アメリカで働いた2つの会社で大きく明暗が分かれた理由
僕は、アメリカの製薬会社で働いている日本人研究者です。2021年8月に現在の会社に転職する前、2つのアメリカにある大手製薬会社で働きました。この2つの会社で、僕の明暗は大きく分かれました。
初めに働いた会社Bでは、パフォーマンスをぜんぜん上げられず、2年足らずで、半分クビのような状態で、逃げるように会社を去ることになりました。一方、次に働いた会社Aでは、上司や仲間からの信頼も得て、社内でも重要なプロジェクトを任されるようになり、10年間勤めあげた後、皆に惜しまれて転職することができました。大きく明暗を分けた最も大きな理由は、上司です。
おびえながら働いていた会社B
1番目の会社Bでは、上司と全く合いませんでした。会社に入る前のインタビューの段階で、すでに僕は、その上司となる女性は自分とは何となく合わないなと感じ、違和感を持ちました。とても冷たく、意地悪な感じの印象を持ってしまったのです。インタビューを受けた時点で、僕はすでにアメリカに5年間住んでいましたが、これまで働いた会社は日系企業で、純アメリカの会社で働くのはこれが初めてでした。アメリカの会社で自分の力を試したいという長年の夢が叶いそうでワクワクしていました。また、当時これまで働いてきた日系企業でプロジェクトの終焉とともにレイオフに会い、早く転職先を決めなければならないと焦ってもいました。そんな状況が重なり、僕は、上司との相性を気にしつつも、すんなり転職を決めてしまったのです。
転職後の最初の半年間は割とうまく行きました。僕のこれまでの経験が生かせるプロジェクトの担当となり、それなりの成果も出すことができました。その時点でのパフォーマンス評価の際には、その上司は僕が入ってくれて、とてもハッピーだと言ってくれました。しかし、半年を過ぎて別のプロジェクトを担当するようになると、プロジェクトの意見交換でその上司とぶつかるようになり、関係が悪化していきました。上司と良好な人間関係を作ることには、自分自身が100%責任を持たなければならないと自分に言い聞かせていたので、その上司とのコミュニケーションは頻繁に、少なくとも週1回以上のペースで行いました。しかし、僕の中に、すでにその上司に対してネガティブな感情があるので、1対1のミーティングは、プロジェクトのトピックだけに焦点を絞ったギスギスした会話になっていきました。そんな負の感情はすぐに相手にも伝わるものです。次第に1対1のミーティングでも、精神的に安全な環境で、論理的にサイエンスに基づいて議論ができないように感じました。気が付くと自分の呼吸が浅くなり、冷静に上司の言うことを受け止め、それを分析して、自分の意見を言うこともできなくなっていきました。
自分のプロジェクトチームで議論して、チームの意見として上司のところへ持って行き、了解を得ようとしても、ことごとく却下されるようなこともありました。負の連鎖が起こり始めました。自分が健全な環境で働けていないと、仕事上のミスも連発するようになりました。自分が得意としていた作業でさえ、うまくできなくなりました。夢だったはずのアメリカで研究者として生きていくことが実現しているはずなのにぜんぜん幸福に感じられなくなっていきました。自分自身に自信が持てなくなっていました。上司と僕の所属するグループの他のミーティングでも、発言することも少なくなってきました。入社して1年半が経った頃のパフォーマンス評価では、とうとう最低限の仕事はしたが、それ以上の貢献は何もない、という最低の評価レベルにされてしまいました。これよりさらに評価レベルが下がると、パフォーマンス改善やクビの宣告もありうるというレベルです。
そしてとうとう大きく上司とぶつかる時が来ました。チームでしっかり話し合って作った計画を、その上司に却下され、変更するように指示されました。それに対して、僕はこの計画は絶対正しくて変えられないと強く対抗しました。上司は、その議論を止めて、人事部の人も入れて話し合うことにします、とだけ言い放って出て行ってしまいました。僕は血の気が引いたのを覚えています。これはほとんどクビに近い宣告を受けたことと捉えられたのです。
