甥っ子の3ヶ月と22歳の3ヶ月。
『久しぶりのnoteだ!』って思ったら前回の投稿は10月13日とまだ1ヶ月とちょっとしか時間は空いてなかったようです。
このたった1ヶ月の影響力は凄まじいものがあります。書き慣れたnoteも何を書いたら良いか分からない。手が重い。頭が働かない。でも、なんでまたこうしてnoteを書いているかというと日記にとても良いことが書いてあったんです。今日はそれだけでも見て1日を終えてもらえれば僕はもう大満足です。
・自分でできない理由ばかり探すのをやめなさい。
・分からないのは仕方のないことだから、できることから始めなさい。
・明日やればよいと先延ばしにするのはやめなさい。
・一度でも辞めたら癖になるから少しでもよいから続けなさい。
・気分が乗らない時こそ、考えすぎずに飛び込みなさい。
・どんな人でも失敗するから恐れずにやりなさい。
・自分が思う以上に出来るから限界を作るのはやめさない。
・結果が出ないことがあっても自分の可能性を信じなさい。
・無理だと決めるのは他人ではなく自分だから今すぐに行動しなさい。
これを読んだのは結構前なんですよね。
確か20歳になるか前ぐらいの年齢だった気がします。その当時は『良いこと書いてるなぁ』ぐらいの印象しか残ってなかったんですけど、今読むと全く違う視点から文章を読むことができます。
まず、だって、自分にできない理由を探すのをやめなさい、だなんて僕に言ってるのかと思いました。noteを書かないと、と頭の中で思いながら今は仕事で忙しいから、卒業論文で忙しいからと言い訳を作っては出来な理由ばかり探しています。
僕は現在、年明けに控えた飲食店の新規立ち上げと日本橋にある飲食店の店長、そして卒業論文というビックプロジェクトを3件抱えています。
『いや、俺はもっと頑張ってるし、そのくらいでへこたれんなよ』って思う人もたくさんいると思いますが、仕事の忙しさは置いておいて、僕に関しては大きく3つのことに毎日時間を吸われてしまっていると、現状報告をしたいのです。
その上で、やりたいことを出来ない理由ばかり僕は探しているんですから、やりたいことを実践している人は改めて尊敬します。だって、やりたいことを実現している人は『やるべきこと』をこなした上で、『やりたいこと』にまで時間を割いている訳ですから。
やりたいことをするために、1日の時間の使い方を見つめ直し、工夫し、行動をして修正をしているからこそ、好きなことで結果を出せているんだと僕は思っています。
そんな、最近の僕は『やるべきこと』の壁から抜け出せていません。やりたいことをするには早い方がよいと言いますが、それは大人になるにつれて『制約』が雁字搦めに絡まって付いてくるからだと今大人への階段を登りかけている段階だからこそ、腹落ちしました。
僕は新店舗立ち上げ、店長、学生の3つで毎日時間に追われているんですから、家族ができたり、昇級したりと『制約』は大人になるにつれて増えていく一方なので将来への不安を感じたりもしています。
それが『責任』と言われるものかもしれませんが。
とは言え、誰だって一歩は踏み出したことがあると思うんです。ダイエットしてみようかな、noteはじめてみようかな、youtube投稿してみようかな。
そうして一歩を踏み出したことがある人に響く言葉は一度でも辞めたら癖になるから少しでもよいから続けなさい、という言葉です。
何かを始めるとありとあらゆる誘惑が日常に、元の生活に戻そうと僕たちの挑戦を阻害してきます。その誘惑を受けて、『今日だけはサボっちゃおうかな』っていうたった一日24時間のうち2秒ぐらいで決断してしまったことが後に一生響くんです。皆さんも実感したことありませんか?
