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「バナナストローの12月〜私の医療事故①予兆」

2021年。もう過ぎ去ったその年に起きた、
いま思い出しても背筋が寒くなる災厄を語ろうと思う。

多くの人は思うだろう。

「え?出版コラム連載の最中にどしたん、急に?」

と。ただ、僕を襲ったカタストロフは、
書籍の完成と時系列を同じくして勃発した。
だから、両者は不可分なのだ。

時を戻そう。
あれは僕が原稿を脱稿し、編集長の「精読戻し」を待っていた2021年の夏の終わりだった。私は医師から健康診断の見立てを聞いていた。

「勝浦さん、不整脈が出ていますよ」

それは毎年ほとんど引っかかることのない、
「人間ドック優良児」の僕にとって晴天の霹靂だった。

「不整脈…?」

「心臓から不正な電気信号が出て、脈拍のリズムが乱れることです。親族に心臓の悪い方はいらっしゃいますか?」

いる。
亡き父は、前立腺がんでこの世を去ったが、そもそも心臓の持病を持っていた。製鉄会社に勤めていた父は、溶鉱炉の火を守る三交代の過酷な勤務で、身体にかなりの負荷をかけていた。心臓については「遺伝するかもしれない。いずれ不調が出た時は注意しろ」と生前、本人に言い含められていたのだ。

「いますね…。特に自分では自覚症状もなく、不調はありませんが、それは重いんでしょうか?」

と、医師は明るい口調で言った。

「いえ、はっきり言ってまったく重篤なものではありません。ただ、不整脈というものは一旦、症状が出ると基本自然治癒はしません。いまの症状が軽い、自覚症状がないうちに手術をしてしまった方が完治する確率が高くなるので良いかと思います」

手術…。今年は椎間板ヘルニアで手術をしたばかりだというのに、またか…。

「ちなみに、それは今すぐした方がいいのでしょうか?」

「うーん、3年以内にしたほうがいいかな。5年だと放置しすぎという気がします」

なんだそれは…。けっこうリードタイムあるな…。
この時はとりあえず、話だけを聞いて帰宅した。
自覚症状はないわけだし、今まで通り運動を続けても問題ないという。そんな先でも構わない手術を、今する必要があるのか…。

と、趣味がサッカーである僕の脳裏にあるシーンが浮かんだ。6月に行われたサッカーの欧州選手権。そこでデンマーク代表の中心的存在のエリクセン選手が心臓発作で倒れたのだ。そのショッキングな瞬間の映像は世界的に大きなニュースになったので覚えている人も多いだろう。彼は一時的に心停止し、応急処置によりなんとか蘇生したのだが、今も戦列に復帰できずにいる。かくも心臓は、不測の事態を引き起こすのだ。

僕の悪いクセとして、そういった常人とは明らかに違う負荷をかけて生きている著名人と自分を同調させてしまう、というのがある。
僕はエリクセンほどの運動量も移動もしていないしこれからする予定もないが、すっかり、

「これはさっさと手術をしてしまった方がいいだろう。今年はもうメンテナンスの年にするのだ。エリクセンの事もあるし」

というマインドになってしまった。何がエリクセンだ、共通点もサッカー好きという事くらいで、知り合いでもなんでもないだろう。この短絡的な判断が結果的に惨事を招くのだが、その時は知る由もなかった。

やがて、書籍の進行は編集長の戻しを経て、ゲラ初稿が上がりとなった。
ゲラとは、実際の書籍になった時のレイアウトで印刷されている紙である。
当然、製本はされていないから分厚い紙の束で送られてくる。今までワードでやり取りしていた文章が、本の体裁で見えてくる。
この頃になるとだんだん、

「あ、いよいよ本が完成するんだな」

と現実感が出てきていた。
ゲラ修正のやり取りはバイク便で行うのだが、自筆で修正を入れ、自宅まで原稿を取りに来てもらうなんて、このリモートの時代になかなかない風習である。

初稿ゲラ


同じ頃に、スピードワゴンさんのTV番組に出演する頃になり、本の宣伝もさせてもらおうかと編集長に相談したら、

「まだタイトルも確定していないし、発売日まで時間がありすぎるのでやめておきましょう」

などと言われたりした。
まあ、確かに無い物を宣伝されても困るだけか…。
やはり冷静な判断は必要である。


そんなこんなで書籍は着々と進行し、
ついに12月半ばに校了を迎えることになった。

そして、前述の不整脈手術のための入院が、
偶然にも校了の翌日となった。

校了日、自分の中でルールにしている全文音読を行なった。普段、広告をつくるときには、必ず完成原稿をすべて口に出して読む事にしているのだ。それによって言葉が血肉になって原稿の力も増すのである。
ただ、書籍のボリュームを舐めていた。
10万字以上を一気に音読したら、酸欠で倒れそうになった。

最終原稿をバイク便で送り出した。

時を置かずして編集長から、

「お疲れ様でした。こちらで校了となります。あと一回だけ、後ほどお送りするPDFで本当に最後の最後の最終確認を日曜日の夜までに行ってもらいます。印刷の都合上、こちらのスケジュールは動かせませんので、土日のお休みにかかりますが、よろしくお願いいたします」

との連絡が来た。ああ、清々しい気分だ。あともう少しで本当に終わるのだ。

気持ちを切り替えて、僕はいそいそと入院の準備をし始めた。

木曜日に入院して、日曜日の朝には退院できるとのこと。三泊四日。その時の僕は、それを信じて日曜日の午後に撮影の仕事を入れようとすら考えていたのだった。

やがて訪れる悲劇を想像だにせず…。

*このコラムは実経験及びそれによって得た情報によって書かれていますが、医療知識の正確性を保証するものではありません。
また特定の医療機関や個人を糾弾したり、何らかの主張、要求を目的として書かれているものではありません。すべての医療従事者に対して、尊敬と感謝の念を抱いております。

<つづく>

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勝浦雅彦
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