ネガティブは幸せの源泉。だから、安心してネガティブのままでいい。
生きていると、ポジティブな気持ちよりもネガティブな気持ちで過ごしている時間の方が多い気がする。もしくは同じ割合だけれど、ネガティブな気持ちの方が、より鮮明に記憶に残りやすい。
SNSを覗くと、「この人の人生は、ポジティブが圧倒的に多いんだろうな」と思わせる投稿が目に付く。1日の出来事の中でポジティブな瞬間を切り取って発信している、それはもうわかっている。けど、ネガティブな気持ちをよく感じる自分は大丈夫なのかと、考えてしまう。
しかしふと考えると、幸せそうに見える人と自分はそう変りないとも思える。
例えば、今の猛暑の季節。毎日、蒸し暑い。
地域の差はあれど、私たちに「夏」は平等に訪れる。
汗でびしょびしょ、カラカラに乾いた喉。考えただけでも、うぁ~苦しそうってイメージすると思う。でもそこに、冷たい麦茶、レモンの炭酸数、スパークリングワイン(全て私の好きな飲み物)を一口飲んだ瞬間、喉から全身に「涼」が浸透する感覚がなんとも気持ちがいい。
例えば、私たちに「空腹」は平等に訪れる。
お腹が空きすぎて、やっとありつけた夕飯のラーメンのスープの一口目。鶏ガラとしょうがとネギの出汁の風味が、口の中全体に広がる感覚がなんとも気持ちがいい。
例えば、私たちに「垢」は平等に訪れる。
1日過ごした自分の身体。特に今の時期、汗や外気やほこり、新陳代謝の証でもある垢で、不快を覚える。適温の水が滴るシャワーやお風呂が、疲れた身体の汚れと一緒にけがれも一掃してくれるようで、とっても清々しくて気持ちがいい。
幸せとは、ネガティブを感じないと感じれない
「夏」「空腹」「垢」3つの例を挙げてみたが、それ以外でも私たちは毎日たくさんの「ネガティブ= 不快」と共に生きている。嫌だからといって、避けようにも避けられない。
慢性的で連続性のある「不快」を、一瞬の「快(楽)」で消し去る、その繰り返しが日常であり、人生だとしたらどうだろう?
(不快)「猛暑」 ⇒ (快)「涼」を感じる
(不快)「空腹」 ⇒ (快)「美味しい」を感じる
(不快)「垢」 ⇒ (快)「清々しい」を感じる
私たちは、「ネガティブ=不快」がないと、「ポジティブ = 快・幸福・至福」が一切感じられないようできているらしい。ポジティブの中にいて、ポジティブを感じることは難しい。だから、ネガティブをがんばって排除する必要はなくて、というよりも排除はできない。ネガティブもポジティブは、表裏一体だから。
「孤独」を感じている人は、これから「一体感」を感じる人
「無力感」を感じている人は、これから「自己効力感」を持つ人
「自己否定」している人は、これから「自己肯定感が回復」する人
今、「不幸」を感じている人は、これから「幸せ」を感じる人
ネガティブは、幸せの源泉だった
ネガティブを感じている自分を否定する必要は全くない、全く。
だから、安心してネガティブをちゃんと感じていいのだ。共にいていいのだ。幸せはこれから溢れてくるから。
ネガティブは、ただの幸せの兆候だった。
これさえ忘れなければ、明日も勇気を持って生きられる。