そしてすぐ数日後に上司、僕、そして人事部の人の3人で、僕のパフォーマンスに関するミーティングが開かれたのです。そのミーティングで、上司は、1枚の紙を見せました。その紙には、僕ができなかっとこと、やらなかったこと、貢献しなかったことなど、僕の「できないことリスト」が書かれていたのです。このミーティングは金曜日の午後にありました。僕はこのミーティング内で、リストに書かれた問題を僕がどのように改善し、自分のパフォーマンスをあらためるかをしっかり考え、月曜日に人事部に報告するよう約束させられました。
僕は、もうこの職場では健全に働けない、突然のことで転職先も決めていない状態だが、すぐに会社を辞めたいと思いました。妻に相談すると、最初はびっくりしましたが、賛成してくれました。なので、土曜日に会社を辞めることを決め、日曜日に会社のオフィスに行って私物をすべて家に持ち帰り、月曜日に人事部に会社を辞めることを告げ、逃げるように会社を去ることになったのです。
楽しく10年間働けた会社A
会社Bを逃げるように去ってから半年間も要しましたが、何とか転職先を見つけることができました。ここで僕は素晴らしい上司たちに会うことができ、自信を取り戻していくことができたのです。新たなに入った会社Aは、以前の会社Bより数倍規模が大きいアメリカでも有数のビッグファーマでした。僕が日本にいた時からあこがれていたアメリカ企業のひとつでした。そんな大きなアメリカの会社に転職できて夢が広がったはずですが、入社当時は、前の会社Bでの失敗ですっかり自信を失っていたので、ビクビクしながら新たな会社での仕事を始めました。前社での経験から僕は特に上司との良好な人間関係構築に注意しました。会社Aでは、10年間で5人の上司のもとで働きました。女性3人、男性2人で、すべてが白人でアメリカ人が4人、ひとりの男性はスコットランド訛りの強いイギリス人でした。その5人すべてが人格者で、僕は会社Aでは、生き生きと働くことができました。特に転職後最初のふたりの上司のおかげて、僕は自信を取り戻し、自分のパフォーマンスを発揮できるようになり、上司や同僚の信頼も得て実績を積んでいくことができました。
最初の上司は僕と年齢の変わらない女性のアメリカ人でした。同年齢であり、さらに彼女の気さくな性格から、公私にわたってざっくばらんに話せる関係になれました。とても細かいところまで懇切丁寧に教えてくれるきめ細かい性格の上司で、毎週1時間時間をとって、1on1ミーティングを行ってくれました。1時間に設定したミーティングでしたが、僕の疑問が解消されるまで時間を延長して付き合ってもくれました。2年弱、彼女のもとではたらいた後、彼女は自分の夢をかなえるために他部署に移ったので、僕の上司は、別の女性に変わりました。
この2番目の上司は、僕のキャリアの中でも最高の上司であり、メンターとなりました。最初の上司とは対照的に放任主義で僕に大きな自由度を与え、彼女との1on1ミーティングは隔週で30分のみとなりました。最初の上司との1on1ミーティングの時間と比べると1/4以下になったのです。僕には、最初の上司から2番目の上司への変更のタイミングも、絶妙に功を奏しました。転職直後は、以前の会社Bでの失敗から自信喪失に陥っていたので、細かい指導をしてくれる最初の上司がいてくれたことは大きな救いとなりました。一方、2年弱働いて自信をつけ、より自由な裁量で自分の力を試したいと思った頃に放任主義の2番目の上司に変わったのです。
この2番目の上司は、自分自身が目指したいあこがれの研究者でした。社内だけでなく、社外でも僕の所属する学会の活動をけん引するリーダーシップを発揮していました。お手本にしたいリーダーシップ像を挙げると以下のようなものになります。
部下を信頼し、部下に大きな自由裁量を与えてくれる
1on1ミーティングは隔週で1回30分のみで、ハイレベルな部分のみ伝えて、細かい部分はすべて部下の裁量に任せてくれる
それでいて部下の実績を正確に覚えてくれていて、全体会議などのトップマネージメントがいるところで部下をサポートしてくれたり、部下の実績を紹介してくれる
1on1ミーティングの頻度は少ないが、緊急の相談事には随時対応してくれ、レスポンスがめちゃくちゃ早い
社内活動だけでなく、論文投稿、学会発表、セミナーオーガナイズなど社外活動にも積極的で、業界・学界を引っ張っている
その後に仕えた3人の上司も素晴らしい人格者で、僕はそのもとで楽しく生き生きと働くことができたので、会社Aでは、たくさんの実績を残すことができました。
どうやって自分に合った良い上司のもとで働くか?
