空間であって、そこに学ぶべき価値(文化)など存在しない、と。現実問題として、世間一般の皆さんも「温泉」を「(伝統)文化」とは見なしていないようなのです(温泉に長い歴史があることは認めつつも)。

このような認識が世間に行われているのだとしたら、それは改めていく必要があります。まごうことなく「温泉」は「文化」(「温泉という文化」。これについては後日)なのですから、私たち温泉の研究者はそれを広く市民の皆さんに納得してもらわなければなりません。この理解が共有されない限り、*国指定重要有形民俗文化財「湯ノ山明神旧湯治場」(広島県広島市佐伯区湯来町)に税金を投じてまで修理保存工事を施す社会的意義は薄れますし(文化財的意義は保てても)、新たな温泉関連遺産の文化財指定などは絶望的です。有形無形を問わず、指定文化財というのは、文化のバロメーターとしての役割も担っています。

博物館は、このような漠然とした認識を劇的にかえる力を持っています。ですから、まずは博物館の学芸員や職員の方々に理解を深めていただき、温泉展を企画していただきたいのです。日本温泉文化研究会が「温泉と博物館」というテーマにこだわる所以は、ここにあります。写真(撮影:お茶の水女子大学大学院博士課程の荻島聖美さん ※写真省略)は基調講演の様子ですが、その中で菅野さんは仰っていました。博物館のガラスケースに展示することで、それが貴重な資料であることを理解し、関心をもってもらいやすくなるそうです。博物館には、文化としての温泉理解に観覧者を近づけるための説得力が期待できます。

もっとも、これまで温泉展がまったく開催されていないわけではありません。管見によれば、                         群馬県立歴史博物館『上州の温泉』(1986年)             兵庫県立歴史博物館『湯の聖と俗と-風呂と温泉の文化』(1992年)   富山県立立山博物館『もうひとつの立山信仰-立山信仰と立山温泉』(1992年)                                松山市立子規記念博物館『伊予の湯』(1994年)           MOA美術館『熱海再発見』(1997年)                 神戸市立博物館『有馬の名宝-蘇生と遊興の文化』(1998年)      大分県立歴史博物館『湯浴み-湯の歴史と文化』(1999年)       武雄市歴史資料館『温泉 和みの空間』(2003年)           西尾市岩瀬文庫『資料にみえる温泉風景』(2010年)         MOA美術館『熱海ゆかりの名宝-学校の先生と学芸員がつくった展覧会』(2012年)                             などが開催されています。また自然科学分野でも、           斜里町立知床博物館『知床の温泉』                  岐阜県博物館『温泉展-湯の華からのメッセージ』(2002年)      岐阜県博物館『名水・温泉・名勝-水と大地のハーモニー』(2005年)  などの展覧会が過去にありました**。

なぜ、博物館で温泉展が開催されないのでしょうか?。理由は様々でしょうが、あちらこちらから漏れ聞こえてくるところを集約すると、問題点は2つあるように思われます。一つは(①)、企画しようとしても、博物館内部やそれを管轄する組織(教育委員会など)の賛同が得られないこと。それから二つ目は(②)、開催しようにも展示する資料がない(少ない)こと、です。そこでシンポジウム『温泉と博物館』では、テーマに「温泉展の意義と可能性」という副題をつけることにしました。温泉展を企画するためには、「開催する意義」と「実現の可能性」を評価することが必要と判断されることから、その部分について議論を重点的に交わそうとしたわけです。

①は、11月7日にもお知らせしたように、博物館やその関係者が「温泉」を「文化」として認識していない、ということなのでしょう。温泉(文化)については、ことに人文科学系においては、学術的研究はまだ始まったばかりですから、成果の蓄積がありません(郷土史としての温泉史や、温泉地の提灯持ち的な似非研究は数多ありますが)。学術的裏付けがないものを博物館のテーマとするにはかなりの勇気が必要ですから、躊躇されるのもよくわかります。一部の教育関係者の中には、温泉を教育上不適切な場所と考える方もいるようですので、そのような認識も背景にあるかもしれません。実際、減りつつはあるものの、温泉地には風俗店が軒を連ねているところがあります。では、このような学術及び現在の温泉環境に対する認識をめぐる状況の中で、どうすれば温泉展を開催する「意義」を認めてもらえるのでしょうか?  

②は、展示する資料の問題です。現場の学芸員にとっては、むしろこちらの方が深刻だと思います。展示する資料がなければ、そもそも企画さえ成り立たない。『温泉をよむ』にも書きましたが、温泉地は火災・洪水などによる被災頻度が高いため、現地には資料が残りにくいのです。これまで開催された温泉展(11月7日記事)は、いずれも古くからの著名な温泉地を管内に抱えており、現地以外に残された資料(訪れた側の史資料)も活用できたからこそ、実現したのだと思います。開催館の名称に「歴史」を冠するところが多いことからも知られるように、これらの温泉展では歴史的な視点で温泉を捉えようとしており、その多くは『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』などに始まり、当該温泉地の江戸時代を中心に明治、あるいは大正・昭和までの歴史資料を展示するというものでした。では、これらのように古くから知られた比較的資料が豊富な温泉地を管轄下に持つ博物館でしか、温泉展を開催することができないのでしょうか?

