河口勝司読む情熱大陸
河口 勝司の読む情熱大陸
インタビューア― 藤沢あゆみさん
「ああ、俺⼀⼈なんだった・・・」
気がつけば、⼆⼈分の料理を作っていた。
なんであんなこと⾔ったんだろう。
なんでお寿司くらい
⾷べさせてあげなかったんだろう。
残り少ない⼈⽣、もっと優しくできたのに失って残るのは「なんで」という思い。
河口 勝司さんが
お母さんを看取って6年、
看取って1年は、ロスになりました。
l もう母はいないのに 材料を細かく切って
母の食事を用意していた自分に気づく。
最初から
大切に思えたわけではなかった。
⺟のウンチを汚いと思った。
だけど、ある時
若いお⺟さんが⼦供のウンチの話を
愛しそうにするのを聞いて
ああ、⾃分も⺟にパンツを
洗ってもらってきたんだと気づいた。
今、⺟のパンツを洗える事は
⺟がくれた愛に、愛をかえせること。河⼝さんはかつて
会社を興し、全国に出張する仕事をしていました。
お⺟さんが、認知症になって徘徊が始まり、保護されました。出張しながら介護を続けることに
限界を感じていました。
折も折、東⽇本⼤震災が来て
全国出張が難しくなったことをきっかけに会社を閉めて、⾃宅介護に踏み切ります。
思い切った決断でしたが
⾃分が経営していた蓄えと
介護できる時間を交換しているのだと
河⼝さんは、考えました。
河⼝さんは、お⺟さんを介護した経験から介護をすることになった⼈が、つまづく悩みに応える Kindle の本を作っています。
介護で、悲惨な事件が起こったり親の介護で、苦しんでいる⼈に愛の介護を、伝えたい。
愛の介護とは、我慢することじゃない。介護は、⾃分のペースでやればいい。
⽇常だから、苦しかったら続かない。
最初の 1 年、いや 2 年はきつかった。愛の介護になるまで、6 年かかった。
最初は、どんなにしんどくても
最後は、ありがとうしか残らないから。それは、最後に愛になるということ。
愛の介護になったと思えたとき介護は、終わっていた。
もっと、介護したいと思っても
⼆度と、できない⽇が来るのだから。
⺟が居ない、いまを
受け⼊れることができてから
⽂章を、書き始めました。
⽂章を書くと、⾃分との対話になり
⾃分と、向き合うことができました。
誰だって、思うんだ。
ああもできた、こうもできたと。だけど、⾃分のできた⽬⼀杯が愛の介護なんですよと。
Kindle の本には
お地蔵さんの絵を添えています。
絵は、それまで書いたことなかったけどお地蔵さんを書いてみたら、楽しくて何より、お地蔵さんの絵をお⺟さんが、ほめてくれた。
最初は、こけしのようなお地蔵さんが魂が⼊っていくように
だんだん、表情豊かになっていった。
介護をしていると
それが⾃分の幸せの⾜かせになる夢なんて持てないと思ってしまう。
⾒ないふりをしたくなるけど介護は、誰もが直⾯すること。
もしも、介護をしてこそわかる幸せの形を提案できたら
社会に希望をもたらすことができる。
お⺟さんの介護を経験して
河⼝さんには、夢ができました。それは、介護カフェを作ること。
介護をしていたから、痛感した
介護していたら、どこにもいけないしんどくても、誰にも話せない。
そんな⼈の、よりどころとなる場所。
そして、もうひとつ⼤きな夢がある。
お⺟さんが、ほめてくれた
海外で、お地蔵さんの絵の個展を開く。
⾃分の絵と出会う⼈が
世界にいるかもしれないから。
介護から始まる夢だって、あるんだ。
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