父を送るまでの日々
令和2年1月9日午前2時51分。
父が、行年79歳にて、永眠した。
今日、1並びの日になる1月11日、葬儀・告別式を執り行った。
御参列いただいた皆様に、深く御礼申し上げたい。大きな支えにもなった。
父は、大の愛煙家だった。
親戚から、「いい加減に止めいっ!!」と指摘され、「はいはい・・・(笑)」と言ったのにも関わらず、30分後には、口にして、再び怒られるほど、煙草を愛していた。
それは、やがて、自分の肺に、大きなダメージを与える事にも繋がっていったのである。
年が明けた1月2日、昼食に出掛け、帰省していた孫を見送った直後、咳き込みが激しくなっていった。
風邪をこじらせてしまったのかと思った。
年齢の事もあり、無理してほしくない思いも、強くなっていった。
父は、その事を自覚していたのだろう。布団と台所を、ゆっくり往復しながら、回復に努めていた。
仕事始めになった1月6日の退社直前、電話で買い物を頼まれた。
喋り方は、変わらないものの、声の張りが、全然無かった。しかも、普段、滅多に依頼しない物を言ってきたのだ。
「小さいペットボトルのコカ・コーラ3本・・・」
その事を、会社の先輩に語った。
「体調悪い際に、飲みたくなる時あるよ。お大事にしてほしいな。」
胸が痛んだ。そこまで、苦しんでいるとは・・・
帰宅後、渡してあげると、喜んでくれた。
ゆっくりと味わう姿に、胸を撫で下ろした。
体力には、自信があったので、徐々に回復していくと信じていた。祈っていた。
ところが・・・
時間が経つ毎に、呼吸が荒くなっていった。
母と僕が、「無理しないで。ゆっくり呼吸しよう。」と声を掛けたのだが、反応をしなくなっていった。
救急車を要請し、病院に搬送していただいたが、力尽きる様に、旅立ちの時を迎えた。
医師からの診断は、『重症肺炎』。
悲しいけれど、辛いけれど、納得出来る診断だった。
体をさすりながら、伝えた言葉がある。
「若い時から、無理してきたからだよ。怪我したのに、病院嫌いで放置した果てが、右足首と腰の慢性的な痛みだったじゃない!?」
「僕は、教訓をいただいたよ。痛い、苦しい時は、決して無理しないから。怒らないでほしい。笑わないでほしい。最後のお願いだよ。」
その横で、母は、冷静に受け止めていた。
元看護師の視線で、いつの日か、この時が来ると、覚悟を整えていたらしい。
時間が経ち、死に化粧を拝見した。
素晴らしいお顔だった。明るく厳しく、様々な方と接してきた面影、そのままだった。
その後、葬儀会場に運ばれ、作業一つ一つを、喪主として見届け、学んでいった。
これほどまでに、厳しい時間になるとは、夢にも思わなかった。
体力、精神力、共に限界寸前だった。
それでも、参列者の方々からの「無理しないでください。」、「気を落とさないでください。」に、勇気をいただいた。
そのお陰を持って、全ての儀式が、滞りなく終了出来た。
「人は、支えられて生きている。」
この言葉の真の重みを、体感させられた。
これからの日々は、教えられた多くの学びを、一つ一つ実現、実行していき、天上の父に、恩返しをしていく時間にしていきたい。
立ち止まる時間は、決してないのだ。
一歩一歩でも、前進あるのみ。
その誓いを、新たにしている。
最後に、父へのメッセージを捧げたい。
「サヨナラは、言いません。新たな一歩の始まりの日になったのですから。これからは、優しく、心熱く、そして、時には、少し厳しく、僕の人生を、見守り続けてください。」