もっとも、資料が残されていれば企画できるのかというと、そうでない一面もあるようです。「温泉」そのもの(歴史的文化的に意味を持つ例えば「泉源」など)を博物館で展示することは出来ませんし、残存している古文書や典籍などの「紙資料」(平面的な資料)ばかりでは観覧者は飽きてしまいますので(もっとも、品川区立品川歴史館が開催した『温泉の魅力、再発見-湯どころの姿あれこれ』展は、これに対する逆転、あるいは新たな発想に基づいて企画されたようです。展示概要は柘植信行さんが来春刊行予定の『論集【温泉学③】』で紹介されることになっています)、立体的なモノや、色のついたきれいな資料も必要です。昨今の展覧会は、内容の充実度ではなく入場者(観覧者)数で評価されるとかで、菅野さんは基調講演の中で「その一品だけでも客を呼び込める“目玉”資料の展示が不可欠」と仰っていました。でも温泉に、そんな資料があるでしょうか。

シンポジウム『温泉と博物館-温泉展の意義と可能性-』では、パネリストもフロアも上記のような問題意識を共有しつつ、活発な討論が行われました。テーマの性格上、やや抽象的な議論にならざるを得ませんでしたが(温泉展を開催しようとする博物館で共有可能な「意義」と「可能性」についての討論でしたので、個別的具体性には乏しかったと言えます)、課題への第一歩という意味では、確実に踏み出したと評価していただけたのではないかと思います。

シンポジウム『温泉と博物館』が行われた時に、会場の品川区立品川歴史館で開催されていた『温泉の魅力、再発見-湯どころの姿あれこれ-』展は、いくつかの意味で画期的な展覧会でした。詳しくは同展を担当された柘植信行さんが『論集【温泉学③】』で報告されますが、品川区が「温泉地」(慣例で、宿泊施設のある温泉湧出地を指します)でないこともその一つです。

これまでの温泉展は、ことごとく管内に著名な温泉地を有する博物館で開催されてきました。西尾市岩瀬文庫の場合は、蔵書の紹介という意味合いが強いようですから暫く措くとして、群馬県は草津温泉や伊香保温泉をはじめ大小多数の温泉地を抱えています。「おんせん県」の商標登録をめざしている大分県も同様です。兵庫県には神戸市の有馬温泉や城崎温泉、松山市には道後温泉、熱海市には熱海温泉や伊豆山温泉がありますし、佐賀県の武雄市には朱塗りの国指定重要文化財「武雄温泉楼門」が聳えています。

これは個人的な(※伊藤は当時司会をしていました)発言なのですが、「私は展示資料の有無多寡にかかわらず、温泉展は一か所、あるいは同じ自治体内の温泉地のみを対象とすべきではなく、視野を広く、例えば東北地方とか九州地方とかいうレベルに据える必要があると考えている。そうでないと、その管内に所在する温泉の特徴が見えてこないからだ。どこにでもあることなのか、その地方独特なのか、あるいはその温泉地だけで見られるものなかのか。歴史や文化を理解し、その温泉地を知るためにはとても重要なことだと思う。人文科学系(歴史学や民俗学など)の温泉研究が進んでいれば、ある程度はその成果を援用できるのだろうが、現状ではそうもいかない」。

でも、どうやらこのような視点・方法は無理らしいのです。これを実行するためには、長い準備期間が必要ですし、各地へ調査のため頻繁に出張しなけらばなりません。調査旅費も、人手も要ります。何より、実際遠方から資料を借用するとなると、美専車(美術品専用の輸送車両)をチャーターするのが一般的ですから、それだけでも多額の費用がかかってしまうわけです。借用する資料には保険も掛けなけらばなりません。現今の自治体はどこも財政難ですから、その分の予算など組めるはずもない。その前に、それだけの手間と費用をかけて温泉展を開催する意義が、認められるわけがない。パネルディスカッションでの私の提案・発言は、あっさりと却下されて終わりました。

品川区立品川歴史館の温泉展は、館蔵品を主とする実物資料(第1展示室)と共に、写真パネルと解説パネル(第2展示室)を駆使したものです。そこで紹介される温泉地は、北海道を除いてほぼ全国に及んでいました。こういう視野を可能にしたのは、むしろ品川区が「温泉地」ではなく、そのぶん対象に縛られることがなかったからだと私は推察しています。管内に温泉地があれば、そうはいかなかったでしょう。言い換えるならば、ここで試みられたのは「来てもらう側(=温泉地)」の発想ではなく、「温泉に行く側」からのスタンスと言えそうです。

第3部のフリーディスカッションで、ある参加者からとても心強く、かつありがたいご発言をいただきました。長野県の有名な温泉地にある博物館の学芸員の方からです。「自分もいずれ温泉展を企画したいと思っている。だが自分たちだけだと、地元という意識が先行してしまい、見方が偏ってしまうかもしれない。温文研などに協力してもらい、広い視野で温泉展を企画したい」(要約)。

