アメリカ永住を叶えてくれた出会い
僕はアメリカに渡って今年で20年となる。僕にはアメリカに永住する夢を叶えてくれた恩人がいる。それがローズィだ。彼がいなかったら、僕のアメリカ挑戦は数年で終わり、今頃日本にいたかもしれない。
2004年8月3日 たった1日の出会い
2004年8月3日、今振り返れば、運命的な出会いをした。2003年5月に念願のアメリカ赴任がかなってから、1年余経っていた。僕は、製薬会社に勤めており、アメリカで新薬の承認申請をするため、日本の研究所で出された結果をまとめる役割を担っていた。自分の専門領域の中でいくつかの問題が発生した。2004年8月3日にDr. Green(仮名)という外部の専門家のところへ行って、それらの問題についてアドバイスを貰うこととした。当時、僕はニューヨークマンハッタンから車で30分ほどの便利なニュージャージ州の街に住んでいたが、そこから1時間半あまり西にドライブしたかなり田舎にその専門家のオフィスはあった。
初めて訪れるオフィスで時間に余裕を持って出発したため、待ち合わせ時間より30分近く早く着いてしまった。仕方なく僕は近くのベンチに座って待つこととした。しばらくベンチに座っていると、スーツを着て身なりのしっかりした背の高い白人男性が近づいてきて、「Dr. Greenのところへ来られたDr. Ishidaですか? 僕もDr. Greenと一緒にあなたのコンサルテーションに参加することになってます。さあ、一緒にオフィスへ行きましょう」と言ってくれた。それがローズィとの初めての出会いだった。内心、「Dr. Greenは、僕に断りも入れずに勝手にもう一人コンサルタントを呼んでいたのか! 料金が高くなるじゃないか! 帰ったらボスに怒られるかも。まあ、知らんぷりして経費申請しちゃえ!」などと少々動揺していた。でも、ローズィのとても清々しい振る舞いにすぐそんな動揺は消え、これから受けるコンサルテーションにワクワクした。
コンサルテーションはとても充実したものになった。Dr. Greenとローズィからたくさんの有用なアドバイスを受けることができた。請求額は予定より高くなってしまったが、それを上回る成果が得られた。日本の同僚たちにも感謝されるぞ!と嬉しかった。Dr. Greenからよりも、ローズィからよりたくさんのアドバイスを貰い、彼の論理的な説明が自分ではとても腑に落ちた。そして、たった1日のコンサルテーションは終了した。この時は、ローズィとは、今後も同じようなコンサルテーションの機会で会うかもしれないけど、自分の運命を左右する人になるとは夢にも思わなかった。
2005年8月3日 運命のインタヴュー
2005年5月、アメリカ赴任から2年が経った頃、日本のボスから2006年3月で赴任を解き、日本帰国と言い渡された。アメリカ赴任の夢を叶えてくれた上司、会社には申し訳ないが、僕はもっともっとアメリカにい続けたかった。ダメ元で転職活動を開始した。ワーキングビザで来ている日本人を雇ってくれる転職先はなかなかないだろうなとは自覚していた。でも、何か奇跡が起こることにかけた。そして奇跡が起こった。
連絡を取っていたリクルーターの1人からある日突然電話がかかってきた。日本の別の製薬会社のアメリカ支社で僕にピッタリのポジションを募集しているとのことだった。それだったら、日本語ができる僕をわざわざ雇う価値があるかもしれない。僕は飛びついた。すぐに進めてもらった。
2005年8月3日にオフィスを訪れ、ジョブインタヴューを受けることとなった。インタヴューの予定表を見て、驚いた。僕の上司となる人の名前に心当たりがある。ちょうど1年前にコンサルテーションを受けたローズィだった。いったんはフルタイムの仕事を引退してフリーランスコンサルタントとなっていたが、旧友に誘われてまた製薬会社のフルタイムに戻ったらしい。何という偶然か?
