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公共を取り戻す

この記事は、PING PONG PLATZの公式noteに掲載されている大久保の記事『公共を取り戻す』(2024年12月27日公開)を、許可をいただいて転載したものです。空き地に置かれたピンポン台を巡って、僕の記事の他にもさまざまなご近所さんが記事を執筆していますので、そちらもぜひご覧ください。
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「PING PONG PLATZ」とは、屋外公共空間に卓球台を置くことで、人々が集まる場をつくるアート・プロジェクトです。この「屋外卓球台」というカルチャーを、すみだにローカライズすることで、私たちの生活にもっと「楽しい」場や時間が生まれると考えています。

公共が強いまち(?) 

 京島は、「公共」が強いまちのように思える。すれ違うご近所さんの多くが挨拶を交わし、お互いの体調を気にかけ、天気かセールの話に勤しむ。ここまで「公共」が育まれているまちを見たことがない、と僕の古い友人は笑いながら言っていた。

 アーティストの奇怪な活動を横目に日常を過ごす老夫婦、道路脇でじゃれ合う小学生たち、大声で笑う友人。「公共」とはなんだろうか。僕らが毎日誰かと交わす、まるでくだらない大切な世間話は、「公共」なのか。知らん誰かと挨拶をしあうことは「公共」なのか。お互いに苦手意識をもっている誰かと「まぁご近所だから」という理由だけでちょこっと仲間意識が芽生えているのは、「公共」と呼んでよいものなのか。

 「公共」と言っただけで、なんだか正しいことを言った気になる。すべからく生活空間を覆う「道徳」やら「倫理」を醸成し、誰もが心地よく清潔に暮らせるための論理としての「公共」によって、「誰も排除しない」社会が形作られる、といったふうに。都市や社会についての言説には必ず「公共」というテーマが所狭しと並べられ、その「よさ」の根源を問われることなく我が物顔で生活者を「寛容な文明人」たらしめ、ストリートを覆い尽くそうとしている。

 僕が以前書いた『【電気湯伝記#02】 このまちなみは美しいのか (24/01/25)』(https://note.com/katsu_0/n/n26abd62689a1)にて、『住む 〈ふるさと〉の環境学』(谷川俊太郎 編, 1979年, 平凡社)から以下の一説を紹介した。

 ああいうユニバーサル空間というものが出てくる理念というのは、人間は世界中みな同じであるということなのね。みんな対等なんだからといって、その対等性をよく表示するものはどういうものかというので、探しに探してきて到達したのがユニバーサル空間だった、というふうにぼくは理解するんですけどね。…その時に一つの仮定として、お互いに使い方を話し合って決定しましょう、話し合えばああいう空間もうまく使えるじゃないか、ということがあると思うんですが、ほんとうにそうだろうか。…ユニバーサル空間そのものは、結局、管理者がこうしなさいと決定していくやり方しか、実は予想していないんじゃないかということなの。

『住む 〈ふるさと〉の環境学』(谷川俊太郎 編, 1979年, 平凡社)

 違う背景からの引用ではあるが、ここで言われていることは今の時代も、しかも空間以外にも有効であるように思える。「公共」に正しさなんてないのに、その場所のみにおいて生成されるはずの「共通のコード」が、あたかも世界共通(ユニバーサル)かのように語られ、そのコードから少しでも外れてしまう人々を「あなたは“我々”ではない」と排除する原動力となる。空間、コード、振る舞い、しつらえ、その他もろもろの「ユニバーサル」だと見なされているものは、多様な主体を許容するかのような顔をしながら、まるでそこにいる人間が全て同じであるかのように「こうであれ」と求めてくる。
 「人間は平等である」というテーゼのもと、「平等である人間」としての振る舞いを強要し、「公共」という言葉にばかり頼って対等・平等に向かう道筋を投げ出してしまってはいないか。規律的な「美しいまちなみ」を目指すあまり、我々はユニバーサルであるという爽やかな宣言の影に、そのユニバーサルさからはじき出されてしまう人たちがいることも知らずに、ひどく人任せな「公共」ばかりが語られてはいないか。僕自身を含む多くの市民が、そうやって見知らぬ誰かが「誰も排除しない社会」を作ってくれることを期待しすぎてはいないか。

生活空間を覆い尽くす「グローバル」さ、生きられた(はずの)「コミュニティ」

 「グローバル化」は、あらゆる境界を超えてひろがり続け、異文化を超えて世界中の人々をつなぐことができるだろう、と見込まれていたが、蓋を開けてみると実のところ、「グローバル化」は世界規模の資本の実践と表裏一体であった。自分だけに合わせてキュレーションされ続けるネット空間/フィルターバブル、心地よいコミュニティ、清潔でわかりやすい空間といった、あらゆるユーザーのユニークなニーズに合わせた商品の提供と、徹底的に抑えられた限界価格の両立という形で、資本の実践は物理的な空間ですらなりふり構わず組み換え続け、かつて混沌としていた住宅地はいまや腑抜けた高層ビルとショッピング施設に作り替えられ続けている。こうしてさまざまな生活空間を観察していく過程で、どうしても「資本主義は〜」とか「再開発は〜」という他人行儀で陳腐な言葉が口からこぼれ出してしまうのは、きっと僕だけではないだろう。

