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「バナナストローの12月〜私の医療事故②入院・ミス」

今年二度目の入院。そして生涯二度目の入院である。

まさか人生初入院をした年に、もう一度入院するとは思わなかった。ただ、どちらも重病で入院したわけでも、緊急入院したわけでもない。これは未来が見える、前向きな治療なのだ。その日、一人で荷物を抱えていそいそと病院へ向かった。

受付を済ませて、病棟へ赴く。コロナであらゆる面会は謝絶である。
見回すと、綺麗な病棟でホッとする。やはり陰気な病院は嫌だ。棟内のサインなどを見るとフォントに気を遣っているのがわかる。建築デザイナーなのか、誰かはわからないがディレクションをされた空間である事はわかる。ただ、病棟のレイアウトはどこも変わらない。実用的で、画一的である。冬だというのに、温室のような暖かさだ。病人が暮らす場所だから当たり前か。

入院当日は検査が2、3あるだけであとはひたすら暇である。TVは有料。冷蔵庫も有料。この時はテレビを退院まで見る必要はないだろうと思っていた。のちに、どっぷりお世話になることになるのだが。この頃は余裕があったし、出版だけでなく、競合プレの準備に一区切りを付けて入院した事もあり、残った仕事をテザリングをしながら黙々とこなしていた。トップの写真はその時の様子である。看護師さんに撮ってもらった。この時点ではいたって元気な入院患者である。

若い男性の担当医がやってきた。手術の説明と同意書の記入が始まる。

「手術に備えて、事前に血液がサラサラになる薬を飲んでいただいていると思います。明日の手術は〜〜〜という感じで2時間程度で終わります。手術中は尿道カテーテルを入れさせてもらいます。翌朝には抜けますから、ご安心を。何かご質問はありますか?」

「…いえ、日曜の朝に問題なく退院できれば何もありません」

考えてみれば、患者が医師にできる質問などたかが知れている。この時を思い出しても改めて感じる。
ほとんどの一般人には専門知識がないのだから、

「それってどういうことですか?」
「その術式ってどういう手順でやられるおつもりですか?」

なんて聞けるわけがないのだ。医師を、病院を信じるしかない。
思い出してみれば亡き父も母も、

「病院の医師に必要以上に質問や意見を言うべきではない」

と僕や兄に言っていた。先生の機嫌を損ねたらいけないから、と。それは父や母の世代には常識だったろう。だが今を生きる我々にはそれだけではいけない事をのちに思い知ることになる。

その後も、薬剤師が来たり、手術結果を研究に使わせて欲しいと言われて違う同意書を書いたり、ひっきリなしに人が出入りする。短期入院とはそういうものなのだ。

結局、山のような同意書を何枚も書かされ、その日中に送るべき仕事のコピー書いて送り、味の薄い夕食を食べその日は静かに眠った。
ただ、病棟の夜は静かではない。常に誰かが動き回り、ナースコールが鳴っていた。窓の外では寒々しく木々が揺れていたが、分厚い窓で音は聞こえなかった。

翌朝、チャイムの音で起きると朝食が運ばれてきた。手持ち無沙汰でぼんやりしていると担当看護師が手術までのスケジュール説明をしに訪れた。

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「すいません、お昼頃の手術の予定でしたが、手術室が立て込んでいるので午後2時ごろの呼び出しになります」

待っている間、だんだん緊張してくる。なんかほんの少し具合が悪くなりそうだ。なんだかんだ、手術とは心と体に負荷をかけるのだ。

「尿道カテーテルを入れるので、以降はお小水をしないでください。あと2時間後にお着替えしていただいて、手術準備が始まります」

看護師が細かい指示を告げに来る。いよいよだ。病棟も他の患者の手術の呼び出しなどでバタバタし始めた。と、別の看護師がやって来た。若い看護師が多い病棟の中で、比較的べテランの風貌だ。年の頃は40手前くらいだろうか。

「はい、では尿道カテーテルを入れますのでこちらにどうぞ。カテーテルを入れた事はありますか?」

「いえ…ありません。初めてです」

「尿道カテーテルは、尿道に管を入れて、膀胱の入り口でバルーンと呼ばれる小さな風船を膨らませて引っ掛けて、お小水を自動で出す仕組みなんですね。手術中はトイレに行けませんから必要なんです。最初はちょっと痛いかも知れませんが、麻酔ゼリーを塗りますから力を抜いてくださいね」

着替えて、特殊なパンツをはかされ、ストレッチャーに寝かされる。
ここで、僕は疑問を抱いた。あれ?こういうのって医師が立ち会ったり、麻酔をかけたりしないのか…?看護師さんが一人でやろうとしているが…。

「大丈夫ですよー。はい、では管を入れる時、深呼吸してくださいね」

尿道カテーテルが、ゼリーを塗られた自分のアレに挿入される。未経験の不快極まりない感覚が襲ってきた。でも、これは手術には欠かせない通過儀礼なのだ。通過儀礼といえば「イニシエーション・ラブ」。あれと貫井徳郎の「慟哭」は叙述トリックの名作だよな…。

と、余計な事を考えて気を紛らわせようとしていた私を、突如激痛が襲った。

「い、痛っ!」

「あ、痛かったですか?でも大丈夫、もう入りましたからね」

「は、はい…」

この時だ。この時、私の健やかで穏やかになるはずだった年内の時間は消え、年末に予定していたあらゆるスケジュールは全て吹っ飛んだのである。

たったこんな事で。

私はそのままストレッチャーに寝かされ、暫くすると、

「手術の呼び出し来ましたー。今から地下に向かいます」

という看護師の声を聞いた。数名の看護師たちに運ばれ、動き出した私のストレッチャー。

「行ってらっしゃーい」

という病棟の看護師たちの声が聞こえる。真上を向いて寝ているからその顔は見えない。やはり、手術ともなると元気付けるために明るく送りだすのだな…。

と、私はストレッチャーを正確なリズムで滑らせ、手術室へ向かうエレベーターに押し込もうとする一人の看護師が、ふと漏らしたつぶやきを聞いた。

「あれ?お小水、出ていない…?」

悲劇は、開演のベルもなく既に始まっていた。

*このコラムは実体験及びそれによって得た情報によって書かれていますが、医療知識の正確性を保証するものではありません。
また特定の医療機関や個人を糾弾したり、何らかの主張、要求を目的として書かれているものではありません。すべての医療従事者に対して、尊敬と感謝の念を抱いております。

<つづく>

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勝浦雅彦
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