虹の橋
実家のうさぎが虹の橋を渡った。
約8年半。
家族の中心で温もりを与え続けてくれた。
バスケ部を引退した高校3年生の秋に、僕が父親に
「うさぎ🐰飼いたい🐰」
とメールをした事がきっかけで我が家にお迎えする事になった。
メールを送った次の日には父親とペットショップに行った。
新大久保にある決して綺麗とは言えないお店のケージの中に、同じ色をしたうさぎが3羽暮らしていた。
綺麗な栗色をした2羽の中に、1羽だけ黒い毛が所々に混じっていたうさぎ。他の2羽に比べて身体も少し小さい気がした。
僕はその子に即決した。理由は売れ残りそうだったから。
ペットショップに行くと言うのに自転車で向かった僕と父親は、ケージや餌など一式買い揃え、小さい箱に入ったうさぎを片手で持ちながら自転車で帰った。
ケージ持ちを担当した親父の自転車は店員さんも心配になるくらいふらついていた。
うさぎにとってはいきなりの苦行である。
そんな苦行を乗り越えたからか、元気に育ってくれた。
うさぎと言えば人参やキャベツを喜んで食べるイメージだが、うちのうさぎは全く食べなかった。
シソやセロリの葉っぱ、バナナが好物で、まるでお洒落なインスタをあげる女性のようなうさぎだった。(♂)
ケージの外に出せばカーペットにおしっこをして何回買い替えたか分からない。天国に領収書を送っておきました。
ちょうど虹の橋を渡る1週間前、実家に寄った。
「最近すっかりおじいちゃんになっちゃって〜」
なんて言う母の言葉を聞きながら、珍しく僕の横にちょこんと座っているうさぎを撫でながらテレビを見た。
それが最後になるなんて思ってもいなかった。
次の週の夜、いよいよ本当に元気がないと言う母から連絡をもらって、土曜日にまた行くよと連絡した。
そして次の朝、虹の橋を渡ったと連絡が来た。
早い、早すぎる。
元気がないと連絡をもらった日は、母の日だった。
特に予定もなかったのでカーネーションの1本でも買って実家に行こうかとも考えたが、面倒でやめた。
こんな事なら行っておくべきだった。
後悔しても遅い。
次の日には業者が来て火葬をお願いしたとの事で、仕事終わりに実家に行くと伝えた。
トラックを運転している間、ずっとずっとうさぎの事を考えていた。
運転中、銀杏BOYZのBABY BABYを聴きながら泣いた。
仕事終わり、かすみ草を買って実家に向かった。
花言葉は「無垢の愛」「感謝」「幸福」。
ケージの中には母親が用意した花束と、タオルがかけられたうさぎ。いつものように寝ている様にも見えた。
タオルをめくって撫でると、冷たかった。
せっかく家族が揃ったからと、台所に立つ母親。
鼻をすする音が聞こえた。
僕と姉が実家を出てからずっと面倒を見てくれた母。
時には病院にも連れて行ってくれたし、うさぎの様子を良くLINEで報告もしてくれた。
父親はずっとうさぎの事を話しながら酒を飲んでいた。
親父嫌いな姉も、うさぎの事だからと、いつもは親父がいない時に実家に帰って来ていたが、この日ばかりは帰って来ていた。
久しぶりに家族が全員揃った。
うちのうさぎは家族を繋ぐ、我が家のアイドルだ。
翌日の午前中に火葬と言うことで、母と姉は有給を取った。父親は仕事柄日中は家にいる。
僕は仕事の為にその日のうちに帰った。
家のうさぎが死んだから有給が欲しいと会社に
言えなかった。
自分が情けなくなった。本当にごめん。
薄っぺらい言葉しか思いつかないけれど、
本当に大好きで可愛くてたまらなかった。
この8年半を僕は絶対に忘れない。
我が家に来てくれてありがとう。
ゆっくり休んでね。
また会った時には、みんなに内緒で少しだけガツンとみかん食べたりしような。
Katsu.
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