人の道ってあるよね…守らなくてはいけない大切な道。
都知事選が始まりびっくりしたのは!
なんと!ニュースの話題が、選挙の看板に候補者と関係ない写真が貼られているという話。
寄付という名のお金で、ポスター枠を売る人、それを買う人
法律に書いていないから、問題ないとか
そういう発言を堂々として、正義としている。
少し前もありましたね。逮捕された政治団体
暴言、非難中傷を浴びせながら、「言論の自由だ」と言って、逮捕された時ピースをしてた。
昨今の犯罪も、身勝手なものばかり。
こういうニュースを見るたびに、怖さを感じるし、あまりにも悲しい。
失っていませんか? 大切なものを…
人としてのモラル。
人が生きていくこと、生活の営み、他者との関わりには道理というものがある。それが崩れてしまってはいないかと、危機感を抱いてしまう。
このモラルや道理の全てが、六法全書に書いてある訳ではないけど(読んだことないから…)
人類が誕生して、生きていくなかで、DNAレベルで刻まれた、
宇宙の法理のような気がしている。
人の不幸の上に、自分の幸せはないように、
自分を大切にできないと、人を大切にできないように、
相手を思いやることで、幸せの循環ができるように、
人は生命を育み、幸せになっていくという宇宙の法理の中にいる。
目には見えないけど『人の道』は必ずある。
それなのに最近は
「自由だ」とか「自分の好きなことする」とか
「自分の思ったことに正直になる」という
大切なことなのに、言葉の表層しかとらえていない人がなんと多いことか。
本当の自由は、無責任でなく責任が伴う。
自分の好きなことだけして、嫌いなこと、つらいことを避けてたら、それは単なる逃避でしかない。
自分に正直になるあまり、相手への敬意をわすれてしまっては、単なるわがまま。
努力をしないで願いが叶う、打出の小槌はない。
そうした生き方をしていると、自分の可能性はどんどん狭まってしまう。
自由どころか不自由な人生になってしまう。
『人の道』を外して、幸せになりたいと叫んでも空転してしまう。
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言葉にも、生き方にも、広狭、浅深、強弱があり、
広く深く知り、感じていく必要がある。
自分を大切にすることは、人を大切にすること。
自分にも他者にも敬意を表し、共に栄えることを目指していくことが、一人ひとりの幸せとなり、平和な社会をつくる。
大切な道理とは何なのかを、考え続けることも永遠のテーマかもしれない。
生命の尊さをしり、より良く生きようと努力し、自他共に幸せになるための道筋。
と、私は考えてみたけど、もっと出てくるかもしれないね。
そのほかは『桜梅桃李』で、それぞれが個性の花を咲かせて、みんな違ってみんないいんじゃない。
これから世の中がさらに便利になって、AIが代わりにやってくれたとしても、変わることのない人間としての道理は失わないように、未来を生きる子供たちにつなげ守っていきたい。
かしこ