しかもジョブインタヴューの日は、1年前にローズィと初めて会った8月3日だった。僕は運命を感じた。人生初の転職で、しかも、アメリカでの転職。でも、僕は「これはうまくいく!」と感じた。
当時、僕は会社の合併により1年前に住んでいたニュージャージから、シカゴ郊外に移っていた。シカゴ郊外もとても素敵なところだが、僕はもう一度ニュージャージに戻れるかもしれないことにワクワクした。家に、大きなニュージャージ州の地図を貼り、会社を中心にして周囲10マイルの円を描き、「自分はここに行く!」とイメージし、毎日地図を眺め、自分に言い聞かせた。
2005年8月3日が来た。週のど真ん中の水曜日だった。かなり不自然だが、僕は、当時勤めていた会社には、ちょっとシカゴの街に妻と遊びに行くと嘘をつき、ニュージャージに飛んだ。
1年ぶりにローズィと再会した。もちろん彼も僕のことをよく覚えてくれていた。他に何名の候補者とジョブインタヴューを行っているかは分からなかったが、ローズィは僕を選んでくれると信じた。何名か別の幹部と面接をした後、もう一度最後にローズィと会った。「会社全体でKatsuを選ぶとなるかどうかは責任持てないが、決まったら連絡する」と言った。僕は、ローズィは僕を推してくれるに違いないと都合よく解釈した。シカゴからニュージャージへの1日限りのとんぼ返りのジョブインタヴューだったが、僕の人生の分岐点となった。
3年間の赴任から永住へ
インタヴューから1週間ほどで、リクルーターから連絡が来た。採用が決まった! 人生初の、しかもアメリカでの転職活動は、驚くほどあっけないものだった。でも、僕にとっては、3年アメリカに赴任して日本へ帰国する人生から、アメリカに永住する人生に大きく変わった瞬間だった。
その後、ローズィと僕は3年余り一緒に働いた。仕事なのでもちろんぶつかり合うこともあったが、協力してたくさんの達成を味わった。自分の親ほど歳は離れていたが、公私共に仲良く、親友となった。家にも何度も遊びにいったし、日本へも一緒に旅行した。
一緒に働き初めて1年半頃、当時開発していた新薬の承認申請を完了した。小さなアメリカ支社で全ての社員が1つのプロジェクトのために働いていたので、社員全員が集まって、プロジェクトのマイルストンを祝った。各部の代表が挨拶した。ローズィが僕たちふたりだけの小さな部署の代表だ。ローズィは僕を壇上にまで呼んでくれて、ふたりで成し遂げたことをアピールしてくれた。
それからほんの数週間後のこと、マイルストンを達成した機に、僕が休暇をとって日本へ帰国していた時にそれは起こった。会社のプロジェクトがマイルストンを完了し、今後の活動が縮小するため、大きなレイオフを断行したのだ。ローズィもその犠牲者の1人だった。彼はフルタイムの仕事を解かれ、僕の元で働くコンサルタントとなった。
日本からアメリカに戻り、変わり果てたオフィスに呆然とした。これまで一緒に働いていた仲間のオフィスがいくつも空になっていた。僕は自分のオフィスに入ったが、何も手につかなかった。ボーっとしていると、電話が鳴った。ローズィからだった。大変な立場にいるはずなのに、声のトーンが明るい。
「Katsu、おかえり! マイルストン達成記念にうちでバーベキューパーティやることになってたの忘れてないよな? 今度の土曜日に来てくれるか?」
僕は、あっけにとられた。
「大変なことになってしまったけど、大丈夫なの?」
その時ローズィが言ってくれた言葉に僕は救われた。
「立場が変わったって、俺たちが友達なのは変わらないだろ?」
そして、これまでとぜんぜん変わらない信頼関係で一緒に仕事を続けることができた。同じようにレイオフされ、人間関係がおかしくなってしまった部署の同僚たちからは、「ローズィとカツは本当に仲がいいよね」と羨ましがられた。その後、僕が転職する時も、いつもリファレンスで助けてくれた。
その後、ローズィは引退し、今はフロリダで奥さんとゆっくり過ごしている。僕が今でもアメリカで充実した仕事をしていることを、自分のことのように喜んでくれる。今ではクリスマスカードで挨拶を交わす程度だが、毎回、「いつ、フロリダに遊びに来るんだ?」と書いてある。
当初、たくさんある「ビジネスの出会い」の一つに過ぎないと思ったローズィとの出会いは、その枠には到底収まらない、僕にとっては人生を変える出会いとなった。