「どんな上司のもとで働くか?」が、パフォーマンスにいかに大きな影響を及ぼすかを身をもって体験しました。上司を勝手に選ぶことはできないので、自分がコントロールできることは限られています。しかし、これだけ大きな影響を及ぼすことを、ただ運だけに任すのはよくないと思います。自分ができる以下のことは最大限やるべきです。
ジョブインタヴューでは、上司との相性を最重要チェック項目とする
アメリカの転職では、履歴書・職務経歴書のスクリーニングや最初の電話インタビューをパスすると、最後に実際の会社を訪問しての最終ジョブインタヴューが設定されます。コロナ禍になってから、これがバーチャルミーティングで行われることも多くなりました。この最終ジョブインタヴューでは、自分のこれまでの経験・実績をたくさんの社員の前でプレゼンすることも要求されますが、それ以上に重要なのが、上司となる人を含めたキーパーソンとの1対1の面接です。インタヴューされる立場でいるとどうしても仕事の内容などのハードな部分に焦点が行きがちです。しかし、上司や自分と大きく関わることになるキーパーソンとの相性が合っているかのソフト面が、今後その会社で楽しく自分の最高のパフォーマンスを発揮していくためには、最も重要な要素です。インタヴューをされていると、どうしても自分を気に入ってもらうこと、実績をアピールすることばかりに焦点を当てて、大切な人との相性などのソフト面の見極めがおろそかになりがちです。上司との相性を徹底的にチェックするというのを、僕はインタヴューの最重要チェック項目に入れるようになりました。どんなに良い給料やポジションを提示されても、どんなに会社や担当する仕事が魅力的に見えても、自分の上司となる人・自分と大きく関わることになるキーパーソンに大きな違和感を持ったら、その転職は要注意と考えた方がよいでしょう。
最初の90日間で上司との良い人間関係を築くことを最重要視する
転職直後は、早く会社や部署に貢献したいと焦り、実際の仕事のみにフォーカスしがちですが、会社の文化、政治、意思決定プロセス、そして上司やキーパーソンとの人間関係などソフトの部分にもフォーカスすべきです。この点については、僕の今回の転職後の90日間の経験をいくつかの記事にまとめましたので、よろしかったら読んでみてください。
上司との1on1ミーティングで信頼関係を構築する
上司との1対1のミーティングは、上司と良好な人間関係・信頼関係を作る絶好の機会です。上司が期待していることに自分が取り組んでいることがきちんと合致しているか?自分が今目指しているゴールについて上司の合意が得られているか? ギャップを埋める絶好の機会として1on1ミーティングは最重要視すべきです。以前に僕の1on1ミーティングを最大限に活かす戦略を紹介しましたので、よろしかったら読んでみてください。
それでもだめなら逃げる
相手側に変わってくれることを期待しても、それは無理で、上司との人間関係は自分が100%責任を持つべきです。上記のように自分ができる最大限のことをしても、上司との間に良好な人間関係が築けず、仕事が健全にできないとなったら、最後は逃げるべきでしょう。自分が健全な職場環境で仕事できていると感じられないと、仕事でミスを連発してしまいます。自分の最高レベルからは程遠い低いパフォーマンスしか発揮できません。そのような状態では心身ともに異常をきたしてしまいます。会社Bでは、転職先も決まっていないまま、逃げるように会社を去り、その後、半年間転職先が見つかりませんでしたが、あのまま働き続けることは僕にはイメージできませんでした。逃げて正解だったと思っています。いまでは2年弱の会社Bでの経験、会社Aに転職するまでの半年の失業期間も、とても意味のある自分の糧となりました。自分自身も部下やチームの仲間が安心して最高のパフォーマンスを発揮できる環境を提供できるリーダーシップを発揮していきたいです。