シンポジウム『温泉と博物館-温泉展の意義と可能性-』では、常設展示などにも話題は及び、終始白熱した(?)議論が交わされました。ただ、コーディネーター(伊藤)としては、反省点もあります。温泉展における「学際的」あるいは「文理融合」をどう考えるか、というテーマについての討論が上手く誘導できず、その結果、議論が中途半端になってしまったことです。自然科学系のパネリストが不在ということもありましたが、温泉展というもの、ことに今後を考える上で必要な議論のはずでした。私の不手際で、パネリストにもフロアの皆さんにもご迷惑をおかけし、大変申し訳なく思っています。

このテーマに関する私の問題提起は、次のようなものでした。
『温泉(地)の中心は、泉源とそこから湧出する源泉であることに間違いはありません。これがあるからこそ、浴場や宿が出来て集落が形成され、信仰が生まれたり土産物産業が発達するわけです。つまり温泉というのは自然科学的な部分と、人文・社会科学的な部分の複合的な存在だと考える必要があります。当たり前ですが。しかも、どういう場所、沿岸部か山間部か、谷間なのか平地なのか等々、温泉が湧出して以後の歴史や文化の展開は、こういう位置や地形、さらには気候などの自然条件に規制されているわけです。つまり(※当時の)日本温泉文化研究会がそうあろうとしているように、温泉は学際的・総合的な理解が求められる存在だと思います。ところがこれまでの温泉展には、このような視点はありませんでした。開催館の性格からすれば当然なのですが、これがもし総合博物館ならこういう発想に基づく温泉展も可能なのではないか。であれば、文理融合型の温泉展を開催する「意義」と「可能性」についても、ここで議論しておくことが必要だと思います。』

『もっとも、総合博物館における文理融合型温泉展は、理論的には可能なのかもしれませんが、実際にはなかなか難しいようです。これについては、最近おもしろい論文を読みました。月刊の『地理』という地理学の学術雑誌に「地理学と博物館」という特集号(※55巻10月号(通巻663)、古今書院、2010年10月)があり、それに掲載されていた宮本真二氏(滋賀県立琵琶湖博物館研究部環境史研究領域主任学芸員)の「博物館と地理学」という論文です。この論文で特に興味を惹いたのは、地理学の研究者は、異分野間の橋渡しをするのが得意であり、そういう存在がいてこそ学際的な展示が可能になる、という指摘でした。学芸員には専門分野間に温度差もあるので、博物館の内でコーディネイトする存在が不可欠とのことです。つまり、総合博物館であればすぐにでも文理融合型の温泉展が企画出来るというわけではなさそうですので、やはりまずは、分野を横断するその「意義」と「可能性」について議論することが重要なのではないかと思います。』

「文理融合型温泉展」開催の意義と可能性については、前述のように議論を深めることは出来なかったのですが、温文研ではこのテーマについて、今後も継続して考えてみようと思っています。例えば写真(※不掲示)は、『温泉をよむ』でも紹介した長野県大町市の高瀬川上流にある噴湯丘です。ここから産出される石灰石(霰石)と共に、「高瀬渓谷の噴湯丘と球状石灰石」という名称で国の天然記念物に指定されています。山深い土地に出現した温泉現象ですから、そのままであれば自然科学分野の研究(展示)対象です。ところが、このような自然であっても、人間がこれを見いだし主体的な関りを持とうとした時、それが文化となる可能性をもたらします。人文科学や社会科学の対象ともなるわけです。実際にこの球状石灰石は、江戸時代に超高級な盆栽の撒き砂とされ、安永8年(1779)刊行の木内石亭著『雲根志』でも紹介されています。嘉永2年(1849)板行の豊田利忠著『善光寺道名所図会』では、その採取方法も記録されました。宇田川榕庵の『舎密開宗』でもふれられています。さらに、これは長野県の大町市にある大町山岳博物館の清水隆寿さんから教えていただいたのですが、この霰石をもっていると子宝に恵まれるということで、地元ではかつてとても大切にされたという話も伝わっているそうです。

噴湯丘(現在の形状から「噴泉塔」と呼ぶべきだという方もいらっしゃいますが)は高さ数メートルに及ぶものですから不可能だとしても、球状石灰石とそれにかかわった人々の記録は、同じ場所に展示できるはずです。そうすることによって自然・人文の垣根を越えた理解、総合的な知識が観る人にもたらされると考えるのですが、いかがでしょうか。

*その当時、日本温泉文化研究会では広島県教委・広島市教委・地元住民等と協力し、広島県広島市佐伯区湯来町の湯の山温泉に所在する【国指定重要有形民俗文化財「湯ノ山明神旧湯治場」】の修復・保存問題に取り組んでいました。(詳細は別のnoteにて)
**これ以降の温泉展につきましては、図録が刊行されている場合に限り日本温泉文化研究会HPの「温泉研究文献目録」に掲載してありますのでご参照下さい。なお、漏れている温泉展図録があれば、ご教示いただけると幸いです。

いいなと思ったら応援しよう!