 これも以前書いた(https://note.com/katsu_0/n/n51973e39f30a?sub_rt=share_sb)ことではあるが、このごろどこに言っても「コミュニティ」という言葉を聞くようになった。そこにありもしないユートピア的な光景を押し込め、まるで「コミュニティがある」ということが「清潔なトイレがある」ことと同じように、その空間の商品価値として扱われるようになってしまった気がする。ここまでコミュニティが求められている(もしくは、過剰に提供され続けている)のは、「誰かといること」が求められているのではなくて、「誰かと出会うことのできる環境・機会を整備し続ける」責任から逃れることができるからではないか。そうだとしたら、その「作られた(同質性の高い)コミュニティ」の快適さに溺れて、僕たちは「見知らぬ誰かと居続ける作法」すらも奪われてしまっているのではないか。「対話を大事に」「他者への想像力を」と訴えるだけではとうてい叶わないような、未知なる他者とともに生きられた(はずの)コミュニティは、いかにして可能なのか。

 そして、所与性・既製性に満ちたコミュニティではないものが未だ可能であることが(ある程度は)わかったとしても、華々しく「コミュニティが大事」だとか「公共が大事」だとかを言い放つ人たちですら答えられない問いがある。我々は、生きていくために/死なないために、本当に誰かと繋がり続けなければならないのか。
 誰かが「魅力的な地域社会」と言ったときに、その裏側には必ず「コミュニティ」の香りがする。「誰も排除しない社会」と言ったときですら、みんなが笑顔で手を取り合っている「コミュニティ」の気配がしてくる。「排除しない」という言葉にも、「社会」という言葉にも、「地域」という言葉にも、どこにでもいるこの「誰かと繋がり続けろ」という無自覚な要求は、ふと冷静になると暑苦しく息苦しいまでに、どこにいたって目と鼻の先に存在する。要求に溺れ、誰か(たち)とつながったとしても、それは自己の写し鏡でしかない均質な空間と、その空間を占有するまやかしの「俺たち面白いやつら」という言葉しか待ち受けていない。「地域のつながりが大事である」というテーゼは、「つながることができない人たちは“我々”ではない」というところまで辿り着いてしまう。お行儀のいい「公共」を目指す道のりも、「コミュニティをつくるぞ!」と鼻息を荒くしたときも、巡り巡ってたどり着く先は、「この自分が心地よいと思っている空間・コミュニティ」がもたらす徹底した排除の姿勢である。「(防災や生活の)生存のためにコミュニティが必要」なのであれば、「つながることができない誰か」は生き残れないのだろうか。

生成される空間で、いま一度「公共」を取り戻す

 誰かと生きる空間は、その場その瞬間限りで生成されていくものである。アンリ・ルフェーブルは、『空間の生産』において、『空間(chose-non-chose:ものならぬもの)とは、「人間活動のかかわりにおいて生産される動的なものである」』と記していた。人と人との間に立ち現れ消えていく空間とは、商品化された「コミュニティ」でも、固定化された「公共」でもなく、まさに不安定で不明瞭な、霧のようなものであることは自明であろう。

 京島では、さまざまな空間を媒体として霧のような空間が生成されては消えていく。家の前ですれ違う見知らぬご老人と交わすあいさつ、商店街でどこかの店主と過ごすつかのまの時間、急に誘われて参加するご飯会、いきなり発生するRPGのようなおつかいクエスト、ただ誰かが楽しんでいるのを眺める空き地。「そこに住んでいる」ということのみが共通項として存在する雑多な人々による日常生活は、「ここにコミュニティがありますよ」という言葉では表象しがたい、刹那的な空間―界隈が広がっている。

 ここまで読んでくださった方々はもうお分かりだろう。この投稿のタイトル「公共を取り戻す」取り組みとは、なにも、爽やかで健やかな、賑わいのある“僕らの公共”を作ろうという試みのことではない。“僕らの公共”の先には、「あなたは”僕ら“ではない」という言葉が待っている。凝り固まってしまった“公共”を、「遊び場」がもたらす偶発性を通じてゆさぶることで、 “公共”と化してしまった空間をときほぐし、ゆるやかに広がる“ほかでもない誰かの居場所”にするための試みが、まさにPing Pong Platzが(たぶん)挑戦し続けているものである。

 いま一度、公共を、“僕らの遊び場”に。そして、“誰かの遊び場”に。その先に、ゆるく広がっていくまちなかの対話の余地が、再び力強く立ち上がることを目指して。

寄稿者 大久保勝仁(おおくぼ・かつひと)
1993年10月10日生まれ。電気湯店主。「体育の日」に生まれたはずが、高校のクラスで卓球は最下位。いまでは10月10日が「銭湯の日」となり、銭湯を家業としてもったことに対して運命と呪いの両方を感じている。新年が好き。寒さに弱い。すぐ舞い上がる。

note : https://note.com/katsu_0
Instagram : @katsu_okubo
Twitter : @KatsuhitoOKUBO

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