今日だけと思った1日が後に取り返しのつかない大きさになって返ってくる体験が。
そうやって、自分がやりたいから、やるべき事を後回しにしてまでやりたいから手をつけたのに、なぜか続かない。たった1%でも続ければ良いのに、完璧主義になって勝手にハードルを上げてしまっている。
あの日、あの時はじめていた事が今も続いていたらどうなっていただろう。きっと今とは違う状態だったことは間違いないはずということが確実に言えます。
私事ですが。3ヶ月前に甥っ子が生まれました。僕は22歳という年齢でおじさんになってしまいました。子供の成長速度って本当にすごいんですよね。
僕が会った時は首も据わってしまって、ハイハイも泣けもしませんでした。でも、次会う1年後にはハイハイをしたり,言葉をいくつか話しているだと思います。でも、子供が凄まじい速さで成長している同じ時間軸に僕たちは生きている訳ですからいつになっても変われると僕は思っています。
(飽きてきたと思うので写真をどうぞ。ここまで読んだ人の特典ダゾ☆)
最後に僕がこうして『noteに書く理由』があるのでそれを伝えて終わりたいと思います。
僕がnoteを書く理由として、人生の価値は何を得るかじゃなくて『何を残すか』だと思っているからです。
なんか、僕って店長になる前の自分は『得る』ことばかり探していたんです。というかほとんどの大学生はそうなんじゃないでしょうか?地位も名誉も社会的地位もそいういったステータス全部。
店長になった当初の僕は出来ることが何もありませんでした。だって学生からコロナ禍で急に店長になっても右肩下がりになった売上に貢献できることは何もありません。
出来ないからこそ、飲食店に関する本や、マーケティングや、エクセルの使い方や関係者が身につけているスキル全てに目を輝かせました。そして全部に手を出そうとした結果、どれも中途半端で自分の頑張りが何に報われているのか分からずモチベーションだけが下がっていきました。
なんで就職活動をする前に、なんで店長をしたんだろう、その問いの方が先にやってきました。
そして、この動画を見て、自分は『得る』ことばかり考えていたことに気づかされたんです。店長になって得られること。人脈やスキル、そして給料。
欲張りな人間だったんです。プライドが高かったんだと思います。
でも、どれも自分の頑張りではない。それらはお店を作った社長がいて、働いてくれる従業員がいて、若造に快く会ってくれる大人の方達がいて、じゃあ一体、自分にできることは一体なんなんだと考えた結果、それが自分の体験を書いて残すことだったんです。
そして欲張りな人間は気づいたんです。
僕には何もできることはない、と。
そして、かじった程度の『できる』人はたくさんいると。
だからと言って、店長の仕事を放棄したわけではありません。僕は理想の状態の出来ることを今すぐではなく、努力しながら身につけることにして、今自分が出来ることに注力しようと考えたんです。
それが、僕の体験を書く、ということでした。
店長の仕事関係なしに僕は発信を始めたら確かに人生は変化しました。読んでくれた人が感想を言ってくれるようになったし、僕の記事を読んで行動を変えた人もいた。
アウトプットの影響力の偉大さにその時気づいたんです。
それと同時にアウトプットしたものはこの世界に残ることも同時に気付きました。
現在僕のアカウントでnoteは150記事以上書いていますが、例え僕が死んでもnoteというサービスがなくならない限り、僕の考えや気づきはこの世界の中に生き残り続けます。僕がいなくなっても届く人には届いて、影響を与える存在になっているかもしれません。
僕が言いたいのは、一体自分は何をこの世界に、社会に残したのかを自問自答してみて欲しいんです。
YOASOBIの歌を聞いて感動する人も、ワンピースを読んでワクワクする人も、感動を受動している側はアウトプットをしてくれている人の存在を忘れてはいけません。
それらがこの世界に誕生してなかったから、その人の頭の中に収まってしまっていたら、今日というはまた違う日になっていたと思います。
今、世の中にある『感情』のほとんどはアウトプットによるものだと僕は思っています。それほどアウトプットの力は偉大なんです。
ここまで読んでくれた人は一回自問自答をしてみて欲しいです。今まの人生で一体自分は何を残したのか、と。
そして、出来ることから始めれば良いと僕は思います。模索すれば良いと思います。正解を教えてくれるのは高校生まで。それ以上は自分の頭で人生を考えないといけません。
そうやって日進月歩進んで、頑張って、だらけて、泣いて、笑って、死ぬ時に人生を振り返って『残っているもの』の集積が自分の生きた証なんじゃないかと僕は思っています。
だから、得ることばかり考えずどんどんこの世界に残していこう。小さなことから一歩ずつね。
とか書いてたら3500字だし、Macの充電も3%とかだし、充電壊れてできなし、良さげなこと書いて最後締め方めっちゃダサいけど、この時間も一生に一度ということで残した方が自分らしい。そんな『ありのまま』書くこと大切さをこの本を読んで学びました。よかったらぜひ。
最後、紹介かよ。