やりたい事が思い浮かんでも現実味が浮かばない。 「でもこれ〜」とよくない部分が見えてしまって結局また1からってことが最近多いです。 頭の中では完成してるけどいざ作り始めると現実が見えて、他のものと比べてしまって どっからそんな発想なるんやとか、これどこかで見たなぁって言う感覚が壁になって創作意欲を無くしてしまいます。 やりたい事は全部詰め込む主義で生きてきたので人より量も多くなってパンク 小さくまとまるとなんか物足りなさを感じてしまう。 「結局何がしたかったっけ」
お酒飲んでるのでちょろっと書きます。 僕は可能性に賭けるタイプです。 自分でも相手でも一緒で誰しもが何かしらの伸びしろを持ってると思います。 なので、あんまし誰かの可能性がなくなる事は言いたくないし、最後の最後まで可能性にすがっていたいです。 だから「OOはXXだ」みたいに可能性を狭めてしまう事があまり好きじゃないです。 今余裕がなくても未来の自分がなんとかしてくれるって意識で生きてます。 だから能天気だったり、考えなしになるのかもですが、 もっと未来に丸投げす
今日、この時間ようやく編集から解放されました。 今回の編集は計画的にやろうだとか前回の反省を生かして〜とか始まる前はめちゃめちゃ意欲的でした。 そして、前回は二重テロップだったから時間がかかったとだと自分に言い聞かせてました。 でも今回もやっぱり、あれやりたいこれやりたいをどんどん詰め込んだら膨大な量になって 結局冷や汗かきながら徹夜にてつやをかさね、終わった頃には満身総理でした。 終わった時の達成感はぇぐいのですが、僕の場合いかんせん時間がかかりすぎます。 多分他
子供の頃の僕は今では考えられないほど自信に満ち溢れ、アクティブで、ストイックで素直でした。 今の自分が嫌いだからこんな風に書くのではなくて、ビックリするほど性格が変わりました。 幼稚園の頃、僕は人生を無双していました。 「俺のことは玉田雄也とフルネームで呼べ」と園児から先生までに触れ回っていたため 園児はもれなく僕のことを玉田雄也くんとフルネームで呼んでいました。 熱が出てるからプールに入れないと先生から怒られた際には プールに入る他の園児たちを睨みつけながらプール
予約の時とか、電話越しに自分の名前を使うのハズいって感覚ありますか?? 僕の場合、玉田雄也(タマダユウヤ)という名前なので よく、ヤマダやハマダに間違われるからハズいんです。 名前を呼ばれた時に、思てた発音と違う!とかタマダあるあるです。 訂正するのもめんどくさいので、ハマダになります。 耳もぶっ壊れてしまい、ヤマダ、ハマダが全部タマダに聴こえる体になってしまいました。 病院で、呼ばれてもないのに急に立ち上がって 間違いの恥ずかしさを噛み締めながら座る。 これが多々